第249突撃砲兵旅団
第249突撃砲兵旅団
Heers Sturmartillerie Brigade.249
オストプロイセン~ポンメルンより本国へ撤退してきた第249突撃砲旅団《Sturmgeschutz Brigade.249》はから突撃砲学校が在るブルクで再編成され、再編成後の45年2月15日に第249突撃砲兵旅団《Heers Sturmartillerie Brigade.249》と改称された。この後、第249突撃砲兵旅団はベルリン戦に投入されている。
編成
・旅団長 ヘルベルト・フランツ・ヤシュケ大尉
旅団本部/第249突撃砲兵旅団(3号突撃砲1両を装備)
第1/第2/第3突撃砲中隊(各中隊は3号突撃砲10両を装備)
随伴擲弾兵中隊
突撃砲兵旅団と突撃砲旅団の両者の編成は基本的に共通したものであり、突撃砲兵旅団には随伴擲弾兵が編成内に在るのに対し、突撃砲旅団はこれを持たない、という違いでしかない。
随伴擲弾兵中隊の編成命令は44年2月8日付で出されており、突撃砲部隊の支援部隊として旅団長が直接指揮を執り、突撃砲が攻撃を行う際の護衛任務、防衛戦の際の警戒・哨戒任務を編成目的としている。この随伴擲弾兵中隊が在ることで突撃砲乗員の負担、特に安全確保の面での負担を軽減できるため、突撃砲乗員からは好評であった。
第249突撃砲兵旅団の突撃砲の装備定数は31両である。ベルリン戦時において、旅団は配備記録から推測して定数の3号突撃砲を装備していたものと考えられる。これらの突撃砲は生産元であるアルケット社シュパンダウ工場から直接旅団へ供給された。45年4月20日のベルリン地区における突撃砲の生産状況記録には、第249突撃砲兵旅団へ配備予定の突撃砲を4月21日20時までに製造予定、とある。
ベルリン戦時、第249突撃砲兵旅団は中隊毎、個別に戦闘に投入されたと考えられる。
旅団本部は4月21日20時にアルケット社シュパンダウ工場を出撃した。
第1突撃砲中隊は4月22日現在、10両の突撃砲を装備していた。23日までに戦車29両撃破の戦果を挙げ、4両の損害を受けた。
10両の突撃砲を装備する第2突撃砲中隊は旅団本部と共に4月21日20時、アルケット社シュパンダウ工場を出撃した。
10両の突撃砲を装備する第3突撃砲中隊は4月22日中にアルケット社シュパンダウ工場を出撃した。
4月23日までに第249突撃砲兵旅団は90両以上の戦車を撃破する戦果を挙げた。この戦功により同日、旅団長ヤシュケ大尉は総統官邸において騎士十字章をヒトラーから授与されている。