太郎とお使い
第3話 闇に潜む者たち
[A.D.2192]
その日、旧都にはまばらに雪が降っていた。
まもなく旧都にて、盛大な式典が催されようとしていた。帝国の建国40周年を祝うもので、首都 大連をはじめ、各区の権力者たちが、昼間から続々とこの街に足を踏み入れていた。
古くから旧都に住む有権者たちはこの式典に備え、一ヶ月前から南地区の大通りの闇市を一掃しようと努めていた。結果、式典前日には人がごった返していた闇市は、首都時代の栄光を彷彿とさせる美しい大通りに姿を変えていた。しかし、暗黒街の商人たちが嫌がらせに自分の糞を投げ込むので、警備員たちは丸一日、それの清掃に追われなくてはならなかった。
今、その大通りには提灯が灯され、塵ひとつない除雪された石畳の上を、豪華絢爛な馬車や人が往来していた。皆一様に橋を渡り、その向こうのきらびやかな行政府へと姿を消していく。
特に示し合わせたわけでもないのに、人通りは日没時になると途絶えた。外部からの客人たちは決して、夜には大通りを通らなかった。
この街の、ある噂を耳にしていたからである。
式典前日の夜。北地区の遊郭街はかつてないほど閑散としていた。
ここ一週間のあいだに遊郭を訪れる者は、よほどの好色家か、「噂」のことをよく知らない人脈の薄い来訪者であった。
水商売はあがったりだったが、それも式典が終わるまでのことだと売春宿の経営者たちはわかっていたし、ポン引きたちも暇を持て余し、傍に立つ女で暖をとっていた。
その夜、着飾った商人が一人、馬車に乗って遊郭を訪れようとしていた。商人は適当なところで馬車を止めさせると、御者に駄賃を払い、白い息を吐いて遊郭街に向かう。
「ほほーっ!誰もいねぇ……!」
ひと気のなさを見て、商人は浮き足立った。
その商人のはるか後方に、今は使われていない古い寺院があった。その寺院の霧がかった屋根の上に、ふたつの影が見え隠れしている。
その二人の男女は、レインコートを纏い、顔の下半分をガスマスクで覆っていた。
「……護衛がいねぇな」
男の方が、商人を見下ろしながらくぐもった声で言った。
その隣の女は、長い黒髪を櫛で解いている。
「お金ないのかしら。まぁ、新人ちゃんの初任務だし丁度いいんじゃない?」
「だからこそだ」
男は威厳たっぷりに腕を組んだ。
「単独でいる標的なんて一般人でも襲える。護衛つきを相手にして初めて一人前だ。新人とはいえ後輩にこんな任務をあてがうとは……甘いんじゃねぇのかあいつも」
「ンもう。まァたそういうことを言う。優しいのよ、ハオは」
女はガスマスクの中で頬を膨らませていた。そしてすぐに気を取り直し、男を横目に見た。
「……じゃあ、新人ちゃんのお手並み拝見といこっか。グェン」
「おう」
二人は屋根から飛び降り、どこへともなく姿を消した。
それと同刻。商人の後方に、人影がぬらりと現れた。十字路の角の街灯の下に、その人物は立っている。黒いローブを纏っており、顔はフードで見えない。まだ9歳そこらの背丈だ。ハァハァと息を切らしている。
「大義のためだ……大義のためだ……」
その子どもは自分に言い聞かせるように、虫のような声で呟いていた。そしてひとしきり言い終わると、懐から出刃包丁をおもむろに取り出し、思い切ったように駆け出した。
「大義ためだ……!大義のためだ!」
商人に向かって一直線に走る間も、子どもはそう喘いでいた。
そして商人の背中に包丁を突き立てた時、間一髪、商人はそれをかわし、子どもは勢いあまって雪の上に倒れこんだ。
「……な……?なんだ……!?」
商人は、とっさのことでわけがわからず動揺していた。そして子どもの握る包丁を見るやいなや、一目散に逃げ出した。
「ひっ……人殺し!?殺しだ!!」
商人は大声で叫んだ。
子どもは険しい顔でそれを追う。
「殺しッ!殺しだ!殺しが出たぞ!誰かァ!」
商人は走りながら何度も叫んだ。何十年かぶりに全力で走った様子だった。重い三段腹を揺らしながら、雪降る夜の街を突っ切っていく。
子どもは離れることなく、鬼のような形相で商人を追い回した。
この二人の追いかけっこは、そう長くは続かなかった。商人が袋小路に迷い込んだのだ。
商人は、立ち止まってゼェゼェと息を切らし、背後を振り返った。同様に呼吸を乱した子どもが、包丁の刃に月光を集めながら、霧の中から現れた。
「誰か!!……助けをッ!」
「悪徳商人トウキン!」
