四話
「じゃ、マフラーは明日洗って返しますね」
「おう……」
「どぞ」
出来たてのコーヒーをコトリと置く。
「はー、結城のコーヒーはやっぱうめぇな! 毎日でも飲みたい」
「なんですか、プロポーズですか」
「俺のために毎朝コーヒーを淹れてください」
「ごめんなさい。私、結婚相手は年収一千万円以上と決めているので。高校生は眼中にないんですのよ」
「ひでえ!」
先輩はけたけた笑う。
冷蔵庫から、余っていたケーキも取り出した。
「良かったらどうぞ。渡したやつと同じですが」
「気ぃ使わせて悪いな」
「あ、でも隼人先輩のにはハートマークが付いてますよ。ほら、本命ですから」
「本当は?」
「チョコペンが少し余ったので使い切っちゃおうと」
チョコペンが余ったから勇気をだそうと。
冗談めかしてなら、本命だと言えるのになぁ。まあ、でも、一応本命と伝えられたから。伝わらないけど伝えられはしたから。私はそれで満足だ。
「あ、ストップ!」
思わず、食べようとした先輩の手をつかんだ。
「な、なんだ?」
「あの、やっぱり食べないで下さい。見てる前で食べられると、その……」
「照れる?」
「いえ、隼人先輩がここで死んだら計画が台無しじゃないですか。何のために不特定多数から手作りお菓子が送られる日を狙ったのか分かりませんよ」
「結城のチョコは毒でも入ってるのか!?」
「愛情シカハイッテマセンヨー」
「素晴らしい棒読みだな!」
後輩怖いと騒ぐ先輩からチョコを取り上げて冷蔵庫に戻す。
緋乃のチョコの余りが見えたけど、うん。やめておこう。
……緋乃は頑張った。頑張りはした。けど、ようやく形になった程度であり他人様に出せるものじゃない。
小太郎さん? いずれ他人ではなくなるからいいのだ。
「結城のアルバムとかねぇーの? 家に来たらアルバム見せるのが定番だろ」
「先輩の定番を押しつけないで下さい。人の子供時代見て何が楽しいんですか」
でも、先輩の子供の頃の写真とかは気になる。
「ええー」
「それに、天使のように可愛い私を見たら惚れるでしょう? ロリコンに目覚めちゃったら大変じゃないですか」
「っねぇよ!」
先輩が顔を赤くして叫ぶ。
「……え、あ、そう、ですよね」
本当に怒っているような表情だったので、びっくりして言葉が出てこなかった。
……もしかして私じゃなく緋乃の写真がみたくて言ったんだろうか。それなのに的外れなこと言われて怒ったのかな……。
ん? そういえば先輩って私と緋乃が姉妹だって知ってたっけ? 言った覚えはないけど、小太郎さんの喫茶店の常連、と言っていたから前に緋乃から聞いてるか。
私が初めてバイトに入るときハシャいで言って回ってたし。ほんと、恥ずかしかった。
「あ。わ、悪い」
「いえ……なんかごめんなさい」
なんとなく気まずい空気になってしまって、目線をそらす。と、一枚の写真が目に入った。
前に撮った、小太郎さん単体の笑顔の写真。
認識した瞬間、慌てて伏せた。
「結城?」
「先輩。これ見ました?」
「いや、みてねぇけど」
「……良かった」
見たら緋乃が好きな先輩はきっと傷つく。見せたくないなって思った。
後ろを向いて、溶かし終えた砂糖とスプーンを片付けながら、なんともない風を装って声を出す。
「あー、そういえばさっき、呼び名の話したじゃないですか」
「ん? ああ」
「隼人先輩さえ、よければ何ですけど。私のことは志乃って呼んで下さいません?」
「はっ!?」
予想以上に驚かれて早口で繋ぐ。
「いや、『ゆうき』って名字にも名前にもある上に男女どっちもあるじゃないですか。なかなか自分が呼ばれている自信がなくてですね」
だから、
「……しの」
低く響いた声がやけに真剣に聞こえて、どくりと心臓がはねた。
後ろを向いていて良かった。先輩から顔は見えないだろうけど、多分、今、すっごく顔が赤い。
……うん。てか、耐えられない。破壊力すごい。バレンタインに勇気を貰って軽率に一歩踏み出してみるんじゃなかった。
「わぁ、やっぱり違和感バリバリですね。やっぱ結城で」
「やだよ。俺もゆうきって知り合い何人もいるからややこしかったんだよな」
「そ、ですか」
こっちの気も知らないで!!
