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七話


 灰色がかった黒い雲が押し寄せる。はぁ、と吐いた息は白い。これから降るのは雪ではなくきっと雨だろう。


「……先輩。肩くらいなら貸しますけど」


 空から、ぼたぼたと涙を落とす先輩に視線を戻した。


「……ぅぐっ、いい、っ」

「そうですか」


 好きな人が失恋して泣く様子に最初は傷付く乙女心もあったけれど、一向に泣き止まないし、ずびずび鼻水まで垂らしているので感傷的な気分はすっと消えた。むしろ冷静だ。


「い"のぉぉお……好きだぁぁ」


 先輩の鼻が詰まりすぎているせいで緋乃、が志乃にも聞こえドキッとしてしまう。

 この後に及んで馬鹿みたい、なんて自嘲しながらも情けない先輩の姿がなんだか愛しくて。

 ぽんぽんと頭を撫でて上げる。


「お前、良いやづだなぁぁあ」

「良い奴なんかじゃないですよ」


 あー、先輩、鼻がつまってるし。

 手を引っ張って立たせる。持ち歩いていたハンカチをはい、と渡す。ついでにティッシュも。


「いや。照れるなって。ほんと、良い奴だよ」

「違いますよ? 部長である先輩に優しくしとけば、次期部長になりやすいじゃないですか」

「ほんとに違った!?」

「部長って推薦に有利そうなんでなりたいんですよね」

「しかも理由が酷い!」

「下さい。部長の座」


 ズッと距離を取った先輩が「お前にだけはやらん!」と叫ぶ。


「部に対する愛が足りない!」

「溢れてますよ。アイラブ写真部」

「棒読みにも程があるだろ」

「照れ隠しですよ」


 いつものように軽口を叩いたら、回復したらしい。


「ごめんな」

「ありがとうなら受け付けてます」

「……そうだな、ありがとう。ハンカチを洗って返すから。行こうか」

「あ、もう今日は送って下さらなくていいです」

「いや、でも」


 大丈夫だから送っていく、と言いたげな顔に手のひらを向けて制す。


「いえ。気遣ってるわけじゃなくて。普通に私がそんな顔の人と歩きたくないんですよね」

「ひでえ」

「泣かせたと誤解されそうですし。ここで解散にしましょう」


 自分で提案したけど、初デートの終わりはこんなものか、と少し痛む胸を抑えた。

 悪いことしちゃったな。先輩はバスだから、バス停で別れていたらあの二人を見ずに済んだのに。私を送るためにここまで来てくれたせいだ。


「先輩、バスですよね。ちゃんと前見て気を付けて帰って下さい」

「おう、結城も。暗くなりそうだし、気を付けろよ」

「はい。ではまた部活で」


 背を向けて、歩き出した。

 ……先輩の様子を見た後で、緋乃のこと、心から祝福出来るかな、なんて考えていたとき。


「志乃」


 低くかすれた声が真上から聞こえた。名を呼ばれたと気がついたのは数秒たってから。背後から抱きしめられていると気がついたのはもっと後。


「……な、なん」

「顔、あげるなよ。見られねぇ顔してるから」


 さっき散々鼻水をたらして大泣きしてる顔を見せたくせに、今さらすぎる。あれ以上があると。いったいどんな顔だと言うのだろう。

 バクバクと早鐘を打つ心臓とは裏腹に思考だけやけに冷静だ。


「あの、せ、先輩?」

「志乃」


 それはまるで壊れ物を扱うかのような声音で、ああ、そういえば下の名前で呼ぶと言ったくせに結局呼んでなかった。


「志乃。志乃、ごめん。……好きだ」


 ──世界が音を失ったのかと思うくらいに。

 その言葉を聞いた瞬間に、周囲の音が消えた。

 え、と呟いたはずの自分の声すら聞こえない。肩に回る力が強くなる。


「ごめん。酷いよな、こんな、失恋につけ込むような真似して。でも、抑えんの無理だった。ごめんなあ、本気で好きだ。好きなんだ……っ」

「……ぇ、あ」


 好きって。なにそれ。どうして。先輩は緋乃が好きなんじゃなかったの? なんで謝るの? 私はずっと好きだった。嬉しい。嬉しいのに、苦しい。どうして、そんなに辛そうなの? 失恋ってなんです。失恋したのは先輩でしょう?

 言葉が胸の中で渦巻いて、詰まって、口から出てこない。身体が自分でも分かるくらいに強ばっていた。


「ごめんな」


 もう一度先輩はそう言って、回していた腕を解いた。

 身体が離れていく。


「返事はいいよ」


 足音が離れていく。


「っ、せんぱ」


 先輩の心が離れていく。


 なのに、くたりと力の抜けた身体は動こうとしてくれない。顔は真っ赤になっても、足下が冷えついて立てない。訳が分からないと心が叫んでいるけど、声が出ない。

 追いかけなきゃ。わかってる。ここで捕まえないときっと今度は誤魔化される。なのに、でも、けど、だけど立てない。

 胸が苦しい。胸が痛い。訳がわからない。悲しい。心臓がうるさい。寒い。涙が出そう。

 ああ、でも嬉しい。……そう、嬉しい。

 自覚した途端すっと足まで血が通った気がした。


 先輩の言っていることが分からない。

 分からないから、ねえ、先輩。話がしたいです。


 角を曲がるとバス停のベンチに座っている姿が見えた。


「せん、ぱいっ!」


 ぎょっと振り向いた先輩は、思いっきり顔を背け、あろうことか来たバスに乗り込もうとする。

 ……は?

