ジョージ過去編③
ジョージ過去編③
約束
ジョージは日本刀を投げ捨てた。
暗い物置の中、歯を食いしばり、涙を流す。
「でき…ない…ッ!」
自殺なんかできるわけなかった。
勢いでやろうとしたが、結局は恐ろしくなってやめた。
自分は人に迷惑をかけるだけの存在、かと言って死ぬこともできない。
なら自分はどうすればいいのか。
どうすれば少しでも存在が許されるのか。
すると、刀の箱に入っていた一枚の写真が、ジョージの瞳に写った。
ジョージはそれを手に取った。
自分の先祖と思われる二人の男女が、星の旗の前にいる写真だ。
以前エマと見た時は、無知ゆえにこの写真が何なのかわからなかったが、今なら少しわかる。
この写真は100年ほど昔に撮られたものだ。
写真の損傷具合から言っても、男性が旧日本自衛隊の服装をしている事からも間違いない。
男性が誠実そうな目でこちらを見つめている。ジョージは思わず目が合った。
(100年前…ということは大戦争中ということになる。この人はきっと危険な海外に出て、国のために戦ったのだろう)
写真から伝わってくる先祖の立派さが、ジョージを更にみじめにした。
(一方自分は、親に保護された環境をいいことに、毎日ダラダラと過ごし、タダで食事が運ばれてくるのを待っているだけだ)
その時、ジョージは自分のすべき事が一つ思いついた。
ジョージは部屋に戻り、荷物をまとめた。自分にできる唯一の事、それは家を出ることだった。これ以上家に居て親に迷惑をかけるよりはマシだと思った。
〝 探さないで下さい 〟
そう机にメモを書き置きして、家を出た。
玄関を出ると、眼前には大都会が広がっていた。
雲から見え隠れする月明かりが割れた高層ビルの窓ガラスを照らす。
名古屋は現在の日本の首都。そしてここはその中心部だからか、街中清掃されていて綺麗だ。
休日の深夜で人通りは少ないが、今日は大晦日。24時間後には新年を祝う人々で賑わうだろう。
エマが背後から襲いかかってきた。
剣道の面打ちの容量で振り下ろした傘を、頭に当たる寸前のところで止める。
「わっ!…お兄ちゃん⁉︎」
ジョージは驚いてのけぞった。
「わっ!じゃないよ…何だいきなり」
「いや…トイレしに一階降りてきたらドアが開く音がして、こんな夜遅くにおかしいな〜って…」
どうも不審者か何かと思ったらしい。
「…こんな時間にどこ行くの?」
ジョージはドキッとした。
さすがに家出するとは言えない。それにほとぼりが冷めたら帰って来るような半端な家出と違い、もうこの家に帰る気はないのだから。
止められること必至だ。
「…ちょっと…目が覚めたから散歩」
「……本当に?」
エマが何かを察した様に言った。
「散歩するのにそんな大荷物いる?」
「……ッ」
意表を突かれ、ジョージは思わず黙った。
「帰ってこないと、お父さん達心配するよ?」
その言葉に、ジョージの顔に暗い影が差した。
両親はもう自分には何も期待していない。それどころか見切りをつけてエマに期待し始めたのだ。
「心配なんかしないよ。あの人たちが心配してるのは自分の老後さ。でもお前がいるから…俺が消えたところで何の問題もない」
「…やっぱり家出する気なんだ。お兄ちゃんはちょっと、自分を否定しすぎだよ。別に作家になれなくたって、他にもやりたいことは見つかるよ」
(作家になるとかなれないとか、それだけの単純な問題じゃない…)
「大体、家出なんかしてどうするのさ。それは社会への反抗のポーズ?お兄ちゃんのしようとしてる事は…ただの『逃げ』だよ」
「…お前も父さん達みたいな事言うようになったよな。それに、お前だって昔は逃げてばかりいたじゃん。人のこと言えないんじゃないか?」
「…っ!そんな昔のこと……」
エマは恥ずかしそうにうつむいた。エマは昔の自分を恥じていた。
「あんま父さん達には感化されるなよ。自由が奪われるぞ」
「…だから…お兄ちゃんのしようとしてる事はただの…」
「『逃げ』って言いたいんだろ?決められた道を歩む事がそんなに大事なのか?社会の流れに適応出来ない…どうしようもないはみ出し者だっているんだよ!俺はもう…これ以上親の為に世間体気にして生きる気はない!この家を出て自由になる‼︎」
