ジョージ過去編①
ジョージ過去編①
小説家志望の少年 前編
村雨状治は死のうと思っていた。
雨が降りしきる大晦日の名古屋を、16歳の彼は傘もささずに歩いていた。
街ゆく人々は、まるでそこに誰も存在しないかの様に、ジョージには目もくれない。
(自分は社会から必要とされない。それどころか、ただ邪魔なだけの存在。それならいっそ、周りに不幸を振りまく前に消えてしまった方がいいのではないか)
そんな想いがジョージの心を支配した。
かつては日本第三の都市として繁栄した名古屋も、今となっては腐敗が進んでいた。
中心部から少し外に出ると、街中に職を失った人々が溢れかえり、闇市が幅を利かせ、反政府勢力が街頭演説を行う。
こんなはずではなかった。
自分は本来、成功するはずの人間だった。
こんな所にいるのはずのない人間だった。
しかし、今更どうにもならない。
自分はもう、堕ちるとこまで堕ちたのだ。
いっそう強く降りしきる雨の中、彼はどこかへ消えていった。
[A.D.2188]
「あなたは一流大学に入って、一流の人生を歩むのよ」
それが母の口ぐせだった。
ジョージの家庭は裕福な政治家の家で、彼は長男として将来を期待され、何一つ不自由ない生活を送るはずだった。
しかし、そこでジョージを待っていたのは、勉強漬けの日々だった。
両親は共に名門大学の出身でエリート意識が強く、非常に世間体を気にした。
そのため、いずれは一流の大学を卒業させて家柄に恥じないようにする為、ジョージの側には常に家庭教師が張り付き、大量の問題集をやらされた。
当然遊んでいる暇などなく、来る日も来る日も問題集と格闘した。
そんな内に、ある疑問が湧いた。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」
9歳のジョージは母に訪ねた。
同い年の子供達が、放課後仲良く遊んでいる傍ら、自分だけやりたくもない勉強をさせられるのはもう御免だった。
「将来のためよ」
母はさも当たり前の様に答えた。
「英語や算数は将来役に立つの?」
「…えぇ」
「具体的にどう?」
母は黙った。
「…算数はもう中学校の内容まで進めてるけど、どれも日常的に使わないし、理科も科学者になりたいわけじゃないから出来なくたって困らない。英語に至っては…あれ習ってどうするの?外国には行けないんじゃ…」
母は唇をキュッと結び、突然怒り出した。
「なに親に口答えしてるの‼︎誰に食べせてもらってると思ってるの⁉︎」
ジョージは思わず怯んだ
ジョージは今まで母の言いつけを従順に守り、反抗する事など絶対になかった。
ゆえに、ちょっと反抗されるだけでも母には腹立たしかったのだ。
「二度とそんな口を聞かないで‼︎周りの子はみんなやってるのよ⁉︎」
周りはみんなやってる。
これも母の口ぐせだった。
『周り』って誰だよ
ジョージはそう言ってやりたかった。
そんなジョージの数少ない癒し、それは寝る前の読書だった。
疲れた時は本を読んで、他人の価値観に触れていると気持ちが落ち着いた。
ジョージは今、『地上伝説』という小説に夢中だった。
地下シェルターで暮らしていた主人公が地上の存在を信じ、自由を掴むため周囲の反発を押し切って地上を目指すというストーリーだ。
旧世紀に世界の終焉を予期した人物が、未来世界を想像して書いたと言われる古い本だが、鎖国によって海外との交流を断った今の日本にも、自身の不自由な現状にも、ジョージはただならぬ閉塞感を感じていた。
それゆえ、周囲に非難されようとも己の信念を絶対に曲げない、いわば『鋼鉄の意志』を持つ主人公は、ジョージにとって自身の想いを代弁する存在でありながら理想の人間像でもあり、深く感情移入できた。
ぼくも海外に行きたい!
