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逢魔が時の宴

作者: しろ子

 僕は、その日もいつもと同じ公園で遊んでいた。

 とても広い公園で、芝生の広場やお花が植えられた花壇に木の間を歩く遊歩道がある。

 特に遊ぶ約束をしていなくても、その公園に行けば見知った友達が必ずいる、通い慣れた公園。

 鬼ごっこをしたり、ボール遊びをしたり、持ち寄ったゲーム機で遊んだり、そうして遊んでいる間に日は傾いて、青かった空はオレンジ色へと変わっていた。

 友達は、一人、また一人と帰っていく。


 今日は少し遅くなる。そう、お母さんに言われていた僕は、まだ遊んでいたい気持ちと帰っても誰もいない家を思って、何となく公園に居続けた。

 オレンジ色に染まった空は、少しずつ山際へ追いやられ、濃い藍色が広がり始める。

 昼間は暖かい季節になったが、日が落ちるとさすがに肌寒くなった。薄手の上着しか着ていなかった僕は、ぶるりと体を震わせた。

 日が山の向こう側へ沈んで、辺りが暗くなり、友達たちが帰ってしまった公園は、見慣れているのに、どこか、よそよそしく感じだ。


 早く帰ろう。


 僕は、そう思った。

 林の間を通る遊歩道が家までの近道だ。僕が思っていたよりも、ずっと暗くなったその道を足早に歩いた。

 いつもの道を歩いているはずなのに長く感じる。公園の入り口に中々辿り着かない。

 僕がそう感じて、少しだけ焦り始めた頃。

 直ぐ横の茂みの向こうが、とても明るく見えた。

 何だろうと不思議に思った僕は、茂みをかき分けて明かりを目指した。


 そこは沢山の木にぐるりと囲まれた、小さな広場だった。

 秘密基地みたいだと、僕は思った。

 広場の真ん中には、大きな桜の木が立っていた。何故桜の木かわかったかというと、ピンク色の桜の花が満開だったからだ。

 桜の木の下には、人がいて、提灯を木からぶら下げている途中だった。ピンク色の花が、淡い光に照らされてとても綺麗だ。


「わぁ」


 僕が、思わず声を上げると、提灯を持った人が僕を見た。

 ぺこりと僕がお辞儀をすると、ヒラヒラと手を振って応えてくれた。

 提灯の明かりに引かれて、僕は桜の木に近づいた。


「まだ、桜が咲いているんだね」


 僕がそういうと、提灯を渡し終えたお兄さんが、ふふと笑った。


「この桜は、他の桜とちょっと違うからね」

「へぇ」


 お母さんに早く咲く桜があると聞いていた僕は、遅く咲く桜もあるんだと納得した。


「お着物、かっこいいね」


 僕と話をしたお兄さんは、着物を着ていた。テレビ以外で初めて見た。

 僕が珍しそうに着物を見ていると、触ってみる? と聞かれたので袖を触ってみた。つるつるとしてひんやりとした触り心地だった。


「君は、どうやってここまで来たの?」

「木の向こう側が明るかったから、何かと思って歩いてきたんだよ」

「へぇ、なるほどね」


 着物のお兄さんは、ちょっと首を傾げてから、にっこりと笑った。


「ねぇ、俺達はこれからここで花見をするのだけど、君も一緒にどうだい?」

「え?良いの?」


 僕は驚いてお兄さんを見上げた。

 着物のお兄さんは、木の上を見上げて声をかけた。


「良いよね?」

「私は賛成」

「いいんじゃないかな!」


 その返事と共に人が木から飛び降りて来た。

 その人は、パンパンと手や服の埃をはらってから、提灯に照らされた桜を見上げる。

 赤や白の色々な提灯が、あちらこちらの枝から吊るされていた。桜の木の外側と内側、その両方から照らされた桜の花は、幻想的でとても綺麗だった。


「やぁ! 良い眺めじゃないか」


 そう嬉しそうに言ったのは、スーツを着たお兄さんだった。スーツと言っても、お父さんがいつも着ているのとは、少し違った。チェック模様のスーツにベストを合わせていて、お父さんのよりもお洒落だった。

