100、影響
永禄八年(1565年)7月
上田城
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
俺達(義照と三家老)は四通の書状を前にして悩んでいる。
将軍義輝暗殺は佐治の配下によって既に伝えられており、話を聞いた輝忠が「直ぐに出陣し仇を打つべきだ」と言い出した。なので、簀巻きにして部屋から追い出している。五月蝿くて話が進まないからだ。全く、義輝の思惑が成功している気がした。
だが武田と今川が戦を始めた今、動くことなど出来る訳がない。
引き金を引いたのは氏真だ。なんと祖父にあたる武田信虎を処刑したのだ。罪状は寿桂尼暗殺と今川家臣の調略で忍を使って行ったと発表した。
武田、特に信玄の怒りは凄まじく、現当主の義信を幽閉させ、自ら全軍を引き連れ出陣していった。信繁も実の父を殺されたこともあり、信玄に味方し義信を自身の屋敷に閉じ込めたのだった。
しかしまぁ。まだ信玄に従う者が多くて意外だ。
多分、領地が取れると思ったのかもしれない。
駿河の今川館は既に炎上し、氏真は命からがら遠江の朝比奈の掛川城に逃げ込んでいる。
と言うのも、武田軍迎撃に出た今川軍は戦わずに離散した。
理由は簡単。三河での敗戦に続き、武田の恐ろしさは三河での出来事で知れ渡っていたこと、取り込んだ元武田家臣が手の平を返した為だ。
ちなみに大将は飯尾連竜で兵が居なくては戦えないので居城の曳馬城(浜松城)に逃げ帰っている。
しかし、中には今川に忠義を尽くす者もおるようで武田相手に籠城している。
全く、そんなに忠義を尽くす者がいる等凄いな。土地は守れないが引き抜いてやろう。特に岡部一族や蒲原、庵原...。
そんなことは置いといて問題は目の前の四通の書状だ。
一通目は武田家からで今回は弔い戦の為、手を出さないで欲しい。
その代わり、人質として信玄正室(三条の方)と子供を複数送るとあった。
まず無視。
二通目は北条家だ。
内容は、村上、佐竹、北条の和議を以前話した内容で結ぶことと、武田に呼応(援軍)しないで貰いたいこと、もしもの時は今川に援軍を出して氏真夫婦を保護して欲しいことが書いてある。
話によれば武田は北条に対して早川(氏真妻)を保護する約束をして、北条の使者付きで出陣し駿河に入ったが、今川側の兵の逃走と武田のあまりの侵攻の早さに早川は氏真と一緒に徒歩で朝比奈の掛川城に逃げ込んだらしい。
氏康はそれを聞いて、約束と違うと激怒したのだ。
これはある意味、武田は災難だっただろう。
しかし、北条の使者が武田と共に居たことが幸いし、武田に落ち度はなかったこともあり幻庵が説得し同盟破棄までは至っていない。だが、不安定になっている。
幻庵は多分、村上、佐竹、北条の三国同盟がなるまでは事を荒立てたくないだろう。
それに俺達も今介入されると、めんどいし折角まとまりかけた同盟が無に帰すから悩む。
まぁ、妖怪(幻庵)辺りは同盟後に今川に攻め込むつもりなのは気付いているだろう。
三つ目は今川だ。
これは簡単に言えば武田を攻めてくれ。それと、武田の領地は我ら(今川)の物だったから渡すことはできない。代わりに武田一族を引き渡すとある。
武田以上に論外だ。
氏真は現実を見ていないのかと思うくらいアホだと思った。武田を攻めるなら今川領は俺達が貰うに決まっている。だって海欲しいし・・・。
で、最後の一つは・・・・
「流石に直ぐに来てくれと言われてもな...」
「しかし、これが本当なら世間に流れている話が違うことになります」
最後の一つは松永久秀からだった。
まず、将軍暗殺は三好三人衆が主犯で、現三好家当主の義継は騙されて旗頭にされたこと。その為、義継は三人衆から離れ、久秀が既に保護していること。
義輝の兄弟は三人衆によって殺されたが、義輝の弟の覚慶(後の義昭)は何とか捕まえ幽閉と言う名目で保護していること。
しかし、これ以上は危ういので保護してくれと言う物だった。
流石に輝忠に見せる訳にはいかなかった。
まず、今の輝忠なら間違いなく軍勢を連れて行くに決まっている。
「荒れる。甲相駿に対する軍を引いたとして援軍に出すことができるのはせいぜい二万程度かと」
「しかし、それでは三好に対抗することは不可能です。松永殿と争っているとは言え、三万は優に出すことができます」
既に、史実とは大きく異なっている。
まず、俺達の存在。次に、越前朝倉、越後長尾の国力。斎藤、六角の衰退の酷さ。
甲相駿三国の関係などだ。
俺達のことは置いておいて、今世において一番勢力を拡大しているのは越後の長尾家だ。
越後、佐渡、越中、加賀半国を有している。
要するに、加賀、越中の一向衆は全滅させられたのだ。
景虎は加賀を有することに不満があったらしいが、宇佐美と直江が説得したそうだ。ただ、これ以上領地を手に入れることはないと宣言している。 ホントだろうか?
