101、逆鱗 そして死人からの贈り物
永禄八年(1565年)8月
上田城
大広間に集められた者達は誰一人口を開くことが出来ず、音を発てるものなら殺されると恐怖していた。
「・・・昌祐」
「はっ...」
「武田の元に行き直ぐに返事を返せと言え。このまま返答を引き伸ばすなら直ぐに潰すとな」
「ははぁ!!」
「業盛は佐竹、幸隆は北条に向かえ」
「「畏まりました!!」」
三人は逃げ出すように大広間を出ていく。
原因は2日前、前久がやって来て京の御所での出来事を話した。そして、帝直筆の書状まで持ってきていた。
書状には兼照の件を深く詫びている内容だった。
三好は義照の逆鱗に触れるには十分過ぎることをしたのだ。
「全員、直ぐに戦の支度をしておけ...。遅くても来年の雪解け後に全軍で上洛する」
「「ははぁ!!!」」
孫六を残して全員を下がらせた。
「孫六、すまんが伊賀に行って欲しい」
「百地殿の元ですな。依頼内容はいかがしますか?」
俺が言うと孫六は直ぐに理解してくれた。ホント助かる。
「まず、兼照を助け出すにも居場所と状態を知りたい。佐治が動いてくれているかもしれないが人手が足りず厳しいだろう。それに、多くの忍を三好や三好についた公家の元に入れて情報を集めて欲しい。報酬は弾むと伝えてくれ」
「畏まりました。殿、雑賀衆にも使いを出し雇いますか?」
孫六に言われてから雑賀衆と繋がりがあったのを思い出したが、今回は見送ることにした。
「いや、そこまでしなくていい。頼んだぞ」
「はっ!」
孫六は直ぐに伊賀に向かった。
(クソ、こんなことになるなら美濃一国を制圧して佐竹と北条とさっさと和睦しておくべきだった。しかし三好と晴良(二条)は絶対にやってはいけないことをしてくれたな...。それに、公家どもめ。何人か死んで貰うか...)
一人残った義照は怒り後悔に襲われるのだった。
数日後
武田軍本陣
「応じなければ滅ぼすだと?父の敵をみすみす逃がせと言うのか!!」
信玄は怒鳴り声を上げた。既に駿河はほぼ制圧し、氏真のいる朝比奈の居城掛川城を包囲していたからだ。
「信玄殿、此度は脅しでもなんでも御座いません。殿(義照)は本気で潰す気で御座います。武田家が生き残るか滅ぼされるか御選び下さい」
昌祐は動じることなく言いきる。信玄以外の家臣はここが落とし所と思っており受け入れるべきと思っていた。それは信繁もだった。なんせ、族滅させるか、駿河一国を認めると言うからだ。義照が此程の譲歩をするなどあり得なかった。それに昌祐がいつもと雰囲気が違うので理由を訪ねる。
「工藤殿。貴方も父(虎豊)を我が父(信虎)に殺されたから、我らの気持ちは分かるはずでは御座らぬか?一体、何をそんなに急がれるのだ?」
信繁の質問に昌祐は隠しても直ぐに分かるので全て話をした。
話を聞いていく内に信繁を含め、義照と戦をした者達の中には青ざめる、震える者が多く出る。
しかし穴山(信君)や小山田(信茂)など村上との戦を体験したことがない若い世代はそんな信繁達の様子を見て不思議そうに見ているのだった。
信玄も怒りのあまり怒鳴り付けてしまったが、話を聞くに連れ冷静にならざるを得なかった。
「三好は義照殿の逆鱗に触れたと言うことか...。工藤殿、どうするか話し合いたい。すぐに呼ぶから済まぬが暫く席を外して欲しい」
話を聞いた信繁は信玄に代わりに昌祐を本陣から下がらせた。
「兄上(信玄)...」
「信繁。わかっておる...一声かけてきたのは無駄に時間と兵を消費したくないからだろう。でなければ今頃村上の軍勢が攻めて来ていたことだろう。しかし...」
信玄としては史実と違い今回は領地よりも氏真の首を討ち取りたかった。父信虎と右腕だった勘助の仇を討ちたかったのだ。しかし、武田を滅ぼす訳にはいかないと、かなり葛藤していた。
信玄は背に腹は代えられぬと氏真が武田領国に永久に立ち入らないこと、また立ち入った場合は討ち取ることを条件に認めるのだった。
同じ頃北条でも幸隆が使者として氏政に説明していた。ただし、京での出来事と義照のことは伝えなかった。
氏政としては妻の実家である武田と事を構えたくはなかったので二つ返事で承諾していた。
と言うのも、甲相駿の盟約で夫婦になった三人は三人とも夫婦仲はとても良かった。
氏政は直ぐに承知したが、氏康は娘の引き取りに北条家軍の立ち会いと護衛を条件にする。
幸隆もそれくらいならと了承するのだった。
しかし...