ジョージは怒気を込めて言った。
すると、どこからか雷鳴が聞こえ、ジョージの行く手を阻むかのように雨が降り始めた。
しばらくの沈黙の後、エマが言った。
「…わかった」
エマは手に持っていた傘を差し出した。ジョージはそれを受け取ろうとしたが、
「ちゃんと帰ってくるよね?」
そう言って傘を離そうとしなかった。
ジョージはしばらく黙った後言った。
「うん」
「約束できる?」
「…約束する」
エマは、ゆっくりと傘を離した。
ジョージは傘を広げた。
本音を言うと引き返したかった。
行くアテもないのに家を出るのが危険なことくらいわかってる。
でもここで引き返したら、また自分が嫌になると思った。
ジョージはこれ以上何も考えない事にして、雨の中へ踏み出した。
バシャバシャと雨音が聞こえる中、背後ではパジャマ姿のエマがこちらを見つめていた。昔は腰まで伸びていた黒髪も今ではバッサリ切られ、肩にかかるくらいのセミロングヘアになっていた。
(エマにはもう会えないかもしれない。約束するなんて言わなければよかった)
ジョージは背徳感を感じ、そのまま振り返らずに家を出た。
名古屋の中心部を取り囲むように存在する貧民街。その地下には広大な旧地下鉄駅が存在する。
今となっては反政府勢力が拠点を置くこの薄暗い地下空間の一角にあるビルから、一人の男が地上へ出ようとしていた。
「そうか…わかった、私が直接行く」
男は受話器を置き、椅子から立ち上がった。背後の壁には星の旗が掲げられていた。
「ボス、どこへ行く気ですか?」
「ちょっと散歩するだけだよ」
ボスと呼ばれた男は、丸メガネを拭きながら言った。手下の若い青年は忠告した。
「…近頃『連盟』の徴税が酷くなって、国民の不満は頂点に達しています。今こそ我々『青い星』がこの国の民を扇動し『連盟』の犬と化した現政権を倒して、新しい政府を立ち上げる時なのです。あなたはそのトップ、今外を歩かれるのは危険かと」
「危険でもやらなきゃならない事があるんだ。今、一人の少年が外の世界へ踏み出した。私はその少年を迎えに行く義務がある」
手下の青年は首をかしげた。
「どういう意味でしょうか?」
「ハッハッハ」
「笑って誤魔化さないで下さい…」
ジョージは、街の中心部にある商店街を歩いていた。まだ夜中だからか人通りは少ない。
行き先はもう決めていた、貧民街だ。
名古屋の中心部は巨大な壁に囲まれており、その外側に貧民街が広がっている。この商店街の先には、中心部から貧民街へと通じる唯一の門がある。
ジョージはずっと中心部で生きてきた。そこが自分にとって、世界の全てだった。『外の世界』へ行きたいと思った。
(…そうだ、俺は海外に行きたかった。でも、それが叶わぬ夢だと諦めて小説家を志したんだ)
ジョージは傘を閉じた。
それは、これまでの楽な生活から別れを告げ、『外の世界』へ踏み出す覚悟の現れであった。
ジョージは雨に濡れ、ビショビショになった。それでも街ゆく人々は、そこに誰も存在しないかの様に、ジョージには目もくれなかった。
貧民街へと続く門の前に着いた。
門には警備員が数名いた。最近、反政府勢力『青い星』の活動が活発化してきているせいか、その影響が中心部にまで来ないよう、貧民街からの出入りを厳重に警備しているのだ。
しかし、内側から外側へ出るのは意外とあっさり許された。
巨大な門が音を立てて開いた。
ジョージは内心ワクワクした。
(やっと外の世界に行ける、やっと自由になれる!『地上伝説』の主人公も、地上へ出る時はこんな気持ちだったのかな…)
ジョージは未知の世界へ踏み出した。
扉を出たジョージに向かって、大勢の人が突っ込んで来た。
正確には、「一瞬開いた扉から中心部に入ろうとした」だろうか。警備員はジョージを押し出すように外側へやると、すぐさま扉をガシャンと閉めた。
「おいふざけるな!中に入れろ‼︎もう外側には職が無いんだ‼︎‼︎」
「お願い!この子を中央病院に行かせて!流行りの病なの‼︎」
