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二話

 先輩を好きになったのは、なんてことのない出来事がきっかけだった。

 姉、緋乃(ひの)の彼氏である小太郎さんのカフェで緋乃の代わりに働いていた時、先輩がお客さんとしてきたのだ。


「あれ、結城?」

「先輩? え、先輩馬鹿舌そ、こほん、味覚が鋭くなさそうなのにコーヒーの味なんてわかるんですか?」

「今馬鹿舌そうって言い掛けただろ! どっちにしても失礼だけどな! 俺はここの常連だからな!」

「へえ。何飲みます?」


 ここはかなり豊富に豆の種類を揃えている。ブレンドも様々だ。


「結城も淹れてんの?」

「いや、商品になりませんから」

「淹れれるだろ?」

「一応」


 家でも挽いて入れているから慣れてはいる。豆は小太郎さんが用意してくれるし。それに、女の子の淹れたのがいいと注文する人もたまにいるのだ。

 けど、そういう人は決まって飲んでからなんか違うなぁと首を傾げ、口直しに小太郎さんのコーヒーを飲む。

 慣れてはいても素人だから仕方ないのだけど、地味に辛い。

 先輩は、んー、と唸った後にかっと歯を見せて笑った。


「じゃあ。メキシココーヒー。結城の淹れたやつで!」

「残念ですが、私が入れても割引しませんよ。今月厳しいんですか?」

「あー、ばれたかぁ。実はさっきパチンコですってきたばっかで、……じゃねぇよ! お前が淹れたのが飲みたいの!」


 華麗なノリツッコミである。強いて難点を上げるなら私は別にボケたわけではないという所だ。


「美味しくないですよ?」

「うん。それでも結城のがいい」


 後悔しても知りませんよ、と憎まれ口をたたいてコーヒーを注ぐ。

 メキシココーヒーは苦みと酸味のバランスがよくとれたコーヒーでやや柑橘系の匂いが口に広がる。

 さっきの人みたいに飲んだ瞬間にひきつる顔は見たくないな。テーブルを拭くフリをして顔を俯ける。


「なんだ、美味いじゃん」

「……それは、どう、」


 顔を上げた瞬間の先輩の混じり気のない笑顔が飛び込んできた。

 自分でも単純だと思う。

 

 けれど、この時私は恋に落ちた。




 私の姉、結城緋乃(ひの)は甘えたで不器用でなにかとタイミングが悪く鈍くさい。

 だけど。

 自然と人に好かれる素直さがある。いつも眩しい笑顔を浮かべていて、ありがとう、いただきます、ごちそうさま、そんな些細な一言を絶対に忘れない。

 私はそんな緋乃が好き。正直姉だと思えない時も多いけど。緋乃みたいな可愛い女の子になりたいと思う。


 ……まぁ。目の前で泣き顔をさらす本人に言うつもりはない。


「しーの、お願いがあるんだけど」

「聞く気すらない」

「志乃の意地悪! お姉ちゃんは今すっごく傷つきました!」


 ぷくっと頬を膨らませる緋乃のどこが「お姉ちゃん」なのか。


「どうせ、手伝えっていうんでしょ。嫌だよ」


 寒さ突き抜ける今は二月。ついでに言うのなら男女問わず浮かれ落ち込み、または憎悪するあの日が近い。

 緋乃は小麦粉で真っ白になったエプロンをつけて私の部屋に押し入ってきた。


「うう。だって、だって。上手くいかないの……っ、レシピ通りやってるのにぃぃ」

「緋乃がどっかで間違えてるんでしょ」

「どこで間違ってるのかもわかんないよー」


 瞳にじわりと涙が浮かぶ。


「……仕方ないな」

「ありがと! 志乃大好き!」


 分かりやすく顔を輝かせる緋乃。

 これを見てると私の表情筋は緋乃が全部取っていったんじゃないかと疑いの目を向けたくなる。

 ぬくぬくとしていた部屋を出てリビングに下り、絶句した。


「……緋乃」

「が、頑張ったの」


 積み重なった食器と、あちらこちらに見える苦戦の跡。うん。それはいい。この位は予想の範囲内だ。

 けどね。どうやったら天井にまでチョコが届くのか教えてほしい。しかも少しどころじゃない、大量にだ。一体何をした、この姉は。


「とりあえず、見てるから」

「え? 志乃も一緒に、…………ごめん」


 一緒に作ったのは確か一昨年だっただろうか。緋乃は私の顔面にあとは焼くだけだったチョコをぶちまけた。あんなの、絶対にごめんだ。


 私の視線で察したらしく、わたわたと準備を始めた。

 将来の夢はお嫁さん、なんてよく言えたものだ。お嫁さんをなめてる。とても毎日の家事をこなせるとは思えない不器用な手付きでお菓子を作る緋乃を見守る。


 単純で不器用で甘えたの姉らしくない姉。

 けど、いつだって全力で、一生懸命だ。

 そんな緋乃を、恋敵だからと嫌いになれるはずがない。むしろ見る目あるじゃん、と先輩に惚れ直すぐらいだ。

 シスコンな自覚は割とある。




 緋乃の不器用っぷりに呆れつつ、大幅に時間をとりなんとかチョコは完成した。

 が、緋乃はバレンタイン当日に熱を出した。本当にタイミングの悪い。高熱なのにチョコを渡しに行くこと主張して出て行こうとするので部屋に軟禁されている。

 咳混じりで死にかけの「志乃、お願い」に応え、優しい妹は小太郎さんの分も持って学校に出発した。緋乃のラッピングが気合いが入りすぎて鞄からはみ出している。私の本命チョコが霞むじゃないか。

