103 苦悩する者
永禄八年(1565年)11月
関東同盟のことは瞬く間に広まり多くの者に衝撃を与えた。
ある者は同盟の意味を理解し、またある者は自身も参加できないかと思案する。
そして、ある二人の当主は同盟を聞いて戦慄していた。
一人は、里見家当主里見義弘、もう一人は徳川家当主徳川家康である。
しかし、二人の動きは対照的だった。
里見義弘の行動は素早かった。同盟のことを耳にして直ぐに家臣をまとめあげ北条との和睦交渉を始めた。さらに伊達と佐竹に仲裁を頼んだのだ。佐竹としては、戦には関与しないとしたが、交渉の仲裁をしないとは明記していないので受けたのだった。しかし、裏では伊達からの圧力があったのは言うまでもない。
そして、動くことが出来なかったのが徳川である。
徳川の現状として、織田の支援を受けて岡崎城を奪い返した後、独力で今川軍を破り三河今川領を再度取り返した。その後、武田と今川が戦を始めたのを好機とし遠江へ侵攻した。
一番最初の犠牲になったのは井伊谷、そう井伊家である。
桶狭間で生き残っていた井伊直盛と井伊直親は史実とは違い、今川家に尽くし三河での戦で他の一族と共に命を落としていた。
その混乱の中、次郎法師が還俗し直虎と名乗り何とか取りまとめたが、抵抗する力は最早無く降伏した。
徳川は井伊を押さえたことで遠江制圧の要の城である浜松城(引馬城)を攻めた。
引馬城は時間がかかったが落城させ、二俣城を攻めようとしたところで今回の同盟の話を耳にし、急いで浜松城まで退いていた。
浜松城
大広間
「村上が来るのは明白!直ぐに織田に援軍を求めるべきだ!」
「無理に決まっておろう!織田はほぼ全軍で稲葉山城を攻めておる最中じゃぞ!来る訳がない!」
「いや!流石に今回は送ってくるであろう!我等が破られれば次は尾張なのだからな!」
「織田は稲葉山城を落とせば村上と同盟すると言っていた。我等を捨て石にするに決まっている!村上と同盟さえすれば最悪尾張は守れるのだからな!」
「ではどうする!!このままではまた、三河に血の雨を降らさせるのか!多くの者が無惨に殺されたのだぞ!!」
家康の前で家臣達が激論を続けていた。
彼らは内心切羽詰まっていた。何故なら武田と村上の戦については聞いており、自分達が勝てなかった武田を完膚無きまで潰したこと、義照は信州の閻魔と呼ばれ、当時の甲斐での所業(乱取りと生きたまま火あぶり等)はあまりにも無慈悲で非道であったからだ。
自分達も同じ目に遭うかもしれない。
前より(武田にやられた時)酷い状態になるかもしれない。
そんな思いを誰もが持っていたのだ。
そんな中、家康の側近となっていた酒井忠次、鳥居元忠等は別のことを不安視していた。
誰かが家康を暗殺して裏切るのではないかと思っていた。
家康は家臣の前では顔には出さないようにしたが、内心非常に怯え、どうすべきか悩んでいた。
史実の後半生の家康だったなら即座に対応できていただろう。しかし、今の家康はまだ22歳と若かった。
「ここは、一戦交え勝利して和睦に持ち込むしかない!」
「そうだ!三河武士の力を見せつけるのだ!!」
「お主ら馬鹿か!勝ち目があると思うておるのか!!前回より兵も少なく、士気も最悪なのだぞ!!」
「なら降伏しろと言うのか!!村上の側室には義元の娘がいるのだぞ!!皆殺しにされるのが決まっているわ!!」
「皆静まれ!!!」
家臣同士で罵りあったところで家康は口を開いた。
若くても家康は当主であるため家臣達も静かになる。
「このまま、言い合っても埒があかないだろう。一時休息とする。忠次、数正、元忠来てくれ...」
家康はそう言うと三人を連れて広間を離れ小部屋に入る。
「忠次、前から続けている村上との交渉はやはり無理か?」
「重臣の大熊殿と直接話はしましたが..。その...正信のことを言われ...」