 スーツのお兄さんの言葉に着物のお兄さんが嬉しそうに言う。


「そうだろう?」

「お前は下で口うるさく指示していただけじゃないか」

「でも、離れて見る人も必要だっただろう?下から提灯を渡した方が作業だって楽じゃないか。それに俺は、この格好だからね。登れないのだから仕方ないだろう?」


「私も着物にすれば良かったわ」


 木からは、お姉さんも降りてきていた。

 とても短い半ズボンにかかとの高いブーツを履いて、髪の毛は短く、その大部分が白く、所々茶色と黒のメッシュが入っていた。

 お姉さんの言葉に、スーツのお兄さんが茶々を入れる。


「お前の場合は、着物を着たって木の上登れるだろ」

「やぁねー。レディーに向かって、君はあんな大人になっちゃ駄目だよ」


 お姉さんは僕の顔をのぞき込んでそう言った。僕がこくりと頷くと、いい子だねと頭を撫でてくれた。

髪型や洋服に驚いたけど、優しいお姉さんみたいだ。

 桜の木の下には、いつの間にか大きな赤い布が敷かれて、真ん中には風呂敷包みが沢山置いてあった。

 いつの間にと不思議に思って、僕が首を傾げていると、お兄さんたちが揃って同じ場所を見つめていた。僕も同じ場所に視線を動かした。


 そこには、一人のおじいさんがいた。

 そのおじいさんも着物を着ていた。


「やぁやぁ、これは見事な花見の会場だ」


 光の輪の外にいたおじいさんは、ゆっくり歩いて側まで来て桜の木を見上げた。


「提灯の明かりが何とも美しいねぇ。こんなに準備をしてもらえるなんて、嬉しいねぇ」


 眩しそうに桜の木を見上げていたおじいさんは、お兄さんたちに向かって、ありがとうとお礼を言っていた。

 そうかこの花見は、おじいさんのために、お兄さんたちが用意したんだ。

 そう思うと、僕がここにいて良いのか不安になった。


「あの……僕……」


 帰った方が良いのではと思って、声をかけた。


「そうそう、小さなお客様をご招待した所なのです。宴は、大勢でにぎやかな方が楽しいと思いまして」

「おやおや、お客人だったのかい? てっきり君らと同じだと思っていたよ。言われてみれば、お客人だ。ほんの少し、楽しんでいかないかい?ご馳走もあるし、お菓子もある。あぁ、今の子にはケーキとか洋菓子の方が良かったかな?」

「ケーキはちょっと。練りきりとかお団子とか和菓子は用意していたんですけど」

「お重だったので、和食で揃えちゃったんだよな」


 困った様子で、どうしようかと考え込み始めたので僕は慌てた。


「僕、お菓子持っているよ」


 背負っていたリュックを降ろして、中をごそごそと探す。

 ボールに縄跳びにゲーム機。遊び道具がゴロゴロと出てくる。水筒を取り出すと、その下に缶の容器が入っていた。僕はそれを取り出すと、少し振った。カラカラと乾いた音がした。その缶を慎重に開ける。


「金平糖か」

「これはハイカラな」

「ハイカラって?」

「外国風とか、流行りのお洒落なものって事」

「ふーん。でも、これは前からあるよ?」

「そうだね」


 ふふふとお兄さんたちが笑った。


「坊やのとっておきを出してもらったとあっては、私もとっときを見せようかな?」


 おじいさんはそう言うと、草履を脱いでから赤い敷物の上に座り、置いてあった風呂敷の包みの内から一つを引き寄せて、縛り目を解いた。

 しゅるりと広がった風呂敷の中に包まれていたのは、綺麗な箱だった。つやつやした黒に綺麗な金色でお花とか川とかが描かれていた。

 僕は、興味深々で、敷物に膝を付いておじいさんの手元をのぞき込もうとした。しかし、敷物がとても広くおじいさんまで届かなかったので、慌てて靴を脱いでおじいさんの側に行った。