 一通り友達に配って、部室で先輩を待った。


「ん? 結城、今日はテスト期間だから部活休みだぞ?」


 やっぱりここに顔をだすと思っていた。


「知ってますよ。先輩を待ってたんです」

「俺を?」

「三倍返しの恩恵に預かりたくチョコを献上しに参りました。どうぞ」

「……っ」


 他のものより少し豪華なラッピングのチョコを差し出した。


「さ、三倍返しは、本命にしか適用されないというルールを知ってるか?」

「うそつき。声裏返ってますよ」


 そんなに慌てなくても、本当に三倍要求する訳じゃないのに。それに、


「なら私、三倍で返してもらえますね」


 無意識に、そんな言葉が口からこぼれた。


「っ!?」


 バッと口を押さえる。

 声に出すつもりは、なかったのに。


「本命チョコが鞄から見えてるぜ」

「ちっ、バレましたか」


 呆れかえった声に救われた。よ、良かった……。緋乃もたまには良いことをする。


「じゃ、私帰りまーす」


 気まずくて返事は聞かずに飛び出した。

 そのままダッシュで家に帰、りたいところだけど、こらえて小太郎さんのカフェに向かう。こんな状況でも姉のことは忘れない本当にいい妹だ。


「小太郎さん」

「志乃、どうしたの?」

「どうしてもバレンタイン当日に渡したいからって、緋乃が」


 ちょうど窓を拭いていて外にいた小太郎さんに、鞄からはみ出すほど大きなラッピングのチョコを差し出した。


「ごめんね、私からで」

「いや。嬉しいよ」


 幸せそうにふわりと笑う。

 良かったね、緋乃。私も嬉しくなって微笑んだ。


「じゃ、私もう行……かない。コーヒー飲んでいってもいい?」


 踵を返しかけたとき視界の端に先輩の姿が映って、予定変更。

 そうだった。先輩はこの道からバス停に向かうんだった。不定期でバイトに行く時いつも一緒に帰っていたので分かる。

 気がつかれていないとはいえ、本命チョコを渡した直後に相手と一緒に帰れるほど神経図太くない。

 だか、しかし。先輩は超がつくほど無神経である。


「おーい、結城ぃー!」


 うんざりしながら振り返った。


「……なんですか先輩」

「ここから帰るんだろ? 一緒に帰ろうぜ」

「いえ、私は」

「志乃。ごめん、もう店閉めるからコーヒーはまた今度ね」


 断ろうとしたのにいい笑顔をした小太郎さんに邪魔された。ちなみに小太郎さんは私が先輩を好きなことを知っている。まだ閉店時間じゃないじゃん! と睨みつけるがすでに先輩に向き直り志乃をよろしくね、と頼んでしまっている。

 余計な気を回さなくていいのに……!




 日が傾いて陰が長く伸びる。沈黙を埋めるカラスの鳴き声がやたらと気になった。


「カラスめっちゃ鳴いてんなぁ」

「ですね」


 同じ事を考えていたことが少し嬉しいなんて、バレないようにわざとそっけなく答える。


「……あー。その」


 先輩は頭をがしがしとかく。


「ほ、本命のチョコ渡せたのか?」

「そんなんだから後輩に陰で無神経先輩って呼ばれるんですよ」

「何ソレ初めてきいた!」


 動揺した心とは裏腹に慣れた毒舌台詞が口をついた。おかしな反応をしなかったことに安堵する。


「あのさ、結城ってもしかしてマスターのこと……」

「は?」

「やっぱなんでもねぇや!」


 マスター? 小太郎さんが何か?

 なんでもない、と言いつつもチラチラ視線を向けてくる先輩。答えて欲しいと思ってるのがまる分かりだ。

 ……なんだろう。あ、もしかして緋乃がチョコを渡したのか気になるのかな。言わないけど。私が渡したとか言えないし。

 ズルいけど誤魔化すことにする。


「すみません、カラスの声に集中していて聞こえませんでした」

「何でカラスの声!?」

「先輩の声聞くより有意義かなって」

「泣きそうだ」


 大袈裟に顔を覆う先輩にしらっとした目を向ける。


「古い漫画だとカラスの鳴き声ってアホーアホーって書かれてるけど、正直そんな風には聞こえねぇよな」

「でも、今はそう聞こえます。やっぱり先輩が隣にいるからですかね」

「馬鹿にされてる!?」

「勘違いしないでよね。馬鹿にしてるんじゃなくてアホ扱いしてるだけなんだから」

「同じだ! 撤回を要求する!」


 本命渡せたのか、なんて聞く馬鹿で無神経な先輩には撤回の必要なんて無いです。

 気がつかれても困るんだけど、気付かれなさすぎてもイラッとする。恋する乙女の心は複雑なのだ。


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