運送業の未来
アリーの父方祖父、デニスの朝は早い。
厩舎を見回り動物の様子を見定め、農地に赴き作物の実りを確認する。
細々とした仕事は息子達や従業員に任せているが、まだまだ動けるうちは自分の眼で確かめておきたかった。
デニスの先祖は古くからこの地に根付き、畜産を生業にして暮らし、大きな土地を持っていた。
食糧難の時代には、放牧地の一部をライ麦などの農地にいち早く変えた。その変換は更なる利益を齎し、放牧地も農地も増えた。それらを王都に運ぶための運送業も、フリーグ家の傘下である。近年では織物業の発展に力を入れ、現在は林業や水産業にも手を出そうとしている。
フリーグ家の織物業は羊毛の紡績、毛織物が主である。絹や綿布も製造しているが、生糸や綿花の生産には手を出さない。
生糸や綿花はこの地域を治める侯爵の家業である。ヴルツェルに大きな影響力を持つフリーグ家は、侯爵一族に嫌われている。拠点とする街が異なるため大きな衝突になってはいないが、年始の行事などで顔を合わすのがデニスは億劫だった。
デニスは侯爵の機嫌を取るために、侯爵家から生糸綿花を毎年多めに購入し、食料品は安めに販売している。買った物を毎年余らせず、綺麗な織物にして出荷している辺りはデニスの手腕である。
出荷までの見回りを終え帰宅しながら、デニスは氷結魔法に付いて考えていた。
孫のアリーが魔法修行にやって来たことはデニスにとって良い機会だった。
一般的に魔法が使える人の中で、氷結魔法を修得している者は多くない。火土風水、氷結、雷撃の順に取得が難しくなり、草木魔法はエルフ限定、飛行魔法や回復魔法は特殊な才能を必要とする、とデニスは認識している。
デニスはなんとか氷結魔法を覚えていて、食料品の保存や出荷時に用いている。妻や息子達は使用出来ない。
従業員の中にも氷結魔法を使える者はいる。割と高給取りである。彼らは王家や近隣領主への食料品輸送に帯同して貰っている。民間への輸送にも割り振りたいが人員は足らない。そもそも運搬費用で赤字になりそうだ。
氷を発生させる魔導具も存在するが、運送には使えない。盗賊共に奪われようものなら大損害である。金持ちの倉庫で食料品を保存するのが魔道具の役割だ。
これから王国が、そしてフリーグ家が更に発展するには運送業が大事だと、デニスは考察する。
飛行魔法による長距離輸送は、消費魔力に対する運搬量が少なすぎる。救急や伝令などでは役に立つだろうが、一般の食料品ではダメだ。大きな飛行魔導具で物品を大量輸送する時代が、いつか来るだろうか。
空がダメなら水運だが、この辺りの川は川幅が狭く水深も浅い。場所によっては流れが急で、小舟では安定して通過出来ない所もある。急流下りを観光にしている街もあるが、輸送をするなら大きな帆船が使える王都周辺から海までが適している。
やはり陸での輸送量を増やしたい。理想は御者全員が氷結魔法を使えること。護衛に当たる者が使用出来てもいいが、フリーグ家が雇っている護衛は力強い獣人が殆どだ。獣人は魔法が使えないが戦闘用の特殊な能力を身につけている、というのが一般常識である。
氷結魔法使いが同行する時、歩いてもらう場合もあるが、馬車に乗るための隙間を作る。魔法使い用の食事や寝具なども必要になり、物の運搬用が少なくなってしまう。氷結魔法使いを護衛の頭数に入れて怪我をされても困る。彼らは御者を覚えてくれるだろうか、強要するともっと待遇の良い所へ転職してしまうだろう。
何とかして御者に氷結魔法を、とデニスは思っていると家を通り過ぎそうになった。
妻のリタと遅めの昼食を取っていると、賑やかな同居人が帰って来た。
「ただいま、お腹空いたぁ。あ、お祖父ちゃんお祖母ちゃん、氷出せるようになったよ」
食堂に入って来て早口で捲し立てるアリー。その後ろには走って来たのか息を切らせたアンナと、案内として付けていた獣人の女の子クロエが居た。クロエはアンナと違って息は乱れてない。
「色は黒、水から変われ、氷結よ。熱を奪えや、礫集まれ」
先程の挨拶とは異なり、ゆっくりと、一言一言丁寧に喋り、魔力を込めるアリー。ゆっくりだが小気味良い流れがあり、何となく歌っているようにデニスは感じた。
アリーは右手の平を斜め前方に向け、最後に一言、大きく発声する。
「氷塊」
アリーが手を向けた床に小さな氷の粒が出現。したと思う間も無く急速に膨れ上がり、アリーの膝下くらいまで達する大きさの、氷の塊が出来上がった。
氷の出現により下がる室温とは反対に、デニスの熱は上がり始めた。