かと言って、それが叶わぬ夢であることはわかっていた。この国において海外へ行くなどという行為はアウトロー以外のなにものでもないのだ。
そうなると、次にやりたい事は決まっていた。
ジョージは本を閉じるとベッドから起き上がり、机の引き出しに隠してあった原稿用紙を取り出した。
「おにいちゃんまた本書いてるの?」
背後から話しかけられドキッとした。
自室のドアが開き、そこから一人の少女が現れた。
二つ歳下の妹、江馬だ。
「なんだエマか…静かにしてよ、かあさん達にはナイショで書いてるんだから」
「みんなもう寝てるから大丈夫だよ、ビビりだなー」
エマは、腰まで伸びる長い黒髪をなびかせながら、部屋に足を踏み入れた。
風呂上がりで髪をちゃんと乾かしてないのか、水滴が床にしたたり落ちる。
(髪くらいちゃんと乾かしなよ…)
「それより昨日の続きやろうよ!剣道‼︎」
チャンバラはエマお気に入りの遊びだった。
エマは最近小学校に上がったばかりだが、幼稚園に通っていた頃と変わらず、決められた時間に決められた事をやるのを嫌って、脱走ばかりしている。
そのため、母から罰として遊び道具を全て没収され、暇を持て余していた。
剣に興味を持ったのは、テレビを没収される前に観ていた剣道アニメの影響だろう。
「そうやって勉強せず遊んでばかりいると、後あと後悔するぞ」
ジョージは忠告した。しかし本音ではなかった。ジョージ自身勉強する意味なんてよくわかっていない。
しかし、人目も気にせず自由に動き回れるエマが羨ましかった。そして同時に、卑怯だとも感じていた。
そして、自分が母と同じことをしたと気づき、後悔した。
「ねー剣道やろうよ剣道!」
「…今はダメ、小説書きたいから…」
「…じゃ小説の事あの人に話すけど」
あの人、つまり母のことである。
「ガキのくせして脅迫じみた事するよなぁ…」
9歳のジョージは呆れ顏で言った。
ジョージは仕方なく相手をしてやることにした。
「わかったやるよ。それで新しい棒は?前のは没収されたけど…」
「フッフー」
エマは何やら自慢げな顏だ。
「それがね、凄い物見つけたんだ」
ジョージはエマに連れられて暗い廊下を通り、二階の奥にある物置へと向かった。
音を立てないように扉を開けると、目の前にはホコリかぶった縦長の箱が置いてあった。
奥から引っ張り出したのか、少し物が散乱している。
「箱?」
「開けていいよ」
ジョージは座り込んでロックを外し、箱を開ける。
「…なんだ…これ」
そこに入っていたものは立派な日本刀だった。
光源がないにもかかわらず、刃が鈍く光っている。職人によるものであることが、素人目の二人にさえわかった。
ジョージは思わず柄を掴みゆっくりと持ち上げた。
「本物の刀じゃないか…ウチにこんな物があったのか…お前よく見つけたなぁ」
感心した様に言うと、エマは自慢げに胸を張った。
(…でも何でこんな物がウチにあるんだ?かあさんやとうさんに骨董品の趣味なんてあったっけ…?)
その時、刃に一瞬何かが写った。箱の中に二つ折りされた紙がある。
「…?」
ジョージは紙をつまみ上げ、刀を慎重に箱に戻した。
それは写真だった。かなり古いものであることが黄ばみや劣化具合から伺える。
写真には二十歳くらいの男女が2人写っていた。女性は椅子に腰掛けており、なかなかの黒髪美人だ。
2人の背後の壁には、見たこともない星の旗が掲げられていた。五つの小さな星が黒い大きな星を囲むように描かれ、その右に「XIX」とローマ数字が書かれているのが特徴的だ。
しかし、ジョージが気になったのは男性の方だった。エマも背後から写真を覗くと、同じ事が気にかかったようだ。
「…え⁉︎、何でおにいちゃんが写ってるの?」
そこに写っていたのは、メガネを掛けた誠実そうな日本人男性だった。軍服の様な服装をしており、ジョージがあと10年したらこんな感じになりそうだ。
「こんな昔の写真にぼくが写ってるわけないじゃん。多分戦前に撮られたものだよこれ」
「…じゃぁ、もしかしてご先祖さまかな⁉︎」
ジョージはもう一度写真に目を落とした。ご先祖さまっていうのは割と的を射ているかもしれない。座っている女性も、どことなくエマに似ていた。
しかし星の旗が何なのかは見当がつかなかった。
[A.D.2192]
月日は経ち、ジョージは13歳になっていた。
あの反抗以来、母の教育はまるで道を間違えた者を更生するかの様に、より厳しいものになっていた。
自由時間はほぼ奪われ、一日のほとんどが勉強で終わる。それで少しでもサボると「やる気をだせ‼︎」と説教される。