忠次が申し訳なさそうに伝えると、二人も溜め息をついた。
「やはりか..。殿、やはり忠勝に伝えておくべきでしたな」
「そうであったな。まさかこのようなことになるとは...」
元忠が言うと数正と家康は同じようにがっくりと肩を落とした。
何があったかと言うと、村上の密使として来た本多正信を本多忠勝が半殺しにしてしまったのだ。
正信は義照から命を受けた後、自身の家臣一人を連れて岡崎城に向かった。全ては徳川家と家康を守るために。
正信達が岡崎城に付くと城では、遠江侵攻の準備をしている最中で、城門近くで本多忠勝と遭遇する。正信が来た理由を忠勝に言おうとしたがその前に忠勝が裏切り者と叫び、思いっきりぶん殴ったのだ。
殴られた正信は一揆のことを謝罪をして使者として来たことを話そうとしたが謝罪をしたことが逆に忠勝の怒りに油を注ぎ、有無を言わさず殴り続けたのだった。
その光景に正信の家臣が慌てて使者として来たことを伝えたが、忠勝は信用せず、逆に周りの兵士から殴る蹴る等の暴行をされた。
しかし、忠勝を始め兵達の怒りは仕方がないだろう。一揆勢と武田のせいで多くの者が殺され、奪われたのだから。
城門の近くであったことから他の家康家臣や兵も集まっては罵声を浴びせたりなどする。
そして村上との交渉を任されていた酒井忠次も騒ぎを聞きやって来て目の前の光景に心底青ざめるのだった。
「忠勝!!止めろ!!」
「離せ酒井殿!!裏切ったこいつらをここで殺さなくてどうする!!こいつらのせいで殿(家康)が死にかけ叔父貴(本多忠真)達が死んだんだ!!」
「そんなことは分かっている!!だが正信は、村上家に仕えているのだぞ!!殺せば村上は必ず報復しにやって来る!お主は殿(家康)を殺したいのか~!!!!!」
忠次の必死の叫びに忠勝の手は止まり、周りの兵士達も手を止めた。
そして、目の前の状態にどうしようと全員が青ざめていた。
正信に付いてきた家臣の方はボロボロだがまだ意識もあった。しかし、正信の方は血まみれで、全く動かず、既に死んでいるのではないかと思われたからだ。
「おい!!急いで医者を呼べ!!絶対に死なせてはならん!!正信と家臣を城へ運ぶぞ!!・・・何を呆けているか!!!!急げ!!!」
忠次は立ちつくす周りの兵士達に怒鳴り声を上げ指示をした。
忠勝は責任は殿(家康)ではなく自分にあると言い、その場で腹を切ろうとしたのでそちらも必死に押さえるのだった。
結果として、付いてきていた家臣の方は命に別状は無いが骨折や打撲等多数で全治一年近くと医師に判断され、正信の方は奇跡的に生きてはいるが意識不明で、いつ死んでもおかしくないと判断された。
この一件を聞いた家康は怒りを通り越して全身冷や汗が止まらなかった。武田によって付けられた恐怖もあるが、その武田に勝利し続け、義元が一目置き、師である雪斎が絶対に敵に回してはいけないと言った村上が来るのではと恐怖したのだ。
しかし、既に後戻りは出来ないため正信達のことは医師達に任せ引馬城攻めを強攻したのだった。そう、後回しにしたのだ。
そして今に至る。
「・・・数正、確か信長様は僅かな手勢を率いて直接村上の元へ行ったのだったな?」
「はい。確か雪の中百人程の共だけ連れて行ったはずです。殿、まさか!」
「殿!それはなりませぬ。殺されるのが目に見えております!それに、信長殿の場合は斎藤道三の働きかけが合ったから実現したものです!殿とは違います!」
「そうです!村上は正信のことを既に知っております。行けば殺されるだけです!!」
三人は猛反対した。家康としては信長と同じように認めさせれば何とかなると思っていた。それに、今なら徳川に改名する時に世話になった近衛前久も居るので何とかなるのではと願望もあったのだ。
家康は忠次に何とかして村上義照と直接交渉出来るよう命じるのだった。
