新世界史
序章 〜統一戦争について〜
『統一戦争』とは、2140年代〜2195年まで続いた、ユーラシア大陸の覇権を巡る一連の戦争を総括した呼び名である。
各地の小国家がひしめき合い泥沼化したこの戦争は、2160年代の大連帝国をはじめとする三大国の台頭により、領土が三等分されることで一旦終息を見た。
しかし実質的に戦争は終わらず、2195年の終戦協定まで、国境沿いでの抗争が頻発していた。
第1章 黎明〈?〜2140〉
[世界の終わりと新世紀の黎明]
地上全土が焦土と化した〈最後の審判〉から四半世紀、かつてユーラシアと呼ばれた世界最大の大陸では、生き残った人類が各地で小国をつくり、繁栄を始めていた。
当初は各国内の自給自足で事足りていた小国群であったが、やがて成長と共に資源不足に陥る国が現れる。それらの国々は、国内の危機を他国への侵略で解決しようと目論み、軍備を整えていった。
これが『統一戦争』の発端、『南アジア動乱』の始まりである。
第2章 南アジア動乱〈2140〜41〉
[アフガニスタン内戦]
侵略運動はユーラシア大陸南西部から始まった。
かつてアフガニスタンと呼ばれた多民族国領にて、小国『バグラム』が隣国を征服したのを皮切りに、各地で侵略戦争が頻発。
それは、元々宗教国家であったこの国の、宗派の違いからくる同教徒同士の宗教戦争でもあった。
紛争はいち早く侵略へと乗り出したバグラムの一人勝ちかと思われたが、アフガニスタン南部で対抗勢力が結集。これと正面衝突し、結果的に両者とも壊滅した。
[印パ戦線]
アフガニスタンでの動きに触発され、周辺諸国でも侵略運動が起こる。
パキスタンでもアフガニスタンと同様にイスラム勢力同士の対立が起きていたが、彼らはアフガン内戦の教訓から共倒れを避ける為、次第に隣国インドのヒンドゥー教国群へと標的を移す。
パキスタンのイスラム勢力群は来るべきインド侵攻に備え、軍備増強のため集結。『インダス連邦共和国』を建国された。インドでもそれに対抗して『ニューデリー公国』が建国される。
そして、国境付近の街アムリトサルでの衝突を皮切りに『印パ戦線』が構築された。
[再三に渡る首都攻防戦]
印パ戦線は両者が一進一退の攻防を繰り返し、互いに疲弊していった。
開戦から半年後の2140年7月、膠着した戦線を打開すべく、インダス連邦の指導者ハサドはアフガニスタンに赴く。
ハサドは内戦によって荒廃したアフガニスタンをまとめ上げ、残存するイスラム勢力の力を借りて戦線を押し上げた。9月には公国の首都ニューデリーを陥落させると、ニューデリー公国は一時的に首都を南部のゴアへと移した。
侵攻を続けるインダス連邦に対抗する為、ニューデリー公国はインド全域に公国への加勢を呼びかけ、各地域に戦勝後の自治権配布を約束した。また、ゴア軍港から外交船を発し、それまで手つかずだった東南アジアに後方支援を呼びかける。
2141年2月、軍備を整えた公国は首都奪還へ乗り出すが、急速に進められた軍備拡張は粗雑なもので指揮系統が混乱し、奪還は失敗に終わる。しかしこれを機にインダス連邦は公国の首都侵攻への警戒を強め首都防衛の軍備を増強する。それを逆手にとり公国はゴアから艦隊を発し、連邦の首都へ詰め寄る。連邦が首都から軍を退けた隙に首都奪還を再度決行。成功に終わる。
これにより印パ戦線は元の位置にまで押し戻され長い膠着状態が続くことになる。しかしこの一連の出来事は連邦と公国の確執を決定的なものとし、後の『中東同盟』と『東南アジア連合』の対立に発展していく。
アフガニスタンから中央・東南アジアへと広がった戦争の波はやがて極東にまで伝播し、戦いはアジア大戦の様相を呈し始める。