当然、そんな状況でやる気など出せるわけもなく、ジョージは母のやり方に一層の不満を持った。
古典文法だとか、
二次方程式の応用だとか、
無性生殖と有性生殖の違いだとか、
100年前、朝鮮半島での武力衝突が発端となり、最終的に西と東の大国の大戦争に発展したとか。
そんな事は、どうでもよかった。
しかし、今のジョージは、母に怯え言いなりになっていた小さい頃とは違う。
体も大きくなり、以前ほど母が怖くはなくなっていた。
ある日の食事中、ジョージは溜まりに溜まっていた不満を再び母にぶつけた。
「なぜ勉強しなくてはならないの?」
「…!あなたまだそんな事言ってるの⁉︎いい大学に入って、いい人生を送るために決まってるじゃない」
母は以前と同じ様な回答をした。
母はいまだ、いい大学に入っていい職に就き、いい人生を送るという古い価値観に縛られたままだった。
そして、それが世間一般の考えだと思っていた。
ジョージは追及した。
「一流の大学に入る事が『いい人生』なの?俺は成績を稼ぐ為に勉強してきたの?勉強って本来、やりたい分野をやりたい人がやるべきじゃないの?強制されてやるもんじゃないよ」
「あなたも何か言ってやって下さいよ‼︎」
母は、味噌汁をすすりながらニュースをみていた父に説得を求めた。父はため息をついて言った。
「そういう歳頃なんだ、多少は大目に見てやれ」
そう言うと再びテレビに視線を戻した。
しばしの沈黙の間、部屋にはニュースキャスターの声だけが流れた。
〝今日午前4時頃、海外への脱走を図った数人の男が逮捕されました。男らはいずれも、反政府脱日団体『青い星』のメンバーで…〟
「『だつにち』ってなに?」
エマがジョージに聞いた。直後母が答えた。
「日本から脱走しようとする変な人たちよ。海外は危険だっていうのに…そんな所にわざわざ飛び出して何がしたいのか…」
キャスターの言葉と共に、画面に団体のものと思われるマークが映し出された。六つの星が特徴的なマークだ。
ジョージは既視感を感じた。何年も前に見た覚えがある。しかし細かい事は思い出せなかった。
「くだらん」
父が静かに言った。
「こいつらは『自由』だの『海外への夢』だの綺麗事を掲げているが、要するにこの競争社会で勝てなかった落ちこぼれが集まって現実逃避しているだけだ。ロクに勉強もせず、働きもせず、そんな奴らが『夢』を『逃げ』の口実に利用しているに過ぎない」
ジョージは父の発言にムッとした。腹の中で覚悟を決め、深く呼吸し、思い切って反論した。
「弱い人間は夢をみてはいけないの?」
父は驚いた顔をした。父に反論したのは初めてだった。
「…そうだな、ダメだな。受験戦争を勝ち抜き、就職難を突破して、そこから更に抜きん出る努力をする。そのくらい頑張った者にこそ夢をみる資格がある」
「そうだけどさ…でもその生き方だけが全てではないんじゃない?他にも道はあると思う」
「ではお前には、その『新しい道』とやらを開拓する力があるのか?」
ジョージは思わずギョッとした。一番触れて欲しくない所に触れられ、心臓が高鳴った。
それを誤魔化すかの様に言葉を吐き出した。
「それは……まだわからないけど…」
「力がないから、お前は勉強して安定した道を進もうとしているんじゃないのか?物書きをしているのは、その鬱憤を吐き出す為か?」
「⁉︎」
ジョージの心拍数が更に上がった。
さっきから会話についていけず首をかしげていたエマも、今ので状況を把握したのか、頬に汗を流した。
「親にバレないと思ったか?」
「まさか…読んだの……?」
「読んではいないが…お前は作家の道がどれだけ険しいかは知っているのか?その道を進める自信はあるのか?」
「…それも…まだわからないけど……」
「周りと違う道を進むのは難しいぞ。悪いが俺には、お前にそんな特別な力があるようには見えないな」
ジョージはうつむいたまま、それ以降は何も言わなかった。
食後、ジョージは自分の部屋に戻って、机の引き出しから書き溜めた小説を取り出した。
9歳の頃から気が向いた時に少しづつ書き進め、今ではかなりの長編になっていた。
書き進めていくうちに、作家という漠然としていた夢が明確な目標になった。しかしそれと共に、
「自分には才能があるのか?このまま作家を目指して書き続けていてもいいのか?」という不安も生まれた。
そして今日、自分の才能の無さをハッキリと突きつけられた。
(やっぱり…作家なんて俺には無理か…?)