まだ来て数日しか経っていない。こんな速度で修得できる魔法じゃない。デニス自身は何年もかかって使えるようになった。
そしてあの歌は何だ。
「おめでとう。こんなに早く出来るとは思わなかったよ」
固まっているデニスに先んじて、リタがアリーを褒める。
褒められたアリーはリタに抱きついて嬉しさを表現した。
遅れたデニスも何とか賞賛を口にし、更に疑問を投げかける。
「今の、歌、みたいな物は何かな」
「うーん、歌、かな」
アリーも自信が無いのか、答え方がおかしい。
歌、でいいか。
「その歌は、魔法を使うために、必要なのかな?」
デニスは少しずつ考えながら質問する。
我が意を得たりと笑顔になるアリー。
「全然上手く行かないから、昨日王都まで飛んでってゲオルグと話して来たの」
知らなかった。昨日の夕食は一緒に食べたぞ。どれくらいの速度で往復したんだ。
デニスはアリーの魔力量に驚愕した。
「コトダマ、って知ってる?言葉には力が宿るんだって。言葉にすれば、上手く氷を作れるんじゃないかって」
アリーは続ける。
「後は、王都の図書館で借りた本を見せて貰った。水が氷になる仕組みを勉強した。それで、氷を作るんじゃなくて、作った水を冷たく冷たくしていって凍らせる、って考えたの。今なら熱湯から冷水まで自由自在よ」
こんな子供達がそこまで考えるのか。デニスには信じられなかった。
アンナに説明を求める。
「アリー様の言葉は本当です。私も何とか王都までついて行って話を聞いていましたので。この言霊は昨夜からアリー様が考えて作成しました。そしてこの言霊の素晴らしいところは」
アンナは話を途中で切り上げて、先程アリーが言葉にした物と同じ内容で歌い出した。
こちらは淡々とした調子で、歌っぽくはなかったが。
歌い終わり氷塊と発した直後、アリーが作った氷と同程度の大きさの物が、新たに出現した。
「私でも使えるところです」
アンナがちょっと自慢気に言う。
「おそらく水の色と、水が氷になるという知識があれば、この言霊は使えるのではないでしょうか」
アンナの言葉に、まさかクロエも、とデニスは獣人の女の子を見遣る。
「私は使えませんでした」
残念そうに言うクロエ。
「多分水魔法が使えることも条件だからね。クロエちゃんはお姉さんと水魔法の勉強しようね」
リタから離れ、クロエに飛び付いたアリー。クロエの頭をわしゃわしゃと撫で回している。
耳に当たったのか擽ったそうにするクロエ。
水魔法ならリタも使えるはずだ。
アンナからリタに指導して貰う。一言一句意味があるらしく、よく聞いてその考えを理解する。
数分後、気恥ずかしそうにリタが歌う。それは前の2人よりも歌らしかった。
「氷塊」
室内に3体目の氷が作られた。
デニスとリタは歓喜した。
リタは新たな魔法に、デニスは運送業の未来に。
皆に待っていてくれと伝え、デニスは食堂を飛び出した。
先ずは息子達家族を呼びに行こう。彼らも水魔法は使えた筈だ。
それから御者の選別だ。最終的には全員氷結を使って貰いたい。
早くしないと2人が王都へ帰ってしまうかもしれない。屋敷を出て飛行魔法を使う。デニスは久し振りに、全力で空へ飛び上がった。
この日、ヴルツェルで輸送革命が起きた。
生肉や生野菜を冷蔵、もしくは冷凍で運ぶ。先ずは王都の住民へ。そこからじわじわと広がり、フリーグ家の氷結輸送隊は国中へと足を延ばす。今ではヴルツェルで、干物じゃない海水魚も食べられるようになった。
フリーグ家は情報を秘匿としていたが、自家の利益が確立したところで解禁。アリーの言霊を詠唱魔法として世に広めた。
興味のある魔法研究者が、引っ切り無しにやってきたと言う。
フリーグ家で働いていた氷結魔法使い達は輸送業の職を失った。
退職金を多めに貰った氷結魔法使い達は国中に散らばり、そこで新たな商売を起こした。
屋号は、フリーグアイスクリーム、で統一されている。
職を失う魔法使いの手当てとしてゲオルグとアリーが考案した氷菓子屋で、フリーグ家が資本金を提供している。
味の決め手は、ヴルツェル産の濃厚な牛乳である。
アリーとアンナはしばらくヴルツェルに留まり、魔法を教えた。
デニスは2人が帰る時に沢山のお土産を持たせてやった。男性陣には酒が、女性陣には織物が喜ばれた。
その後もアリーはちょくちょくヴルツェルに通っている。
アリーが一緒にと言ったことがきっかけとなり、クロエもデニス夫婦と食卓に着くようになった。
いつのまにか長男家族、次男家族も席に座っている。
アリーがまたフォークを高く掲げて宣言している。
食事が楽しいのは良いことだ。デニスとリタは笑い合った。