子どもは食い気味に言った。
「ぼくのことを……覚えているか?」
「誰か!誰かァ!!」
商人は一心不乱に叫び続けている。
子どもは歯軋りし、包丁を握りしめた。
「だ、だろうな……覚えちゃいないだろうさ。どうでもいいんだろうさ……」
子どもは、商人の胴めがけて前のめりに突っ込んだ。もはや何も考えなかった。しかし、刃が商人の横っ腹をかすめる前に手首を掴まれ、地面に組み伏せられてしまった。
商人は子どもから包丁を奪い、子どもの喉仏に切っ先を突きつけた。
「覚えてないな……どこのガキだァ!?」
商人の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
子どもの心臓は破裂しそうなほど脈打っていた。不意に涙がこぼれ出る。しばらくして、子どもは呻いた。
「お、お前が……姉ちゃんを売ったから……ぼくは一人で……」
じわりじわりと、切っ先が喉に食い込む。
商人はしばらく思案した様子で答えた。
「奴隷商のこと言ってんなら御門違いだぜ。俺は商品のひとつとしてあのゲスどもに女を流してるだけだ。恨むならあの変態どもと、奴隷になるほど食い詰めたお姉ちゃんを恨みな」
「……ッ!」
子どもの殺意のこもった目を見て、商人は深いため息をついた。そして、大声で叫んだ。
「誰か!人殺しを捕まえた!警察呼べェ!!」
その時、子どもは息を飲んだ。
ビルの屋上に人影が見える。人影は月光を背にし、組み合った二人を見下ろしている。
やがて人影はビルから飛び降り、二人に襲いかかった。ぬるん、という音を最後に、突如、静寂が訪れた。
しばらくして、子どもは目を見開き、自分にのしかかっている商人の横顔を見た。白目をむいている。絶命しているらしい。
子どもは血走った目を擦り、誰かが、商人の背中からナイフを引き抜いているのを見た。
「……ハオ先輩……」
ハオは、月明かりを背にそっと立ち上がった。背丈は170cmあるかないかだったが、その細身のせいで実際より長身に見えた。
ハオはナイフの血を布巾で拭うと、商人の下敷きになっている子どもを助け出し、血と雪と泥だらけのコートを拭いてやった。
二人の足元に積もった雪は、商人の血で赤く染まりつつあった。
「腹は刺すな。刺殺なら、首か心臓を狙え」
ハオは静かに言った。
子どもはヒクヒクと喘ぎながら、ハオに泣きついた。
「……うぅ……先輩」
フードをとった子どもは、小さな男の子だった。安心のあまりか、それとも宿敵を仕留め損なったからか、ハオの胸中で嗚咽している。
「どうしましょう……初任務なのに……せっかく先輩があてがってくれたのに……」
「……暗殺は共同で行うこともある。今回はウロが引きつけ、僕がとどめを刺した。それだけのことだ。任務に失敗したわけじゃない」
ウロと呼ばれた子どもは、ハオを見上げた。
「でも、こんな簡単な任務を共同でこなしたんじゃ、先輩の名誉に傷が……」
「どうだっていいよ。そんなもの」
ハオは食い気味に言った。
ウロはきょとんとしている。
ハオは、若干冷たく言いすぎたなと思い、ウロの手を握った。
「さぁ、騒ぎになる前にアジトに帰ろう」
ハオはウロを連れ、霧雪の中を走っていった。
暗殺結社〝緑の星〟のアジトは、旧都の地下深くにある。
東地区の雑貨店「ファンラーグ」の奥部屋にある抜け穴を降りると、隠された礼拝堂に出る。そこはスコップで掘り開いたかのような面の荒い洞窟で、教室ほどの広さがあった。
今、そこには〝緑の星〟の団員20名が集まっていた。礼拝堂の奥には祭壇があり、そこに立つリュウ・ロンを、三人の子どもたちが崇めるように跪いている。
「ここに、三人の暗殺者の誕生を認める」
リュウ・ロンは手短に言うと、祭壇から三人分のガスマスクとレインコートを出し、跪く三人に授けた。
「ありがたくッ!」
「ありがたぁ〜く」
二人の子どもが誇らしげに言った。男の子と女の子だ。
ウロは二人につられ、小声で続いた。
「……ありがたく」
他の団員たちは、黙って叙任式を見ていた。皆、十代の少年少女ばかりだ。グェンを中心に集まり、一皮むけた後輩たちを眺めながら白酒を飲んでいる。そして、式が終わると三人に盛大な拍手を送り、自分たちの酒の席に迎え入れるのだった。
ハオは、一人離れたところでそれを見ていた。まばらな拍手をすると、疲れたように隣の寝室に向かう。それを見た団員の何人かが口を尖らせたが、ハオは気にしなかった。いつものことだったし、この式自体、そうめでたいものにも思えなかった。