「綺麗だね」


 箱の上には取っ手が付いている。中はパズルのように四角い箱や丸い筒がはめ込まれている。そして、箱の外側と同じ、つやつやした黒に金色の模様が描かれていた。

 綺麗だけど、初めて見る物に、僕は首を傾げた。


「これは、何?」

「これかい? これはね、花見重はなみじゅうというんだよ」


 おじいさんは、にこにこと笑顔で言った。

 初めて聞いた言葉に僕は首を傾げた。


「花見重?」

「昔の人達がね、お花見の時に持っていくお弁当用に作ったお弁当箱なんだよ」

「お弁当箱!凄く綺麗だよ!お正月の御節が入っているヤツみたいだ」

「お正月の御節が入っているのは、お重だね」

「へー」


 僕の見前で、おじいさんは、箱から細長い箱を取り出した。細長い箱は、お弁当の段々が重なっている箱で、一つ一つ並べてくれた。

 中は、和食だったけど、茶色一色じゃなくて、巻き寿司やいなり寿司が入った段、卵焼きやかまぼこにお刺身が入った段、鶏肉の甘煮や人参とお芋の煮物に菜の花の胡麻汚しが入った段があった。

 丸い筒は、おじいさんに、坊やにはまだ早いから、と遠くに置かれてしまったので、中身はお酒だと思う。

 筒の下の箱からは、とりわけ用の小皿が出てきた。小さな引出からは、お箸が出てきた。色々な物が次々と出てくる箱が、とても恰好良く見えた。


「凄い! 恰好良い!!」


 興奮した僕に、おじいさんは嬉しそうに笑った。


「そうだろう? そうだろう? これはね、私が若い頃に妻と花見に行くのに奮発して買ったんだよ。子供が生まれるまではこれを持って花見をしたものだよ」

「そうなんだ。おばあさんは一緒じゃないの?」

「今日はこれなくてね」

「こんなに綺麗な桜が見られないの、残念だね」

「そうだね。でももう直ぐ会えるんだよ」

「そうなの? 良かったね」


 おじいさんはにっこりと笑った。

 僕たちが会話している間、ずっとそわそわと待っていたお姉さんが、話が切れたのを待っていましたとばかりに手を出した。


「こっちも開けて良いよね? おっけー。はい、開けまーす」


 自分で自分に許可を出すと、まだ幾つかある風呂敷包みの内の一番小さな包みを開いた。

 そこにあったのは、普通のお重だった。

 ひょいひょいとお重の段を並べていく。中身は、桜餅、みたらし団子とあんこのお団子、お花の形をした和菓子だった。


「わあ! 美味しそう」

「でしょう! 美味しそうじゃなくて美味しいのよ」


 お姉さんはそう言いながら、他の大きな風呂敷包みも次々と開けて並べて行った。


「凄い!」


 次々と並べられるお重は、おじいさんの花見重とほとんど同じだった。違うのは、ぎゅうぎゅうに詰まった量と魚や肉が多めだということくらい。

 僕の金平糖を小皿に出して一緒に置いた。

 家族でお花見をした時よりも圧倒的に多い食べ物の量にわくわくとした。

 他のお兄さんたちも敷物の上に上がって来て、杯が回され、お酒が注がれていく。僕は渡された杯に水筒に入っていた水を入れた。

 全員の杯を確認すると、皆そろって杯を掲げた。


「「「献杯」」」

「けん……?」

「献杯。杯を捧げるって意味だよ。この時は、杯をぶつけないんだよ」


 僕は、なるほどと頷いた。


「献杯」


 おじいさんは黙ってにこにこと僕を見ていた。


「いやぁ、嬉しいねぇ」


 そう言って、きゅっと杯を一気に飲み干す。すると、待ってましたとばかりに、お兄さんたちが次々と徳利を持っておじいさんの杯に注いで行った。

 僕もお兄さんたちの後にならって徳利を持っておじいさんの杯に注いた。

 初めてだったので、注ぎ過ぎて少しこぼしてしまったけれど、おじいさんが慌てて杯を飲み干す様子が大げさで、お兄さんたちは大爆笑した。

 好きなものを取っていいと言われ、本当に好きなものを好きなだけ小皿にとって、遠慮なく食べた。


 いなり寿司は、噛むと甘いタレがじゅわっと出てきて美味しかった。

 鶏肉の甘煮は、とろみのあるタレが鶏肉をジューシーに包んでいて美味しかった。

 菜の花の胡麻和えは、香ばしい胡麻の香りがして美味しかった。

 お刺身は、マグロと青魚が入っていて、新鮮でとても美味しかった。

