第Ⅱ大隊/第2装甲連隊
第Ⅱ大隊/第2装甲連隊
ⅡAbteilung/2.Panzer Regiment
第2装甲連隊は編成当初、第1装甲師団に配属されていたが、40年11月1日に第16歩兵師団が第16装甲師団に改編されるにあたり抽出された。40年10月20日以降は第16装甲師団固有の装甲連隊となり、師団戦力の中心となっている。
第16装甲師団は43年2月2日、スターリングラードで同じく包囲されていた第6軍の部隊と共にソヴィエト軍に降伏、第2装甲連隊は師団の他の連隊と同様に一旦は壊滅した。
壊滅後の43年3月、スターリングラードでの包囲を免れた[フォン・ブルグズドルフ]戦闘団等の師団残余、約4千の兵力を中心に師団は再編成された。再編成後はイタリア戦線及び東部戦線に展開、44年11月の時点ではA軍集団の指揮下にあり、ヴァイクセル河流域のバラノフ方面に師団はあった。
この頃、第Ⅱ大隊/第2装甲連隊は師団本体と分かれ本国へ帰還、オーバーラインで再編成された。本国帰還後、大隊は軍直轄の[リュッティシャウ]戦闘団となり独立運用された。大隊は44年10月から45年3月までG軍集団に配属され、西部戦線に展開している。
44年10月に大隊にⅣ号戦車/L70(A)を45両―3個中隊各に14両・大隊本部に3両―引き渡し、既存のⅣ号戦車と混成で再編成する計画が立てられた。しかし、Ⅳ号戦車/L70(A)の生産は遅れ、11月16日に11両が引き渡されたのみである。この不足分を補うため、ナースホルンを装備する第2中隊/第93重駆逐戦車大隊(注1)、第1中隊/第525重駆逐戦車大隊(注2)が大隊に配属されたとある。
また、11月中に6両のⅣ号戦車の補充を受けている。
補充車両等を受け取った後、大隊はアルデンヌ攻勢のための出撃準備を行ったが、結局戦闘に参加することはなかった。
大隊は東部戦線の第9軍に45年4月から配属され、ベルリン戦ではポツダム方面に投入された(注3)。
第Ⅱ大隊/第2装甲連隊は東部戦線へ移る際、装備車両を突撃砲へ改編されたものと思われる。45年3月に陸軍兵站局より31両の3号突撃砲が大隊へ配属された、と記録されている。
ベルリン戦時も3号突撃砲で戦闘を行ったと思われる。この推測を裏付けるものとして、3号突撃砲を10両装備した第Ⅱ大隊/第8中隊が4月22日22時よりアルケット社シュパンダウ工場にて出撃準備体制ある、との記録が在る。
突撃砲の外にも、ダイムラー・ベンツ社マリーエンフェルデ工場で生産されていたパンターを受領した可能性も考えられる。
注1 12月1日に12両が配備される
注2 11月29日に10両が配備される
注3 この頃、ポツダムには4月23日までのベルリン要塞司令官であるライマン中将が指揮する2個師団相当の防衛隊が展開しており、25日には更に第12軍より歩兵師団[フリードリヒ・ルードヴィッヒ・ヤーン]が配属され、兵力が強化された。