そう思うと、目の前の長編がとんでもない駄作に見えてきた。ジョージは原稿の束を破り捨てたくなった。
「諦めるの?」
ジョージが衝動に駆られ原稿に手をかけたその時、部屋のドアが開いた。そこにはエマが立っていた。
「お父さんはああ言ってたけど、あたしは好きだよ。お兄ちゃんの小説」
「…おだてるのはやめろよ」
ジョージはエマの方を見ずに言った。
「おだてなんかじゃないよ!単にお父さんはお兄ちゃんに堅実な道を進んで欲しいってだけでさ、あたしは共感できて好きだよ、お兄ちゃんの書くキャラとストーリー。『地上伝説』みたいで」
「…本当に?」
ジョージはエマの方に視線だけよこした。本音かどうかはともかく、褒められて悪い気はしなかった。
「本当に。それに才能ないからって諦めちゃあ、それこそお父さんの思うつぼじゃん!大体お父さんまだ読んでないんでしょ?読んでもらって認めさせればいいよ」
ジョージはエマの方を向いた。
確かに、読んでもいないのに才能がないと言われたのは釈だった。
「でも…かと言って本当に俺に才能があるとは限らない…」
「『才能』なくたって、頑張って書けば『努力』した熱意は伝わるでしょ?お父さんだって大人なんだし、やる気があればちゃんと認めてくれるよ」
ジョージは目を丸くした。あの勝手気ままなエマが、やたら真剣な顔で真っ当な事を言ったのだ。
「まぁ…諦めなければ夢が叶うのはフィクションの中だけだけど。作家にはなれなくとも認めてもらうくらいはできるよ!」
(…なんか最後にいらんのが入ったけど…)
「うん…まぁわかった……」
ジョージはそう言って、深呼吸したのち机に座った。
「ジョージ!ご飯出来たわよ‼︎」
「あぁ…ちょっと待って!あと少ししたら行くから!」
一階からの母の声に、ジョージは億劫そうに答えた。母は返事を聞くと食卓へ戻った。
「変ねぇ…最近あの子、部屋にずっと籠ってる。何してるのかしら」
「さぁな…まぁ、あいつももう13だ。色々あるんだろう」
エマは目の前の父母の会話をニヤニヤして見ていた。食事を終えるとジョージの部屋へ飛んで行った。
「お兄ちゃん調子どうよ?進んだ?早く食べに行かないとお料理冷めるよ」
「あぁちょっと待ってくれ、今調子がいいんだ。キリがついたら行くよ」
ジョージは頭をポリポリ掻きながら、原稿用紙を睨みつけて言った。
来る日も来る日も、ジョージはわずかな自由時間を使い、新しい短編小説の執筆を進めた。
四年間書き続けた長編小説は長すぎるという事で、短編の制作を決めたのだ。
途中、何度もやめようかと思った。
今までは書いたものを誰にも見せなかったため自己満足な内容でもよかったが、人を楽しませるものとなると幾度となく執筆が難航した。
(今自分が書いているものは本当に面白いのか?いっそ、一から新しいものを作った方がいいんじゃないのか?)
何度もそう思い悩んだ。しかし、内容の良し悪しより熱意を伝える方が重要だというエマの言葉を思い出し、ペンを執った。
苦難の末に紡ぎ出した物語が完成したのは、執筆開始から六ヶ月後の事だった。
「小説を読んでほしい?」
父は億劫そうにリビングのソファーに腰掛けながら言った。
ジョージは書いた小説の束を父に渡した。とても緊張する。
「父さん前、俺には作家になる才能が無いって言ったよね?」
近くには母もいた。エマは廊下から顔を半分出して状況を見守っている。
「本当になれないかどうか、ちゃんと俺の小説を読んでから判断してみてよ」
父は、フゥ…と溜息をつくと、小説の束を受け取り、無言のまま読み始めた。
(確かに俺に才能はないかもしれないけど、プロになるのに必要なものは『才能』じゃなく、最後まで作品を書き切る『努力』だ。さすがにそこは、父さんもわかってるはず…)
ジョージは自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。
ジョージは数十分、手持ち無沙汰に父が読み終わるのを待った。
元々読書家だからだろうか、父はほとんど読み飛ばすようなスピードで原稿をめくる。
(…ダメか…?そんなにつまらないのか?)
ジョージの全身が小刻みに震える。上手い下手は二の次と言えど、半年もかけて作ったものがつまらないと言われるのは嫌だった。
父は容赦のない批評を下すだろう。
そうなったらもう、自分は立ち直れないかもしれない。
ジョージがそう諦めかけたその時、
「読んだぞ」
父が言った。
ジョージは覚悟を決め、感想を求めた。
「どう…だった?」
父は、原稿を真っ二つに引き裂いた。
~To be continued~