 桜餅やみたらし団子にあんこのお団子も甘くてとても美味しかった。

 つまり、どれもとても美味しかった。

 僕は、夢中で食べていた。


 満腹になって辺りを見回すと、ずいぶんと人が増えていた。

 三味線や笛、太鼓の音まで聞こえて、とてもにぎやかになっていた。

 なぜ今まで気が付かなかったのだろうかと、僕が驚いて辺りをきょろきょろすると、お兄さんたちが僕の様子を見て笑いながら教えてくれた。


「皆、おじいさんに会いに来たんだよ」


 なるほどと僕は納得した。

 お酒を呑んで、歌って、踊って、にぎやかな宴となっていた。

 いつの間にかすっかり暗くなり、桜に吊るされた提灯の明かりが、暗闇の中で桜の花を幻想的に浮かびあがらせていた。


 月明かりすらない真っ暗な空に、僕は帰る途中だったということを思い出した。すっかり日が暮れていて、おかあさんに盛大な雷を落とされえるかもしれないと思うと、しょんぼりとした気持ちになった。

 帰りますと言わないといけない。

 僕はそう思って、顔を上げた。


 ちょうどその時、ぱっと光が強くなった。

 光が強く灯った場所を振り向くと、豪華な着物を着たお姉さんが一人立っていた。

 好き勝手に音を奏でていた楽器が、一つの音楽を奏で始めた。

 音楽に合わせてお姉さんが舞い始めた。

 ゆったりとした音楽に合わせて流れる様な舞。

 時折、僕たちに振られる視線は、どきどきしてしまうほど艶やかだった。

 しゃんっという音を合図に静まり返り、お姉さんを照らしていた明かりも消えた。


 僕は、ぼうっと魅入ってしまっていた事に気が付いた。

 ふわりと風が吹いて、惹かれるように空を見上げた。

 月明かりすらなかった空を見上げると、ふわりと人が浮いていた。

 ふっくらとした小柄なおばあさんだ。


 驚いて声を上げそうになったけど、誰かに顔を塞がれた。後ろを見ると、着物のお兄さんが片手で人差し指を立てて静かにと合図をしてくれた。ぶんぶんと首を縦に振ると、口を塞いでいた手は慎重に外された。

 小柄なおばあさんは、おじいさんに手を差し伸べる。

 僕に背を向けているのでおじいさんの顔は見えない。


「待たせたね。迎えに来てくれたのかい?ありがとう」


 おじいさんは、おばあさんの手を取ると、ふわりと宙に浮いた。そして、こちらを振り返ると、にっこりと笑った。


「楽しい宴だったよ。君たちにお願いしてよかった」


着物のお兄さんは、にっこりと笑って手を振った。


「我々も楽しかったですよ。あちらでのお幸せをお祈りいたします」

「ありがとう」


 おじいさんはそう言うと、すうっと吸い込まれるように空に溶けて行った。

 僕は驚きに固まっていたけれど、着物のお兄さんがぽんと肩に手を置いたおかげで、我に返った。


「さあ、宴は終わりだよ。君も帰ると良い」


 お兄さんが指差した方から真っ直ぐ光が差していた。

 ぽんと背中を押されて、僕は転がる様に走り出した。

 凄く長い距離だったかもしれないし、ほんの短い距離だったのかもしれない。何かに躓いて転びそうになって立ち止まった。


 周りが明るくなっていて、僕は空を見上げた。

まだ空には夕日のオレンジ色が少しだけ残っていた。

 辺りを見回すと公園の林の中の出口だった。

 あの明るかった茂みは、木の陰ですっかり暗くなっている。

 あの宴は、煙の様に跡形も無く消えたんだと僕は思った。


 しかし、さっきまでの事が、夢でも幻でもない事は、僕の体が覚えている。どういうことかというと、お腹がぱんぱん。満腹だからだ。

 これも幻だったら、おかあさんに怒られないで済むのになと僕は思った。

 その日の夕ご飯は、全く食べる事が出来ず、思ったとおり、おかあさんに怒られる事になった。

 今でも、林の道は良く使う。

だけど、あのお兄さんたちにも、宴にも、出会う事は無かった。


お読み頂きありがとうございます。

少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。

誤字脱字等ありましたら、ご指摘いただけると助かります。

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