第1高射砲師団
第1高射砲師団
1.Flak Division
第2次世界大戦勃発から間もない1939年10月1日、ベルリンは英空軍第10爆撃連隊のウェルズレイ爆撃機による空爆を受けた。この日、市街地上空に侵入し爆撃を行ったのは僅か3機であり、本格化後の空爆とは比較にならないほど小規模のものであった。首都を爆撃されたことに、また爆撃を阻止できなかったことにヒトラーは激怒し、防空体制の強化を命じた。防空体制強化の一環としてベルリン防空の任務にあたる第1高射砲師団が41年9月1日に編成された。編成後、師団はベルリンに留まり市街地防空の任に就いた。
ベルリン戦時の第1高射砲師団の指揮官はオットー・ザイドウ少将であり、師団本部は動物園の高射砲塔に設置された。師団の指揮下には連隊本部がいくつか置かれ、それぞれの連隊本部は数個の高射砲大隊をまとめて高射砲集団を形成し、市街地各地に分散されていた。ベルリン市街戦ではこれらの高射砲集団は防衛隊に組み込まれ、火力支援部隊として装備する高射砲を地上の敵へ向けた。
44年12月1日、以下の部隊が第1高射砲師団隷下にあった。これらの部隊はベルリン戦時もおそらくは師団の下にあり、市街戦を戦ったのではないかと考えられる。
また、これら以外の各種高射砲部隊が市街地に布陣していた可能性が大きい。
連隊本部/第22高射砲連隊
第126重高射砲大隊(7個重高射砲中隊)
第211重高射砲大隊(10個重高射砲中隊)
第362重高射砲大隊(8個重高射砲中隊)
第979軽高射砲大隊(3個軽高射砲中隊)
連隊本部/第126高射砲連隊
第123混成高射砲大隊(4個高射砲中隊―高射砲塔へ配置)
第224重高射砲大隊(6個重高射砲中隊)
第326重高射砲大隊(10個重高射砲中隊)
第733軽高射砲大隊(5個軽高射砲中隊)
連隊本部/第82照空灯連隊
第128照空灯大隊(4個照空灯中隊)
第148照空灯大隊(4個照空灯中隊)
第370照空灯大隊(4個照空灯中隊)
第448照空灯大隊(5個照空灯中隊)
第528照空灯大隊(4個照空灯中隊)
第808照空灯大隊(3個照空灯中隊)
ベルリン防空体制の強化を求めたヒトラーは、その要なる高射砲塔の建設を40年9月9日に命令している。この高射砲塔は多数の各種高射砲を持つG塔(注1)と射撃管制装置を備えたL塔(注2)で構成され、ベルリン市内の3箇所(注3)に建設された。42年春の完成後は第1高射砲師団隷下の高射砲部隊が配置に就いた。
ベルリン市街地は地下水位が高く大規模な地下構造物、特に防空壕のような対爆構造物を短期間で建造するのは難しく、また建造後の維持も大きな労力が必要である。そのため対爆能力を持つ地上構造物が市街地に代用防空壕として建造された。高射砲塔も代用防空壕としての機能を求められ、非常に強固な対爆構造物として建造されたため強固な耐久力を誇っている。
また高射砲塔の頂上、約40~50mの高さに置かれた高射砲群の射界は極めて良好であり、高い射撃能力と耐久力を併せ持つ高射砲塔の戦闘力は非常に強力であった。しかし、実際に防空戦闘を行った回数は以外に少なく、例えばフンボルトハインの高射砲塔が航空機と交戦した回数は僅か32回である。
ベルリンの高射砲塔は本来の建造目的である防空戦闘を殆ど行えず、その実力を発揮できなかった。激しい防空戦闘を経験しなかった高射砲塔上の高射砲群は市街戦では地上の標的へ砲口を向け、皮肉なことに本来向けられる方向とは正反対の方向でその実力を発揮した。
ベルリンの高射砲塔は戦後―多大な労力が必要とされたが―全て破壊された。その巨大な姿は写真の中に残るのみである。
注1 Geschutzturm:砲塔
注2 Leitturm:司令塔
注3 動物園、フリードリヒシャインシュタット、フンボルトハインの3箇所