家康が苦悩している頃、義照も苦悩していた。
「兄上(義勝)、家族揃って討ち入りなんて辞めてください。正国、何で止めないんだよ...」
「義照様、何時ものことなのでお分かりだと思いますが、止めないではなく、止まらなかったのです..。申し訳ありません」
俺の目の前に鍛練用の槍を持った馬鹿兄(義勝)と頭に額当てを巻き付け薙刀を持った娘の渚、そして馬鹿兄の嫡男、盛勝と盛勝の傅役で二代目苦労人の屋代正国の四人が居る。
ちなみに初代苦労人は父、屋代正重である。
こっちは秀綱、孫六、幸隆、昌祐と陽炎衆の護衛十人がいる。鍛練用とはいえ馬鹿兄が槍を持つとロクなことがない。
事の発端は、佐竹との婚姻で渚を嫁に出すことだ。
「義照~。きちんと説明はしてくれるのだろうなぁ~?」
「父上(義勝)、落ち着いて下さい。話を聞きに行くだけって言ったじゃないですか?渚も薙刀を離さないか。叔父上(義照)に失礼だぞ!」
「兄様(盛勝)は黙っていてください!!叔父上様(義照)どういう経緯でこのようなことになったのか説明してください!!」
馬鹿兄と渚が前に出てきて、盛勝は妹に言われしょんぼりと小さくなってしまった。しっかりしろよ....
盛勝は武勇に関しては馬鹿兄の子とは思えない程無く、代わりに内政や軍略に長けていた。きっと、正重、正国親子のお陰かもしれない。
先に言っておくが武勇に関しては馬鹿兄と比べたらの話で、普通に同年代と比べたら頭一つ抜けている。普通に馬鹿兄の才能を受け継いでいるのは間違いない。
しかし、超武闘派?をまとめてきた父を見ているため、自分はダメな奴と自信を失いかなり弱腰になっていた。
ちなみに、ここには居ない盛勝の弟勝正は馬鹿兄を更に戦闘特化したような人物で何事も突撃以外は無い。簡単に言えば本物の馬鹿である。
「はぁ~とりあえず武器は納めてください。渚、お主はおなごなのだからもう少し慎ましく..」
「叔父上様、おなごだからと言われますが武家の女に産まれたからには家を守ることが女の勤めにございます。慎ましくなどしてはおれませぬ!!」
「いや、あの、その、確かにそうかもしれぬがお主は少々図々しいというか厚かましいというか、遠慮が無いではないか...。全く婿の貰い手が居らずやっと見つかったと言うのに..」
俺が溜め息を付くと、複数同じように溜め息を付いていた。正国と盛勝も同じ思いのようだった。
「渚、佐竹はな、その勇猛さから坂東武者の鑑と言われておる。お主の相手の義尚のことをきっと気に入るはずだ」
「・・・分かりました。叔父上様、私は私より弱い殿方には嫁ぎたくありません!父上程とは言いませんが最低兄様(盛勝)より強く気概がある者でなければ私は直ぐに戻って参ります。それと、御忙しいところ急に押し掛けて誠に申し訳御座いませんでした。深くお詫び申し上げます。..それでは失礼いたします」
渚はそう言うときちんと座ってから頭を下げて謝ってきた。その辺の礼儀作法はしっかりしてるんだよなぁ...。
「兄上(義勝)、詳しい説明は話をまとめた幸隆がするので聞いて下さい」
「えっ!ちょっ!殿ー!」
俺は面倒になったので幸隆を人身御供として差し出した。まぁ、元はと言えば幸隆の提案だしな。
馬鹿兄は分かったと言い幸隆の肩に手を掛け共に部屋から出ていった。念のため幸隆には護衛として秀綱をつけてやった。殺されて困るのはこっちだからだ。
残された盛勝と正国は額を畳に擦り付けるくらい必死に謝ってきた。ホント、苦労人だな。
俺はそんな二人を何時ものこととして返して孫六達と報告の続きを聞くのだった。
翌日、幸隆はげっそりし、すれ違う人から驚かれていた。たった1日で別人のようになったのだ。
原因は義勝への説明と説得の為に何度も死線をくぐり抜けた為だった。
義照はそんな幸隆に驚き、数日温泉にでも行ってこいと休みを与えるのだった。