私の出生
━━第一章━━ 0歳~12歳
私の出生
私が生まれたのは1985年。
中学生の頃、生まれた時のことを教えてと母にたずねて、それがあまりにも衝撃だったので、その時の流れで書いてみようと思う。
「そもそもがね、理奈ができたから結婚したのよ」
普通に男女が恋をして結婚をして、そして子供に恵まれるという想像だったから、私を妊娠したのが先でその後に結婚をしたと聞いて、当時は相当驚いた。
できちゃった結婚をwikipediaで読むと、1990年代後半頃より妊娠をきっかけとする結婚の報道が増え……とあるので、当時中学一年生だった私が「それってデキ婚じゃん」と断じた訳である。
今でこそ授かり婚などで肯定的な呼び方をすることも増えたものの、妊娠を理由に嫌々結婚をしたという事実がとんでもなくショックだった。
それがなかったらこんな女と結婚しなかったのに、なんて父親から愚痴をこぼされていた私。
思春期真っ只中だった私は、それ=自身の存在価値に疑問を抱くようになる。
とはいえ、娘2人を養う立場であった父は、単純に子供達を愛していたのだと思う。
話に戻る。
私の母子手帳を引き出しから取り出され、読んでいいよと母に促されてそのページを開いた。
表紙には高田理奈の文字。岡部の苗字を気に入ってなかった私には凄く新鮮だった。
今までの妊娠という欄に、私より1学年上の生年月日で3800gに二重線を引いて4200gの女児と、母の字で記録があった。
自分の産んだ子の体重をはたしてそんなに間違うものだろうかとか、後になって戸籍を見た時にそれから6ヶ月後に離婚とあるので、そんな乳飲み子の親権が持てなかったなんてどういう訳かと未だに疑問で、母本人にもまだ詳しい話を聞けてなく、半信半疑である。
しかし母が言うには、当時中学の吹奏楽部だった私が知っている、同じ部の1つ上の津島あさみ先輩が私の種違いの姉だという話で。
長女だとばかり思っていた私には開いた口が塞がらなかった。津島先輩を見ると、お姉ちゃんですか?なんて話しかけたらどうなるんだろうと動悸がしていたが、結局その話はしないまま終わった。
当時はこのように混乱していただけだったが、戸籍を見た後に分かったことだと、離婚した前夫の苗字も津島ではなく、全く別の堀田なので、余計に分かりにくい。
もし本当に母が私の姉を産んでいたとすれば、津島の夫婦が堀田家から養子として引き取ったと考えるのが自然かもしれないが、離婚して追い出された母が養子先の苗字を知っているとは思えない。それとも狭い田舎なので情報網次第で分かるものなのだろうか。
前夫が再婚して津島姓に入籍した線も十分考えられるが。
姉がいたかどうかはさておいて、母に前夫がいたことは戸籍上真実であるとしてこの話は終わる。
その離婚から約半年後、母は私の妊娠に気付くことになる。
1984年に母(岡部美智華)と父(高田吾郎)が出会い、母は父の元に通い詰めたらしい。
既成事実を作れば結婚できるだろうというのが、母子手帳を開いたその場で母が私に話していた生々しい理由。
しかしある日、母と父は大喧嘩をしてしまう。父のもう一人の女性の元に母が向かってなんらかの宣言をしたことで、その女性はショックの末に命を絶ったと聞いた気がする。
怒った父の心は母から離れ、出ていく旨を記した書置きだけ残して行方をくらます。
途方に暮れている中で妊娠を知った母は、父の母(私から見て父方の祖母)に連絡を取り、兵庫から九州へ飛んで父の実家を訪れ、父に会いたいと話をする。
これはえらいことだ、結婚をしなければならないと両家は慌て、父と母は再会して、妊娠発覚から約1ヶ月後に籍を入れた。
(ここで念のため補足しておくが、産まれたのは前夫との離婚から一年と半月経過後なので、民法上の300日以内に生まれた子は前夫の子には当てはまらない)
CPDによる帝王切開施行との記述。
児頭骨盤不適合、胎児の頭に対して骨盤の大きさが足りないというケース。
事前に分かっていれば予定帝王切開だっただろうに、母に訊けば陣痛が来ないまま予定日を8日過ぎて手術になったらしい。
出生体重4435g、身長53cm、頭囲37.5cm。
女の子なのに、病院内でのニックネームが曙だったとか。少女心に複雑な事実である。
兵庫で2年近くを高田理奈として過ごすが、急遽ある時母の実家への婿養子話が出る。
家の跡継ぎになる息子達を過去に次々と亡くしていた母方の祖母が、恐らくこの時体調を崩して、婿養子になって欲しいと父に願い出たのだと思う。
母と一緒に父の苗字が岡部になったはいいが、娘の私の苗字を変えるのは少し特殊だったらしく、家庭裁判所で許可を貰ったと聞いた。
父と祖母の養子縁組から一週間後、私が高田戸籍から岡部家に入籍と記録がある。
その時のことを父はこう話す。
いい画数だった高田理奈から急に岡部理奈になったから不本意だ、と。
自分の名前の由来を調べてこいと学校から言われて両親に聞いた時、名付け本から選んで画数で決めたと言われて、結構なショックだった。
例えば優子ちゃんなら、優しい子になるように…なんて想いで付けられただろうに、漢字自体に特に意味はないだなんて。
私の子供達には、それぞれ誇りと愛情を感じられる由来を話せるようにしたいとこの時強く思ったものである。