第1話:先輩と後輩
「橘さん!!」
今日もまたいつも通りの日々が始まる。
俺を呼ぶこの声の主は多分、正吾だろう。
正吾はいつも俺のことを見つけると、子犬のように近寄ってくる。
そして挨拶を交わしたのち、共に大学へと入っていく。
これが俺、橘涼平の日常だ。
そう思っていた。
(ここはどこだ?)
さっきまで大学の正門を通ったばかりで、校舎が見えていたはずだ。
なのに今俺が見ている風景の中に校舎どころか建物の一つもない。
視線上に広がるのは広い草原のみ、人の姿すら確認できない。
今まで見てきた日常の風景とは全く違う現状に戸惑いを隠せなかった。
ここがどこで、なんで俺がこんな場所に一人存在するのか
分からないことだらけだったが、じっとしている気にもなれず、
前に向かって歩き出すことにした。
しかし、景色は変わることがなく、草原しか目に映らない。
こうも同じ風景がずっと続くと、自分が本当に歩いているのか、
動いているのか分からなくなってくる。
しまいには時間の概念すらわからなくなってきていた。
おそらく、1時間程度は歩いたが、景色に何の動きもなく、空は明るいまま
ふと思う。
俺は死んでしまったのではないか
昔、本で読んだことがある。
死後の世界には天国と地獄の他にもこういう風に
同じ場所をずっと繰り返させる場所が存在すると。
その場所へ送られるのは生きていた時に何の罪も侵さず、
何もいい事をしなかった人のみが送られると書かれていた。
ここがもしそんな場所だとするならば、これほどの地獄はないのではないか。
俺は溜息を吐くと、そのまま芝生の上に寝転がり、目を閉じることにした。
(もう考えるのはやめておこう。考えるだけ無駄だ)
橘さんが突然、目の前から消えた。
いつものように橘さんに近づいて行こうとしたその矢先、消えた。
まるでそこには最初から何も存在していなかったかのように、
僕以外の人は人が消えたというにもかかわらず、
どの人も無反応にいつも通りの生活を送っている。
ある者は友達と仲良さげにおしゃべりをし、
ある者はスマホを持ちながら人にぶつかりそうになっている。
その誰もが一人の存在が突然消えたことに気付いていない様だ。
僕はいつの間にか、鳥肌を立て、恐怖を感じていた。
(なんでみんな、橘さんが突然、消えたのに反応がないの!?)
思わず叫んでしまいそうになる心を必死に律した。
それから何分、何時間、何日、何か月が経っても、
あのときの事が大学内の話でも誰一人されることはなく、
さらには誰一人として橘さんのことを知っている、
正確には覚えている人はいなかった。
橘さんはサークルの副部長のポジションだった。
それにも関わらず、サークルの誰もが彼のことを覚えていない。
知らない。分からないの一点張りで、副部長のポジションも
何の違和感もなく、他の人が代わりに行っていた。
というよりも、元から副部長はあの人だった。
というのがサークル全体の意見だ。
僕は橘さんのことを消えた日からほとんど毎日に近いくらい、探した。
だけど見つからなかった。
そして、そんな日々ももうすぐ終わらなければいけない。
あと1月後には4回生になり、就活をしなければいけない。
そんな時期に手掛かりが全くない人間を探すことなんてしていたら、
就職できないまま卒業ということにもなりかねない。
せっかく、大学まで行かせてくれたのに、
それじゃあ家族に面と向かって素晴らしい大学生活だったなんて言えない。
そんなことは僕は嫌だった。
だから、もし今日もいつも通り、橘さんの手がかりが見つからなかったら、
その時は諦めよう。そう決意をしたまま、僕は校門をくぐった。
(なんだろう、ここ?)
さっき校門をくぐったはずなのに、
見たことのない景色が僕の目の前には広がっていた。
そこは海だった。
それもどこまで行っても続くような海。
周りには白い砂浜だけで、他には何もない。
海にならおおよそあるだろう。海の家もパラソルも僕の視界には見えない。
一面に広がる海と白い砂浜、女の子なら憧れるようなその光景だったが、
僕にはなぜか不自然な光景にしか見えなかった。
僕は意を決して、海の中へ飛び込もうと思った。
このまま白い砂浜だけを見ているのは疲れるし、
これがもしも夢だとすれば、泳げるはずだ。
僕は現実では全くといっていいほどに泳げない。
そんな僕が海に飛び込むという無謀な行為をする。
これがもし現実なら少し苦しむと思う。
少し、怖くなってきた。
だけど、このまま何もせずにいても、
意味はないような気がして、飛び込んだ。