「ハオ先輩!」
ハオの服のすそを、ウロが引っ張った。
ハオはますます気を落とした。
「ハオ先輩も飲みましょう。一緒に……」
「僕はいいよ」
ハオは小さく言った。
すると、他の団員たちが声を投げた。
「ウロ、構わねぇーって。来な」
「酒苦手なんだよハオは」
新人団員二人も、ウロを手招いている。
ハオは、別に酒が苦手というわけではなかったが、否定することもなく、ウロがおたおたしているうちに礼拝堂を去ることにした。寝室へと続く狭い通路に身をがかがめて入った時、背後から、半ば強引に酒の席に入れられたウロが、他の団員に囁かれるのが聞こえた。
「あいつにはあんま感化されない方がええ。何考えとるかわからんやつだ」
そう言ったのは、ネズミのような前歯を下唇に噛ませている男だった。結社の若手ナンバー3、ヨキだ。ハオに聞かれるのもお構いなしに、ヨキは続ける。
「ハオはな、結社の大義にも疑問を持ってやがる。暗殺は悪だとかなんとか言うてな……信じられんやっちゃ。ワイはそのうち、やつが裏切るんじゃないかと……」
「その辺にしとけ、ヨキ」
グェンに言われ、ヨキは押し黙った。
グェンは酒瓶をぐびぐび飲みながら、火照った顔で、三人の新人と一緒にいる黒髪の女を見つめていた。
「なァ、ところでウロよ、お前今日の任務しくじったんだって?」
新人の男の子が、ウロを小突いた。
気まずそうに頬を掻くウロに、他の団員たちは一瞬、信じられないというような顔をしたが、「まぁ最初はそんなもんさ」と励ました。
男の子は悦に浸って続けた。
「まぁ、ウロはうちのナンバー2に教わってるんだ。いずれ強くなるさ。まっ、俺はナンバー1に師事してんだけどなっ!」
グェンは、誇らしげな笑みを浮かべた。
新人の女の子が、蔑むように男の子を見る。
「うわっ……ウザッ。当てつけのつもり?あたしなんてリン先輩よ⁉︎これよ⁉︎これ!」
女の子は、背後の黒髪の女を指差した。
リンと呼ばれたその女は、にまにまと笑いながら、女の子の頬をこねこねと揉んでいた。長い黒髪は肩に流され、あるところからバッサリと切られている。
「ンン〜〜、今日もウチの後輩は可愛いねぇ」
「……っていうのを任務中にもやりたがるのよ⁉︎ありえないでしょ!あたしもせめて4位か5位の人に教わりたかったわ!」
ヨキが「ワイは……?」と悲しげな顔をした。
ハオはしばらく皆を見ていたが、耐えきれなくなって、とうとう礼拝堂を出た。
ハオは、胃に穴が開いたような気分だった。音もなく暗い寝室に入り、敷かれた布団の上に横になる。暗殺結社に入って4年が経っていたが、ハオは未だに夜の団欒に馴染めずにいた。
〝緑の星〟への入団当初、メンバーはハオとグェン、棟梁のリュウ・ロン、それに今は亡き二人の団員のみだった。
死んだ団員のうち一人は、任務中に帝国軍に捕まったのだ。助けにいくことも許されず、彼が絞首台に上るのを、ハオとグェンは群衆の中で見ていることしかできなかった。彼の首に縄がかけられた時、ハオは彼と目が合ったが、彼は助けを請わなかった。尋問にも屈しなかったのか、〝緑の星〟の存在は未だ軍に知られていない。彼は殉職したのだと、リュウ・ロンは言っていた。そして、もう一人は……
「おいっ!」
突然、誰かがハオの頬を両手で押しつぶした。
リンだ。酒が入っているのか、頬がすっかり紅潮している。
ハオは、突然現れたリンに大して驚きもせず、リンの手を振り払って寝返りをうった。これもいつものことだった。
リンはにまにまとしながら、ハオの顔を上から覗き込んだ。長い黒髪がハオの横顔にかかる。
「おいコラ、なぁにさっきのは?せっかくの楽しい雰囲気を乱してくれちゃって」
ハオは何も言わず、うつ伏せになった。冗談に付き合う気分でもなかった。
リンは、一人だけ集団に馴染まないハオをこうして夜な夜なからかいに来た。そんなリンが、ハオは正直苦手だった。リンは無視しても喋り続けるし、反応したらしたで余計面白がるので、どう接したらいいのかわからなかった。
リンはハオの敷布団に腰掛け、構わず続けた。
「……ねぇ、お酒飲めないわけじゃないんでしょ?せめて夜くらい楽しまないとさぁ、こんな仕事してたらどうにかなっちゃうわよ?」
「……人殺しといてわいわい騒いでる方がどうかしてるよ」
「おっ」
