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雨のち晴れ  作者: 栞那りあ
0歳~12歳
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幼稚園

 4歳の時、市内の私立幼稚園に年中入園する。

 市立の幼稚園はなかったので、自動的に私立だった。当時は月7000円くらいと聞いている。ただ小学校の頃に数万円の請求が来ていたので延滞していた模様。


 片道5km以上離れていたため、近所まで幼稚園バスが送迎に来ていた。

 バスに乗る前は初めの頃は泣くことも多く、幼稚園に慣れてからも長い道のりに感じられて心がどんよりしていた。例えるなら、監獄へ運ばれる護送車に乗せられているような気分だった。


 給食も出るには出ていたが、脱脂粉乳の強烈な記憶しかない。

 私はこれが非常に苦手だった。

 小学校も一緒だった曽我南実果(なみか)ちゃんという子が、どうしてもトマトが食べられないと言っていたので、こちらが苦手な脱脂粉乳と交換したことが心に残っている。

 心に残っているのはその脱脂粉乳とトマトだけで、他にどんなものが出ていたかは思い出せない。


 年中だったか年長だったか、気になっていた男の子にけろけろけろっぴのバレンタインチョコをあげたことがあった。父がその子の家に車を出してくれた。

 仕事の関わりで繋がりを持っていたのだろうと特に疑問にも思っていなかった。

 後になって(前述の、大人になって御先祖供養で戸籍を調査した時)分かったのだけど、それは父方のはとこだった。

 いとこなら、道理でやけに父同士仲が良かった訳だ。

 チョコをただあげただけでその後何か変わったことも特に無いが、これが多分小さな初恋。


 幼稚園通常保育終了後のそれぞれの曜日に、体操教室・絵画教室・茶道教室が開かれていた。

 どれもあまり気が進まなかったし、御濃茶が出る茶道は特に嫌だったけれど、甘いお茶菓子が食べられるからと我慢して通っていた。

 体操教室は低い跳び箱を3段跳んだことしか覚えていない。

 絵画教室は画家の人を招いて行っていたらしいが、何を学んだのかと言われると自覚はない。

 マラソン大会がキツくて、号泣しながらも走り切ったとか、

 鼓笛隊で2つセットになっている太鼓を重い重いと嫌々持たされたとか、

 思い出すのは体力のなさで辛い辛いと感じていたことばかり。

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