「いつになったら『連盟』は税金を下げるんだ!政府は何してる⁉︎もう外側は限界なんだよ‼︎」
「そうだ!中心部ばかり私腹を肥やしやがって!カネ返せ‼︎‼︎」
皆、壁に向かって口々に叫んでいる。
ジョージは全身が震えた。そこに広がっていたのは、想像を絶する世界だった。
汚い、とにかく汚い。全く清掃が行き届いておらず、そこらじゅうにゴミが散乱している。
あちこちに痩せた浮浪者が溢れかえり、大勢の人々(主に星の旗を持った人々)が扉の前に押し寄せている。
(貧民街という呼び名から中心部の外側がどうなっているかは想像がついたが、まさかここまで酷いとは思わなかった。少なくとも「貧民街の者は貧民街の者で幸せに暮らしている」と聞かされていた)
「お兄さん…中心部から来たわよね?この子を中央病院に連れて行ってくれないかしら?お礼は何でもするわ!」
背後から赤ん坊を抱いた女性に話しかけられた。
「そうだ君!もう一度中へ入ろうとしてくれないかな?我々を助けると思ってさ、な?な?」
「一瞬扉が開けばいいんだ、謝礼もする。本当さ!」
人々がジョージに詰めかけて来た。
「いや……俺は…」
「頼む!本当に困ってるんだ‼︎」
「この子を見殺しにしないで!」
ジョージに人の群れが迫り来る。
「内側に引きこもってるブルジョアどもに言う事があるんだ!扉を開けてくれ!」
「俺たちを見捨てるのか⁉︎」
「そうだ開けてくれ……開けろ!」
ジョージは困惑して後ずさりした。
人々はなおもジョージに迫る。
「「「開•け•ろ!開•け•ろ!開•け•ろ!開•け•ろ!開•け•ろ!」」」
「ごめんなさいッ!」
ジョージは思わず逃げ出した。誰にも捕まらないよう全力で走った。背後から怒号が聞こえた。
5分ほど無我夢中で走り、気づいた時にはどこか人気のない公園に着いていた。
ジョージは、今にも腐り落ちそうな木のベンチに腰掛けた。
(ここが…俺がずっと望んでいた『自由な外の世界』なのか…?何が自由なもんか、浮浪者で溢れかえり疫病が蔓延した、汚い街じゃないか…!)
降りしきる雨の中、ジョージは自問自答した。
(いや…世界が悪いんじゃない。俺が一番気に入らないのは俺自身だ。俺は『地上伝説』の主人公の様に、人々を解放する為に自由を掴もうとしたんじゃない。ただ気に入らない現実から逃げ出したかっただけだ。そうやって学校をサボり、家を飛び出し、ここまで来た)
ジョージは、灰色の雲に覆われた夜空を見上げた。雨は一行に止む気配がない。
(でも、逃げたその先に『自由』なんてなかった)
ジョージはベンチに横になった。
目から涙が溢れて出してきた。
(自分は…取り返しのつかない事をしてしまった!社会を尊敬せず、勉強も働きもせず、普通の人生を送ってる人を馬鹿にして、自分はいつか、特別な才能が開花するだろうと思っていた!)
失った時間は戻らない。小さい頃には戻れない。自分で自分の人生を台無しにしてしまった。そうジョージは思った。
しばらくベンチの上にうずくまっていた。全身を濡らす雨が、ジョージには心地よかった。
涙と一緒に、自分を洗い流してくれる様な感じがした。
「もう一度生まれ変われたらな…」
小声でそう言った。
しばらくしてジョージは、ピクリとも動かなくなった。
目が覚めた時、ジョージは見知らぬ場所にいた。
朦朧とする意識の中、目だけで周りを見渡す。メガネが外されていたのでよく見えないが、外ではないのがわかった。
自分は綺麗に清掃された部屋にいた。木の床にはホコリ一つ落ちておらず、壁は所々ヒビが入っているが、綺麗に白く塗られていた。
横になっていた木製のベンチは、フカフカのソファーに、着ていた綺麗な服は脱がされ、下着姿に変わっていた。
(…ここはどこだ?俺は外にいたはずだ、何で屋内にいるんだ⁉︎)
ジョージは寝起きのボーッとする頭で考えた。
(少なくとも自宅じゃない…となると…病院か?俺は病院に運び込まれたのか⁉︎…いや、そんな風には見えない。病院ならベッドなんかがたくさん置いてあるハズだ。…じゃあここは?)