そう言ってやれたらどんなに楽だろう。
「じゃあ、私ははーくんって呼ばなきゃですね」
「なんでそうなる!? やめてくれ、親戚のはーくんとの思い出が蘇る。俺の目に指を……うっ、思い出したら痛みが」
「小さい子って油断すると思わぬ攻撃くらいますよね」
てか、先輩小さい子の面倒きちんとみるんですね。既にMAX近い好感度をさらに上げてどうするつもりなんですか。
まあ、簡単に好感度を上げてしまうのは私が先輩を好きだからだろうけど。
「家に誘った私が言うのもなんですけど、明日テストなのにこんな時間までいて大丈夫ですか?」
「そういう志乃はどうなんだよ」
志乃……。うう、もぞもぞする。
「私は大丈夫です。上位狙ってるわけじゃないんで。今更慌てなくても平均以上はとれますし。それより隼人先輩です。学年末考査じゃないですか。ほら、留年かかってるでしょ」
「かかってねぇから! そこまで酷くないからな!」
「あ、嘘はいいです」
「なめるなよ。平均点くらいは取れるぜ!」
「えっ、すみません。いまこの瞬間まで先輩は赤点スレスレなんだろうなと思ってました。平均点は取れるんですね」
「ああ。……英語と数学と公民と化学と生物以外はな!」
「国語と地歴しかとれてないじゃないですか」
やっぱり先輩は想像通りだった。
「赤点とかは大丈夫なんですか?」
「安心しろ。英語と数学と化学以外は流石に赤点はとってないぜ」
「英語と数学と化学は赤点なんですね」
「そうとも言えるな」
今の会話で胸を張る要素はどこに?
「うちの学校三教科赤点でアウトじゃないですっけ?」
「違うな。赤点じゃなく欠点で、だ。俺は宿題は出すし、皆勤だし、授業態度もいいからな! 平常点があるから大丈夫だ」
「真面目にやってても赤点なんですね」
どうしよう。先輩がだんだん男版緋乃に見えてきた。
「……あの、勉強法とか教えましょうか……?」
「結城が珍しくガチトーンで心配してくるのが、すっごく胸に刺さる……」
「だって可哀想」
「それは実らない結果に対してか? それとも俺の頭の出来に関してか?」
卑屈になりすぎじゃないですか、先輩。
「とりあえず、隼人先輩は帰って勉強した方がいいですね。マフラーは明日届けます。外寒いし使ってないのあるんでとってきますね」
先輩が落ち込み始めたので、会話を切り上げ二階に向かった。
緋乃が何かの景品でもらったんだけど「好みじゃないからあげるー!」といって押しつけてきたマフラーを取り出す。セルリアンブルー一色のそれは手持ちの服にも合わせにくいので結局私も使ってない。先輩さえよければこのまま貰ってもらおう。
居間に戻ると先輩はぼうっとしていた。
「まだ落ち込んでるんですか」
「……ああ」
なんか、さっきより元気ない。
どうしよう。私は人を元気づけるのは不得意なんだよね……。
そういえば、先輩、前私が落ち込んでる時元気付けてくれたっけ。
『結城』と呼ばれて口を開けた途端、何かが放り込まれて。思わず噛んだら口の中にチョコの甘さと仄かにコーヒーの味が広がった。
『これ、最近ハマってるんだよなー。うまいだろ?』
『校内にお菓子の持ち込みは禁止なんですけど』
『結城も食べたらから共犯な!』
『巻き込もうって魂胆ですか。仕方ないですね。口止め料にもう一個下さい』
『お、お気に入ったか! 結城はコーヒー同盟だからな! 好きそうな味だと思ったんだ』
先輩はもう一個手のひらに落としてくれて。『なんか落ち込んでるみたいだけど、元気出せよ』なんて、にかっと笑って弁解する間もなく去って行った。
チョコも嬉しかったけど、先輩が気に掛けてくれたこと、あまり表情に出ない私の気持ちを分かってくれたことが何より嬉しかったのを覚えている。
それを参考にすると……。
とりあえず、なにか甘いものとか、好きなものとかあげればいいのかな?
んー、と少し考えてから口を開く。
「そうだ。隼人先輩がもし赤点一個も取らなかったらコーヒー奢りますよ。缶じゃなくて喫茶店で」
「えっ」
明るい緋乃なら落ち込んだ先輩を元気付ける方法をいくつも知ってるんだろうけど、生憎私にはこれぐらいしか思い浮かばない。
「その代わり、赤点一個でも取ったら私に奢って下さいね」
「お、おう……」
「私、あっちがいいです。最近出来たパンケーキ屋さん」
「パンケーキ屋? 結城の働いてる所じゃなくて?」
「はい。あそこのコーヒーもなかなか美味しいんですよ。先輩がイケメンなら、きっとパンケーキも付けてくれるんだろうなー」
「それが目的か」
別にパンケーキ屋を指定したのはパンケーキが食べたいからじゃない。いやちょっとはそれもあるけど。
テストが帰ってくる頃には小太郎さんの喫茶店は閉まってるからだ。……緋乃と二人で旅行するらしい。それを先輩に言いたくないだけ。
「おっし! やる気出てきた! 帰るわ」
「隼人先輩が奢ってくれるの楽しみにしてますね」
「くっ! 首を洗って待ってろよ!」
どこぞの悪役のような捨て台詞を残し、先輩は帰った。
隼人はすぐ結城呼びに戻ります。志乃は二回に一回くらいの頻度で隼人先輩。