第8話 出会った二人①
僕は今、衝撃的な光景を目の前にしていた。
あの後もずっと海の中を歩いていた僕の前に現れたのは、雄大な山だった。
空間ごと切り取って、別の場所にそのまま張り付けたようなその山は
目を引き寄せ、知らず知らずのうちに目を離せなくなった
とここで、もう一つの違和感に気付く。
なんと山頂にこの世界に来てから一度も見ていなかった人の姿を確認したのだ。
僕はそのことがたまらなく嬉しくなり、山に向かって走り出した。
「や、やった!!やっと人に会える!!」
夢か幻かと若干思いはしたものの。それでも信じたかった。
あれが僕と同じ人間だということを。
今までに感じたことのないほどの興奮を胸に僕は走る。
そして彼女の姿をきっちりと視認した瞬間、声をあげた。
「お~い!!」
彼女は驚きのあまり腰を抜かしてしまったようで、
僕の姿を見た瞬間、足を縺れさせてこけた。
まあ、よく考えてみれば、驚くのも無理はないと思う。
なんせ海の中から人がすごい勢いで走ってきて、自分に声をかけてきたのだ。
僕がもしも彼女の立場でも間違いなく驚くだろう。
腰を抜かしてしまった彼女は立ち上がろうと、足に力を入れている。
しかし、立てそうになかった。
僕は声をいきなりかけてしまったことに罪悪感を感じてしまった。
だけど、このまま何もしないで彼女が立つのを待っているというのは
どうも趣味が悪い感じがした。
僕は彼女にごくごく自然に近づいて行くと、手を差し伸べた。
彼女は僕の手をじっくりと凝視した後、手を掴んでくれた。
警戒心を前面に出されて、少しショックを覚えたけど、
彼女の体を引っ張って、立たせてあげる。
彼女はなぜか少しだけ顔を赤らめていたが、僕と目を合わせて言った。
「ありがとう」と。
私は今、何を見せられているというの?
それが初めて、彼を見つけた瞬間だった。
さっきまで私の目の前にあった景色は山だけだったはずなのに、
頂上にたどり着いた瞬間にそこにあったのは一面の海。
通常であれば、相反する2つの景色が同時に私の瞳に映っていたのだ。
それだけでも私の頭のキャパを大幅に超過しているというのに、
その海の中をまるでそこに水が存在しないかのように歩く
私と同年代か年下の青年。
正直、信じられなかった。
だけど、これは夢でも幻でも妄想でもない。現実なのだ。
とそこまで考えていると、青年はこちらに気付いたのか、走り出してきた。
それもすごい勢いで彼は迫ってきたのだ。
海の中から出てきたというのに彼の体は全くと言っていいほど濡れていない。
ただ私を見つけたことがよほど嬉しかったのか、
すごい勢いで出てくる汗を物ともせず彼はすごい笑顔で走ってくる。
正直言って不気味以外の何物でもなかった。
だけど、さっきまでこの世界には私一人しかいないのかもしれない。
とほんの少しだけ考えていた私にとって、
そんな彼でも安心感を与えてくれる存在だった。
そして彼が「お~い」と私を指して呼んでくれた瞬間。
安心感がとてつもなく大きなものとなってしまい、
思わず安心感で足の力が抜けてしまい、こけてしまった。
そんな私の挙動を見て、彼も当然驚いていた。
私は(立たなきゃ!!)と本気で思った。
だけど、それをすっかり安心感に支配された私の体は許してくれなかった。
どう頑張っても立てそうになかった。
そしてそんな私の行動を自分のせいだと思ってしまったのか、
彼の表情がほんの少しだけ暗くなってしまっていた。
少しの間、沈黙がお互いの間を包む。
だけど、その沈黙はすぐに彼が近づいてきて
手を差し伸べてくれたことで無くなった。
その手を掴むと、彼は私のことを立たせてくれた。
私はそんな彼の優しさに報いたいと思ったし、
私がこけたのはあなたのせいじゃないということも伝えたかった。
少し照れ臭い気分を押し隠すように、彼の瞳を見つめる。
そして、取っ掛かりになる言葉を口に出した。
「ありがとう」