「真田殿、義照殿は何故急に方針を変えられた?」
「さぁ某には分かりませんなぁ。しかし殿のお考えが変わられた故に御座います」
「しかし、此度は全軍に戦の準備をしているようじゃが?」
「それは、和睦に応じなければ即攻める為でしょう」
「ほぉ?では、関白様(近衛前久)が逃げ込んだと聞いたが?」
幸隆は幻庵から質問攻めを受けた。
しかし、幸隆はのらりくらりと幻庵の質問をはぐらかしながら答えていた。だが内心必死だった。
暫くそれが続いたが、氏康が止めに入ったので終わるのだった。
「それでは某はこれにて失礼つかまつる」
(はぁー全く、面倒なジジイ(幻庵)だ..)
幸隆はそう思いながら広間から去り、残された幻庵を含む北条家臣は和議に乗って良かったのか、攻める好機ではないか等意見を言い始める。
「止めよ。村上と戦をして喜ぶは里見と佐竹だけぞ。それよりも全軍に戦支度をさせると言うことはやはり...」
「恐らく、上洛であろうな。今川領を攻めるのを諦めたか....。まぁ、遠江だけでも利は大きいがな」
氏康の言葉に幻庵は答え、周りの家臣達も静かになった。
「父上、村上が上洛を目的としているなら我らも一軍を援軍として送るべきでは?」
「新九郎(氏政)。それは何故か?」
氏康は氏政の意外な質問に内心驚いていた。氏政はこの機に乗じて里見を一気に潰すために戦をすると思っていたからだ。
「幻爺様(幻庵)から村上家は将軍と懇意で滞在したこともあり、朝廷とも繋がりが深いと聞きました。なので、援軍を送って恩を売り、いない間に残りの軍勢で里見に一気に攻めかかるべきだと思ったからです」
「一理あるな。しかしどうやって村上に援軍を認めさせるのだ?」
「殿、関白様が居るなら接触して援軍を認めさせるのはどうでしょうか?さすれば朝廷に恩を売ることも出来るかと」
氏康の質問に側近の清水が答える。
「分かった。綱重、使者として向かってくれ」
「ははぁ」
「他の者はいつでも出陣出来るよう準備をしておけ」
氏政は全員に命を下して解散させた。綱重は直ぐに村上領に向かう為屋敷に戻るのだった。
永禄八年(1565年)9月
伊賀
孫六は伊賀で百地達伊賀十二頭領と会っていた。
「以上が依頼内容になる。報酬は弾むとのことだ」
孫六が依頼内容を説明すると三太夫達は黙っていた。普段なら目の色を変えて喜ぶのに悩んでいる様子を見て孫六は三好の手がかかっているのではと警戒した。
「ふぅ...孫六殿、実は似たような依頼を既に受けていてな。九条兼照の居場所と状態は分かっている」
それを聞いた孫六は驚く。義照以外にそんな依頼をする人物がいると言うからだ。
「一体誰がそのような依頼をされたのか?」
「大和の松永殿だ。詳しい依頼内容は言えん。それに村上殿には恩はあるが、松永殿が先に我等に依頼をしてきたのでそちらを優先する。それでも良いなら依頼を受けるが?」
「それでも構わない。よろしく頼む。これは前金の一部だ。後日、残りを送らせてもらう」
孫六はそう言うと金の入った袋を四つ三大夫に渡す。
三大夫達は目を見開いて驚いた後、咳払いして、分かっている情報を孫六に説明するのだった。
数日後
上田城
義照は目の前の童相手に作り笑顔で対応していた。
「そうかそうか~。それは大変だったなぁ。何、ここでは襲われる心配は無いからゆっくり休むといい。あっちに菓子等があるから、叔父上(前久)と一緒に食べに行っておいで」
「うん!」
俺がニコニコしながら子供に言うと、喜んで元関白(前久)に連れられて部屋を出ていった。
俺は終始笑みを浮かべたままで見送る。
「・・・・行ったか?」
「はい...」
童を連れてきた男達は広間に残され、無表情を貫いて座っていた。
広間にいるのは、義照、昌豊、清種と昌幸、そして....京から戻ってきた上泉秀綱と疋田景兼だ。
「秀綱....。すまんが俺は耳が遠くなったのかもしれん。もう一度聞くがあの子供の名前はなんと言ったか?」
「はい。上様が御嫡男輝若丸様と申します....」
俺が作り笑顔のまま秀綱に聞いたら迷うことなく言った。
俺は静かにふらつきながら立ち上がり、部屋の柱を殴る。
ドン!!