 湧き上がったのは、避けられた悲しみではなく、苛立ちだった。

 言っときますけどそれ、乗るバスじゃ無いの分かってますからね!

 言い逃げなんてさせない。バスに乗り込むより、早く! 念じながら地面を蹴って、手を伸ばす。


「わっ」


 瞬間、風が吹いて、おろしたままの髪が視界をふさいだ。掴もうとしたコートは指先を掠めて届かない。

 けど、


「待って、てば!」


 やたらと長いマフラーはしっかりとつかんだ。



 何か考える前にずんずんと足が勝手に小太郎さんの店に進む。「結城! 頼むから離してくれ! ……えっ、コレ俺全力出してるぞ!? 全然離れな、力強っ!」と騒ぐ先輩は完全に黙殺する。誰がゴリラですか。

 近くまで来てから今日は開いてないことを思い出したけれど、喫茶店の灯りがついていたのでそのまま向かうことにした。

 タイミング良く、扉を開けて出て来た小太郎さんと目が合う。


「志乃! 家にいたんじゃないのか。緋乃が今、」

「小太郎さん、プロポーズ成功おめでとう!」

「え? なんだ知って、」

「でも、ごめん。今ちょっとそれを喜ぶ余裕がないの。喫茶店開けてもらえない? 鍵は後で返すから。あと、帰ったら全力で祝うから」


 言葉尻をすべて奪った私になにか鬼気迫るものを感じたのか、鍵を手のひらに落としてくれた。


「ゆう、」

「先輩は黙って下さい。話が進まないんで」


 小太郎さんが何かを理解したみたいに頷く。


「鍵、預けてもいいんだけど。どうせだし、コーヒー淹れるよ。用意するから座ってて」


 ご馳走になります、と答えて先輩を奥の席にぽんと放り投げた。

 辺りを見回してなおも逃げようとしていたけど「鍵閉めましたよ」と適当な嘘をつけばようやく観念したのか大人しく座った。


「まず聞きたいんですが。先輩は、緋乃のことが好きなんじゃないんですか?」

「うん。結城がそう誤解してるのは知ってた。で、途中からそういうことにしようって思ったんだ。ごめん」

「なんで、そんな面倒なこと」

「全部説明するから、とりあえず、ここ出よう。結城もここだと辛いだろ」

「っ辛くないですよ。緋乃と小太郎さんが結婚することになって、隼人先輩から告白されて! 私超ハッピーなはずなんですよ!」


 なのに、先輩の態度は……っ!

 勢いのまま怒鳴るとくすくすと笑い声とともにコーヒーがテーブルの上に置かれた。


「口挟むつもりなかったんだけど。成功者からのアドバイスをするとね、志乃は大切なこと言ってないよね」

「大切なこと……」


 小太郎さんは私の頭を撫でてから、焙煎室に下がる。

 昔からこうして甘やかしてくれた小太郎さんは私にとってのお兄ちゃんだった。そして、これからは本当に家族になるんだ。そう思うと荒れていた気持ちが落ち着く。

 そうだ。私まだ好きだと伝えてない。


 淹れて貰ったコーヒーを一口飲んで、勇気を貰う。


「あの、先輩。私、先輩に言わなきゃいけないことが」

「いいんだ。言わなくて。分かってるから。結城の好きな人が誰かなんて」


 私の好きな人は目の前にいる貴方なんですが。

 なんで、そんなに切なそうな顔をされなきゃいけないんだろう。何か大きな誤解がある気がしてならない。


「いや、あの、多分ですけど、分かってないんですってば」

「俺だって、傷心なんだからさ。まだ直接聞きたくないんだ」

「自己完結してないで聞いて下さい!」


 あー、もー! まどろっこしい!!

 一方的に話を終わらせてうつむく先輩の肩をつかむ。


「遠野隼人!」

「は、はいっ」


 呼ばれて思わず顔を上げた先輩。手を肩から後頭部に移動させて身を乗り出して、……唇を押しつけた。

 初めてだし、勢いだし、下手くそだったと思うけど、せめてもの抵抗に三秒数えてから離れる。

 唇から、コーヒーの味がした。


「こういうことですよ!」


 私の顔を見て、指で唇に触れて、触れた指を見て、そうしてまた私の顔を見る。

 ぽかんと口を開ける先輩は徐々に状況を理解してきたのか、顔が赤く染まっていった。


「…………へっ」

「先輩。私、先輩のことが、」


 こんな力業じゃなくて改めて告白しようと言葉を紡いだとき、バァン!! 大きな音がして扉が開け放たれた。


「こたろー! 志乃まだ帰ってないって。一緒に探しにいこー!」

「……緋乃」



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