「やっと口利いた」と言わんばかりのリンに、ハオは若干ムッとした。早く追っ払って寝たかったので、ハオは思い切って強気に出た。
「あのさ、僕らのやってることはただの人殺しなんだよ。殺す相手が悪徳議員だろうが傲慢な金貸しだろうが、僕らの方がよっぽど悪党さ。誰かの死と引き換えに生きてるわけだからね」
「ふぅ〜ん。そういうところが皆とそりが合わないわけかぁ。なるほどね……」
リンは物珍しそうに言った。片手に持っていた白酒の瓶をちょぼちょぼと飲んでいる。
今になってハオは、やはり言うんじゃなかったと後悔した。こういう考えが結社の意志に反していることはハオも自覚している。リンはそういうところを面白がっているのだ。
「でも、ウチらがやってることは正義の行いなんでしょ?狙うのだって悪どい政治家とか高利貸しとか、法で裁けない悪人ばっかりだし。……大義のための暗殺と、ただの殺しは違うんじゃないの?」
そう言われるとハオも困った。正直どちらも同じだと思っていたが、自分も結社の中で生計を立てている以上、結社の考えをはっきりと断ずることもできない。
ハオは、この仕事への誇りなど微塵も感じていなかったが、かと言って辞めることもできなかった。仕事を続けていくうちに、自分はただの人殺しではないと自己暗示をかけているのではないかと、時々感じた。義母の最後の言葉が、今でもハオの中で響いていた。
「……ハオ?」
リンが、ハオの頬をつんつんとつついた。
隣の礼拝堂からは、団員たちの笑い声がする。ここ一週間、誰が一番の大物を殺ったかとか、次の高額報酬の依頼を誰が受けるかとか、そんなことを談笑している。その中には、グェンの声も混じっていた。
ハオはおぼろげな目をした。
「変わらないよ。どっちも」
その時、誰かが「ファンラーグ」へと続くハシゴを滑り降りた。礼拝堂に駆け込むなり、何やら大声で叫んでいる。
「掟破りだ!イェンが……掟をッ……!」
その団員は息を切らし、右腕を怪我していた。
礼拝堂の賑わいが嘘のように消えた。
ハオもリンも目を丸くする。ハオは眠気など吹き飛び、布団を蹴り上げて起き上がった。
ハオが礼拝堂を覗くと、皆、血気立って駆け込んできた団員を問いつめていた。
「どこや⁉︎イェンの馬鹿はどこにおるんや⁉︎」
特にヨキは眉間に青筋を立てて叫んでいる。
駆け込んできた団員は、咳払いながら答えた。
「き、北地区の遊郭だ……!足に傷を負わせといた。そう遠くへは行けないはず……」
「棟梁!」
グェンは、祭壇のリュウ・ロンに懇願した。
「イェンは最早、仲間ではありません。暗殺者の掟に従い、彼女を捕縛する任を……!」
リュウ・ロンはふうとため息をつき、血気立つ団員たちに静かに告げた。
「すぐに二班を編成し、イェンの捕縛にあたれ。グェン、ヨキ、お前たちが班長だ」
「「了解」」
グェンとヨキは、それぞれ五人の部下を引き連れて礼拝堂をあとにした。
「チッ……またか」
ハオは複雑な思いで歯軋りした。隣ではリンが当惑している。
「え?どういうこと?イェンが何したの⁉︎」
リンの問いに、駆け込んできた団員は腕の傷をかばいながら答えた。
「先週、イェンって房中任務をやったろ?」
房中任務。すなわち、娼婦に扮して標的を誘惑し、情報を引き出す特殊な諜報任務だ。結社の中では数少ない女団員で、かつ他二人より歳上だったイェンは、結社内で初めて房中任務を命じられていた。
「で、彼女、結局任務をこなしたわけだけどさ、帰ってからもずっと泣いてて……とうとう耐えきれなくなったらしく、その相手を……」
リンは口元を手で覆っていた。
ハオは、今回の件と、四年前に起きたある出来事を重ねていた。入団時にいたかつての仲間のうち一人は軍によって殺され、もう一人は、数ある暗殺者の掟の中でも最大の禁忌を犯し、仲間の手によって葬られたのだ。
《暗殺者の掟・其の一》
「私的な殺しを行ってはならない」
それが、〝緑の星〟結成当初より存在する、暗殺者を正義の者たらしめる鉄の掟だった。
~To be continued~
前回、「ストーリーについては次回にでもやろうと思います」とか言いながら、あらすじについて説明しました。
すいません…。
タイトルについて説明したら、次はあらすじについて書いた方がいいかなと思いました。
今後も「人気作家になりたい方へ」をよろしくお願いします(_ _)
質問もどしどし受け付けております。