団長の心配
アリーに殴られて部屋を出て行った男爵を追いかけたヴァルターはベリーソース入りの瓶を男爵に手渡した。
「なるほど、今日の腹痛が広まる前に購入した物か。少なくともベリーソースの屋台の店主が無実だと証明するのには使えそうだな。ありがとう、一旦借りておくよ」
ヴァルターから瓶を受け取った男爵は急いで宿を出て行った。
妻へのお土産が無くなってしまった事をヴァルターは少し後悔をしたが、これであの屋台の店主が護られるのならそれでいいと自分に言い聞かせた。あの懐かしくて美味しいソースが悪役にされ、子供達に悪印象を与えるのは回避したかった。妻への土産は、時間を見つけて買いに行こう。
決勝開始前まで宿屋で休んでいたヴァルター達は子供達が十分に回復したのを確認して、決勝を観戦する為に動き始めた。このまま観戦せずに休ませようかという案も出たが、子供達の希望を出来る限り優先する形を取った。その代わりにもう屋台で何かを購入することは出来なくなってしまった。屋台から眼を逸らして我慢する子供達の手前、妻への土産を購入したいヴァルターも一緒に我慢している。
ヴァルター達は予選と同じ外壁の上で決勝戦を観戦した。
開始合図前に動き出した舟が先頭の舟に激突した時は、子供達から悲鳴と非難の声が相次いだ。特にゲオルグが憤慨していた。
ぶつけられた舟に男爵家の舟が近付き、操船者のアリーが魔法を使って壊れてしまった船外機を直した時は子供達からよくやったと声援が巻き起こった。しかしヴァルター達傭兵団の皆々は、やられた、と苦々しく思った。誰が計画したのか知らないが、アリーの性格を利用したなかなか良い手を使ってくる。
3位の舟を利用して1位の舟を動けなくする。1位の舟はヴルツェルフリーグ家の舟で、予選でアリーと対戦し勝ち上がった舟だ。アリーなら十中八九勝ち逃げはさせないと判断し、ぶつけられてまともに動けなくなった舟をアリーが魔法で修理するように仕向けたんだ。
ヴァルター達の読み通り、アリーが1位でゴールした後に審議が行われ、魔法を行使したアリーは失格となった。この競艇はそう言う競艇だった。怪我をさせられず失格になっただけマシだと傭兵団員は納得していた。
しかしゲオルグは怒りの表情を全く隠そうとしなかった。怒る理由も分かる。ゲオルグはこの競艇の為に一生懸命舟を作って来たんだ。それを見ていたヴァルターも怒るなとは言えなかった。だが、1人で駆け出して行ってしまうのは了承できない。ヴァルター達は通路に立ちはだかり、今にも駆け出して行こうとしていたゲオルグの進路を塞いだ。
「なんで止めるんだよ。皆は悔しくないのか。理不尽だと思わないのか」
ゲオルグが怒気を強めた声で叫んだ。普段は物腰柔らかいゲオルグの変化に子供達は驚いていたが、ヴァルターは怯まずに一歩前へ出た。
「皆ゲオルグ様と同じ気持ちですよ。でも、公爵がそう決めたのならもう覆らないことも皆理解しています。ゲオルグ様も気付いていますよね。この競艇は公爵が勝つために色々と手が回されていたんですよ」
ゲオルグが年齢に似合わず聡い子だというのは男爵家の村に住む人々は皆知っている。今ヴァルターが言った内容も、態々口にする必要も無い程ゲオルグは理解出来ているはずだ。
苦虫を噛み潰した様な顔で我慢するゲオルグの周囲に、マリー以外の子供は近寄ろうとしなかった。
無理矢理納得させて抑え込んだゲオルグの怒りは、男爵とアリーの顔を見ると再び爆発をした。2人が悔しがる様子も無く笑っていたのが癇に障ったのかもしれない。ヴァルターはゲオルグの評価を少し怒りっぽい性格だと上書きした。
「怒りっぽいというか自分の判断を曲げないというか、自分の中での正義がしっかりあるんだと思います。多少傲慢に感じる部分もありますが、私はゲオルグ様の性格は分かり易くて好きですよ。すぐに感情が顔に出るのは何とかした方が良いと思いますけどね」
いつもゲオルグにくっ付いて行動しているマリーの言葉にヴァルターも納得した。自分の中での正義、か。7歳が使う言葉では無いなと思い、今後はゲオルグ以上にマリーを注目しようとヴァルターは心に決めた。
子供達が寝静まった夜、ベリーソース屋の件はどうなったかと、ヴァルターは男爵に確認した。
「あのベリーソースの瓶を持って国王に捜査を依頼すると公爵に話した。案の定国王に出張って来て欲しくない公爵は交渉を持ちかけて来た。向こうがベリーソース屋を解放する条件に、ソースの瓶を渡すこと、王家には何も言わないこと、競艇の結果には文句を言わないこと、この交渉内容を口外しないこと、その4つを提案された。解放するだけじゃなく、ベリーソース屋が食中毒の犯人では無かったと公表することを条件に入れる事で合意したよ。ヴァルターには申し訳ないがソースを返す事は出来なくなった。申し訳ない」
まあそうなるよな、とヴァルターは納得した。公爵自身が関わっているのか、部下か身内の犯行を隠したいのか分からないが、より強い権力で詳しく操作されては色々と困るだろうな。懐かしい記憶を思い出させてくれたベリーソース屋の店主が解放されたのは喜ばしいが、ヴァルターは妻への土産をどうしようかと考えていた。このままだと、こちらが大変な事になる。
「これは店主から聞いたソースの代金だ。それとこの布なんだが、これはこの街で織られた布で、割と質が良くて有名なんだ。奥さんへのお土産としてソースの代わりにどうだ?」
店主からソース販売の経緯を聞いたという男爵が持ちだした提案にヴァルターは二つ返事で了解した。ヴァルターの妻は裁縫も得意だ。ソースの件は残念だけど、この肌触りが良い布はいい土産になる。
ゲオルグはもっと身近な人生の手本から色々学んだ方が良い。男爵が引退した後の未来を想像して、ヴァルターは少し不安に思っていた。