「チクショウ!!!!あの疫病神め(義輝)!!!とんでもない者を送ってきやがったなぁぁぁぁぁ~!!そんなに俺達を巻き込みたいか!!義輝め~!!」
俺の絶叫は広間中に響いた。
足利輝若丸。史実では産まれて3ヶ月程で死んだ人物で、その父親は剣豪将軍、疫病神と言われる、室町幕府第13代将軍の足利義輝である。現在三歳である。
「・・・殿、亡き上様より最後の書状に御座います」
秀綱は前に出て書状を手渡した。
俺はそれを開いて内容を確認したが、何と言うか、将軍だが、一人の親なんだなと思った。なんせ、子供についてのことが多かったからだ。
内容を超簡単にまとめると。
息子(輝若丸)のことを頼む。
輝若丸が将軍を望むなら手助けして欲しい。そうでないなら、望むままに生きさせて欲しい。
秀綱に預けた太刀が報酬。
また一緒に預けた、童子切安綱、薬研藤四郎は元服後に輝若丸に渡して欲しい。
元服時の名は...。
といった感じで、後は自分の思いやこれまでのことが書いてあるのだった。
俺が読み終わったのを確認すると秀綱は景兼に持たせていた一振りの太刀を出した。
「上様より殿にお渡しするよう預かった、朝嵐勝光に御座います。また、童子切安綱、薬研藤四郎はこちらに御座います」
続けて秀綱が側に置いておいた太刀と脇差しを出した。
「・・・はぁ~.......」
俺は並べられるのを見て思いっきり溜め息を吐いた。義輝は死して尚も俺達を巻き込み、手放すつもりはないと示されたからだ。
(まるで鎌倉時代の神官諏訪頼重のようにさせられそうだ・・・。俺はこの地でゆっくり平和に過ごしたいだけなのに...)
「・・・秀綱、誰がこの事を知っている?」
「上様の御正室の藤様、上様の母君の慶寿院様、それと生きていれば、進士藤延、一色輝喜、荒川輝宗等、側に付いていた者達です」
確実に生きている輝若丸の母で前久の姉の藤と慶寿院だ。他の義輝の側に居た者達も義輝と共に散ったらしい。
「秀綱、この刀は其方にやる」
俺はそう言って朝嵐勝光を秀綱に渡した。
「しかし、それは上様から殿に..」
「その代わり、輝若丸の傅役を命じる。輝若丸は・・・仕方ない、俺の隠し子とでもするか...。はぁ...。清種、孫六と共に情報操作を頼む。あぁ~不倫相手は死んだことにしておいてくれ」
「畏まりました。直ぐに行います」
(はぁ...何でこんな面倒なことをやらなきゃならないんだ...)
俺は溜め息を吐いて解散し、前久にはこの事を話し了承を得た。ついでに、義輝の正室の藤と祖母の慶寿院を呼び寄せることにするのだった。
数日後には隠し子(輝若丸)のことが広まったが、そんなに大きな騒ぎにはならなかった。
・・・・一人(輝忠)を除いて...。
妻の三人(千、岩、福)には事情を話しておいた。黙っておこうかと思ったが説明くらいしておかないといけないと思ったからだ。
輝忠には黙っている。あれは正直過ぎるので今は伝えない方が絶対に良かった。昌幸には絶対に伝えるなと釘を刺しておいた。
(とりあえず、落ち着いたら師匠(卜伝)に連絡を取ることにしよう。最悪引き取って貰えばいいや。まずは上洛だ)
俺は疲れ果てながら今後について考えた。
それから数日後、俺の知らないところで使者として来ていた北条幻庵と綱重が前久を説得し四家での同盟を行おうと動いているのだった。