はち
主人公、再登場。
「おや、あそこでうたた寝をしているのは、我が妹かな?」
夜勤明けで寝ていたラーゼフォン公爵家の三男ヒースクリフは、玄関エントランス横に備えられたカウチソファーでうとうとしている妹を見つけた。
服装は礼拝堂に赴く際に着る黒い簡素なドレスだ。
「ブランジェは、どうしたのかな?」
頭を掻きながら尋ねると家令のジュゼッペが頭を下げる。
「礼拝堂で何やら騒動があったらしく、お嬢様は途中でマリアも連れず転移し戻られました。……それにしても、ヒースクリフ様、そのようなお姿を奥様が御覧になられたら、」
ヒースクリフの姿は言ってみればパジャマである。
「まぁまぁ、母上が居ないことを分かってやってることだから。」
共に出た母も弟も、そしてマリアすら置いて帰って来たとなると、余程のことだとヒースクリフは悟る。
「で、何でブランジェはこんなところで?って、あー分かった。」
勝手に帰って来たことは、母から教えられたマナーに反する。そして、簡単には寝室にて休めぬよう扉には、母の術が掛けられている。だから、母親が帰ってきたら直ぐに弁明出来るよう待機しているのだろう。
ブランジェの魔力なら、母の術など簡単に解けるだろうが、長年の生活の中で“母には逆らうべからず。”がラーゼフォン家の面々には染み付いていた。
「気持ちは分かるけど、ジェジェ?そんな所で寝ていると母上に叱られるよ?」
そっと囁くと長い睫毛が震えて美しい瞳が現れた。
「ヒー兄さま?」
「そうだよ、そんな処でうたた寝はだめかな?」
手を差しのべる兄。
「うっー。」
「唸ってもだーめ、母上やマリアに叱られるよ。」
ぐずる時の妹は、幼い頃を思い出させヒースクリフをほっこりさせる。
母親からの厳しいマナー教育と、王妃教育のお陰で世間ではすっかり完璧な貴族令嬢と知られる彼女だが、身内の中では可愛いお姫様だ。末っ子のラドクリフすら、見事なシスコンである。
「さ、おいで。兄さまが温室に運んであげるから。」
ヒースクリフの研究施設でもある敷地内の温室には寝心地のよいハンモックがある。
大人しくヒースクリフにお姫様抱っこされているのは半分寝ているからだ。
両親からブランジェの力の秘密を聞いた時、長男は10歳、次男7歳、ヒースクリフ6歳の時だった。1歳になったブランジェは1日の殆どを寝ているが各々が寝ているブランジェの側で本を読んだり、朗読をして聞かせたりした。長男エドウィンは経営学書、次男ルーファスは剣術指南書、そしてヒースクリフは魔法学書を読み聞かせていた。自分の好きなジャンルを選んでいたのだが、そこに愛情は確かにあったので誰も諌めなかった。ブランジェが甘い恋愛小説よりも歴史書やノンフィクション小説を嗜むようになったのは幼女時代の睡眠学習による。因みに珍しく開眼しているブランジェを見ると幸運が訪れるとしたのは長男である。
ブランジェの秘密が明かされたのは自己の考えをしっかり持つようになってからだ。しかし、秘密を知ったとしても兄弟は今まで通り皆、彼女を愛しているし、守ると決めていた。そして、ブランジェ自身も自分の強い眠気の理由を5歳の時に知らされることになったのたが、眠気と戦いながら貴族令嬢として恥ずかしくないよう頑張ってこれたのは、家族からの愛情に答えようとした結果だった。