その時、ジョージの脳裏に一つ考えがよぎった。
(…そうか…俺は死んだのか。雨に打たれて凍え死んだのか。となると、ここはあの世か…)
そう思い、安心して二度寝しようとした時…
「ん…目が覚めたかい?」
横から話しかけられた。隣に誰か座っている。
メガネを掛けていないせいで、顔はボヤけてよく見えないがおそらく成人男性だろう。その低い声からは誠実さが伝わってきた。
「…あなたは誰ですか?天使ですか?あるいは死神で…俺を迎えに来たのですか…?」
「…ムッ……ハッハッハッハ!」
男は突然笑い出した。
「私が天の使いか…フフ、その方がよかったか?残念ながら私は人間だ。ここは現実だよ、あの世じゃない」
「…そう…ですか」
ジョージは少し残念に思った。やっとこの世の全ての苦しみから解放されたと思ったのに。
「ここは貧民街の地下にある、旧地下鉄駅の中だよ。服は濡れていたから脱がさせてもらった。公園のベンチで寝ていたところを見つけたんでね、ここまで運び込んだのさ」
「…なぜ俺を?」
「随分衰弱していたからね…それより、君はなぜ死のうとたんだい?」
「…!」
ジョージはドキッとした。なぜ死のうとした事が読まれたのか、それはわからなかったが、あまり触れて欲しくない話題だった。
「…それは、話さなくてはいけない事ですか?救ってくれた人にこんな言い方もなんですけど…」
ジョージはうつむき気味に言った。
「…フフ、まぁいいよ。無理に喋らなくても」
「…」
しばし沈黙が流れた後、男は言った。
「私はよく小説を読むのだが…読んでるとつい登場人物達に影響されて「自分もこうなりたい」なんて思う。しかし現実は『物語』の中の様に上手くいかない。その理想と現実のギャップがまた辛い」
男の唐突な話題にジョージは困惑したが、なんだがその言葉には共感できた。男は続けた。
「まぁ…だから人は物語を綴って、その中で自分の理想を体現するんだな。君はそれがよくわかるだろう?」
男は懐から紙の束を取り出した。ジョージの書いた短編小説だ。
「⁉︎…それはッ!」
ジョージは起き上がり、それをひったくった。動悸を抑え、震える声で聞く。
「…読んだん…ですか?」
「君の荷物の中に入っていたんでね。これ続きはあるのかい?」
「…え?」
予想外の反応だった。
「……面白かった…って事ですか?」
「あぁ。面白かったよ、凄く」
ジョージは弾むように聞いた。
「面白かった」たとえその言葉がお世辞だとしても嬉しかった。
「本当ですかっ⁉︎」
「あぁ本当だとも。夢と勇気に溢れ…主人公から『意志の強さ』を感じた。よくこんなものを書いたもんだ、よほど大変だったろうに…」
ジョージは宙に浮く様な気持ちになった。半年かけて書いた作品だけに、親に否定されたのは心底悔しかった。しかし、面白がる人はいた。自分の作品は駄作ではなかったのだ。
「その主人公は理想の自分なんです!俺はあんまり意志が強くないから…」
「フフ、私も似たようなものさ。あまり我が強くないというか、どうしても他人の考えを尊重しすぎてしまう。私はこの主人公の様な人間を知っているが…読んでいてその旧友にでも会った様な気になったよ…。君は、この小説を多くの人に見せたいと思わないかね?」
「…え?」
ジョージは動揺した。
自分の作品が不特定多数の人に見られるのはなんだか恥ずかしかったし、それほどの作品を書く能力が自分にあるとは思えなかった。
「でも…その小説はそんな立派なものじゃないですよ…」
「…ん、なぜそう思うんだ?」
ジョージは父に原稿を破られた事を話した。男が聞き上手なので、熱くなり、これまで自分がどういう目に遭ってきたのかも話した。
「才能がない」と夢を追うことを否定された事、頭の硬い両親の事、二度も不登校になった事、自殺しかけた事、そして最終的に『自由になる』という大義名分で家出して『逃げた』事。
こんなに自分の腹の中をぶちまけたのは、あの親しみやすい家庭教師と話して以来だった。
「ハッハッハ、そうか破られたか。まぁそういう大人もいるさ。私は好きだがね、こういう自由なストーリー」
「…でも、さすがに酷すぎますよ。夢を諦めさせるために書いた本人の前で原稿破るなんて」
「君の為を思ってそうしたのでは?」
「ありえません。あの人達は単に、自分の子どもが作家目指してるなんて、恥ずかしくて知られたくないだけですよ」
ジョージは、少し間をおいて付け加えた。
「でも…あの人達が言う『俺に才能がない』ってのは本当ですし…」
「だから諦めるのか?」
ジョージは無言のままうつむいた。男は言った。
「確かに大人は、夢見がちな子どもに対して『早く現実見て大人になれ』なんて言う。だが私は、無茶な夢を諦め、堅実な道に進む事が『大人になること』だとは思わない」
ジョージは目を見開き、顔を上げた。
男は更に付け加えた。
「それにジョージ、君の義父母から不評だったからと言って、それが万人の不評ではないんじゃないか?」
「⁉︎」
ジョージは一瞬固まった。
「ち…ちょっと待って下さい!『義父母』ってどういう事ですか⁉︎それになぜ俺の名前を知ってるんです?…あなたは一体何者なんですか…?」
「ん…そうだな。まずその説明をしなくてはな」
すると、男は懐からメガネを取り出し、ジョージに渡した。それはジョージのメガネでキレイに磨かれていた。ジョージはメガネを掛け、男の顔を見た。そして目を疑った。
「私の名は村雨丈、君の『本当の父親』だ」
ジョーは、壁に掲げられていた反政府勢力『青い星』の旗を背にして言った。
そこにいたのは、あの刀の箱の中に入っていた、100年前の写真に写っていた男だった。
~To be continued~