次に領地が増えているのは越前朝倉家で、史実とは違い加賀半国を手に入れている。まぁ、軍神と共に一向衆を絶滅させたから当然だ。
次は史実通り若狭を狙ってるらしい。
次に領地が増えているのは浅井だが、朝倉から援軍が入ってるから当たり前だ。
六角は観音寺城で浅井朝倉勢を見事撃退して、膠着状態になっている。ちなみにもう朝倉の援軍は越前に帰っている。
恐らく、史実より朝倉と浅井の関係は深く強いだろう。
逆に史実より領地が少ないのは、斎藤、織田、徳川、武田である。
織田は、史実では得ていた東美濃が無く、徳川も未だ三河一国も持っていない。
そして、甲相駿の三国同盟は崩壊寸前だ。史実では武田の駿河侵攻で北条が武田と手切れにしたが、現在は首の皮一枚繋がっている。信繁が北条から引き取りの為の使者を連れて来たお陰だろう。
武田は駿河の大部分を押さえているが、岡部等、一部の今川家臣が籠城し抵抗を続けており遠江まで進出が出来ていない。
「はぁ...。武田に氏真を北条にと言ったら絶対断るよな?」
「恐らく、受け入れないかと。今の信玄なら、例え滅んででも氏真を討ち取ると思います」
「既に駿河は武田の手に落ちたも同じです。殆どの者が寝返っております。岡部殿も時間の問題かと...」
出来れば、氏真夫婦を北条に引き渡して武田を擂り潰して駿河、遠江、三河を手に入れたい。だが、そうすれば北条が黙っていないだろう。
「仕方ない。幸隆、北条には氏真夫婦の身の安全の代わりに、武田が駿河を領有するのを認めさせてくれ」
「かしこまりました」
「昌祐は武田に使者を送ってくれ。今川夫婦を北条に引き渡す代わりに、駿河の領有は認めるとな。断るなら擂り潰すと伝えろ」
「承知しました。しかし、駿河を武田に明け渡してよろしいので?それに遠江はいかがされるのですか?」
「遠江は俺達が貰う。武田に駿河を認めさせるのは北条への盾にする為だ。全く、無駄な戦費がかかってやってられんな」
「畏まりました」
俺は武田、北条に対しては仲裁の提案をすることにした。断ったら武田は滅ぼし、佐竹と同盟して北条に当たるだけだ。
「出浦、孫六ともに、師匠(久秀)と三淵に使者を送り引き取れるよう手引きしてくれ」
「畏まりました」
(これで領地は獲れるが...三河を取るか...。しかし、兼照は大丈夫だろうか)
内心気になるのは京にいる兼照や前久、舅達(稙通、稙家)のことだった。
史実では何の問題も無いが、今は俺達との関係が強過ぎる。三好義継は一応九条の親戚にはなるが、久秀の書状を読んで不安になっていた。一応護衛は残しているが....。
なので、翌日孫六を呼び出し、追加で手練れの忍を護衛に送るよう指示した。
しかし、時既に遅くその不安は的中してしまっていた。
義照が悩んでいる頃、京で動きがあった。
「九条兼照の引き渡しを要求する!!」
「引き渡されるまで、誰一人外には出さん!!」
三好三人衆はあろうことか帝のおわす御所を取り囲み、九条兼照の引き渡しを要求していた。将軍を殺した三好勢とて流石に御所に踏み込むことはしなかった。そんなことしては日ノ本全てが敵になるからだ。
要求の理由は簡単だ。義照の息子なので人質にするのだ。人質にして村上を味方にするつもりだった。
その為、朝廷内でも意見が割れていた。
二条、一条等、村上と関係が薄い者達は三好に引き渡すべきと言い、近衛(稙家、前久)、久我等関係が深い者は拒否すべきと言っていた。
帝(正親町天皇)としても、毎年銭や酒などを献上し忠節を尽くしてくれる村上家に報いたいと思い、兼照の引き渡しは拒否したが、日に日に公家達から身の安全の保証を条件に引き渡しをと言う声が強くなっていき苦しんでいた。
そんな状態が一週間程続いたが突如終わりを迎えた。
引き渡すべきと言っていた二条等一部の公家が三好の兵を招き入れたのだ。
御所に入った兵達は兼照を確保するために部屋に向かい、護衛の抵抗空しく連れていかれた。勿論、反発した公家もいたが三好の武力で黙らされるのだった。