お優しいんですねぇ
いつもと変わらない朝の日常。
眠気の冴えない顔をテレビに向けて、
トーストを平らげつつニュースを見る。
「C県を騒がせていた連続誘拐事件は、リーマンマスクが無事に解決しました」
派手な戦闘があったらしく、あちこちの家屋がひどく壊れている様子が映る。
どこが無事なんだろうか……。
しかも誘拐事件を起こしていた怪人は、飛び跳ねることしかできない非力なカエル男だったという。家屋を壊したのはネクタイ型のブレードを振り回すリーマンマスクだったのではないか。
「お兄ちゃん、早くしないと遅刻するよ」
妹が髪止めをいじりながらキッチンから出てくる。
「大丈夫、仕事には行かないから」
「はぁ? なに? お仕事サボる気? また仮病つかうの?」
俺は食器を流しに入れると手早く洗って水を切る。
かごの衣服を洗濯機に放り込んでリビングに戻った。
「新しい仕事に行く。たぶんもう帰らない。金は入ってくるから安心しろ」
「ちょっと急すぎない? 新しいお仕事って何?」
「悪の組織に、俺は入る――」
「なに言ってんの……」
「ひとりでも大丈夫だよな? まあたまに帰ってくるかもしれないけど」
「夕食までには帰ってきてね」
鞄を持って玄関から出て行く妹。俺の言うことをまったく真に受けてない様子だった。父も母も仕事の都合で外国にいるため、家には妹しかいない。心配といえば心配だけどよく考えて決めたことだ、しょうがない……。
テレビの電源を消そうとリモコンに手をかける。
リーマンマスクが得意げな様子で記者からインタビューに答えていた。
(まあ、こいつは雑魚だ、どうでもいいな……俺のターゲットじゃない)
そう思ったが、ふと気付いて俺は手を止めた。
(でも、手土産にはちょうどいいか? 場所も近いし……)
――――
悪の組織の本部は本土からやや離れた小島にあった。
港で携帯端末に秘密のパスワードを入力すると……
ほどなくして黒服の男たちがどこからともなく現れて俺に声をかけてきた。
「弥栄泰平……だな」
黒服の問いに俺は無言で頷いて返す。
「私物の一切は持ち込めない。身体検査をさせてもらう」
「好きにしてくれ。だがひとつだけ持ち込みたいものがあるんだが」
「例外は認められない」
「車のトランクに積んである。見てから決めた方がいいと思うぜ」
身体検査が終わる。今着ている安物のスーツと財布以外は何も持たずに、貧相な漁船に乗り込む。出港をしばらく待っていると、黒服たちは『トランクの中身』を担いで船へと積んだ。
――――
「クズラーへようこそ、弥栄泰平くん。面白い手土産をありがとう」
島に到着するなり、銀色の仮面をかぶりマントを羽織った大柄な男が俺を出迎えた。
「ちょろいもんでしたよ」
「体力テストは免除しよう」
「どうも。あなたが悪名高いゲズ将軍ですね」
「いかにも。この後、幹部の面接と簡単な性格テストを受けてもらう。ぶしつけだが志望動機を聞かせてもらえるかね」
「悪の組織に入ってヒーローに復讐したいと思いました」
「ほお……それは興味深い。面接の時にじっくり聞かせて欲しいものだ」
「ターゲットはハイランダー・レオです」
「レオをやるというのか、頼もしいな。怪人改造を希望かね?」
「いえ、改造は希望しません。普通の戦闘員でお願いします」
「きみが肉体的にも優れていることは知っているが、生身でレオを倒すのは無理だろう」
「とりあえず生身でやらせてください。ちなみにリーマンマスクは一撃でしたよ」
黒服に持ってこさせたトランクの中身……リーマンマスクは拳の一発で気絶させた。カフェで食事を取っているところを、ファンを装って近づき不意をついた。さすがに百戦錬磨のヒーロー、すぐに変身し身構えたが……まさかあんなにあっさり倒れるとは思わなかった。
「ふむ……まあ部下に無理強いはしないのが私の主義だ。好きにしたまえ」
「意外とお優しいんですね」
「厳しくするばかりでは部下はついてこんよ」
「前の職場の上司に聞かせてやりたい台詞です」
俺が笑うと、ゲズ将軍も仮面の下からふふと笑いを漏らした。
――――
日が沈み夜になる。雲ひとつない空に満月が怪しげに輝く下、俺は組織の戦闘員たちと共に漁船に乗り込み、ひそやかに港へと戻った。そして指示された倉庫内にて待機する。戦闘員はみな無口だ、船にいるときも一言も喋るやつがいなかった。作戦行動中、無駄にしゃべると罰せられるらしい。
「今日の相手は?」
俺は戦闘員のひとりに問いかける。
「ミストライダーだろう。リーマンマスクの親友だ」
それだけ言うと戦闘員はマスクの位置を直して押し黙った。
クズラーはリーマンマスクを捕らえ港の倉庫に閉じ込めたという偽情報を流した。怒りに燃えるヒーローを港で待ち伏せするというベタな作戦だ。面接と性格テストを終えた俺は、ここで最後の実戦テストに連れてこられたというわけ。ここで活躍すれば晴れてクズラーの一員として認められる。
「はぁ、息苦しい……マスクは窮屈でいやだな、ヘルメットでいいのに」
ボヤいていると、倉庫の外からやたらうるさいバイクの音が聴こえてきた。
「もう夜遅いってのに近所迷惑だな。ヒーローには社会常識ってもんがないのか? 珍走団とかわんねえぞ」
「無駄口を叩くな……いくぞ」
走り出した戦闘員の後に続く。
倉庫から出ると既にカマキリ男とミストライダーが格闘戦を繰り広げていた。
カマキリ男が腕に装備した鋭い鎌できりつけるが、ライダーは片手の甲で軽く受け止めて防ぐ。
駄目だありゃ、まったく効いていない。
「悪の組織クズラー! リーマンマスクを返せ!」
叫びつつジャンプキックを浴びせようとするミストライダー。
カマキリ怪人が横飛びでかわすと、戦闘員たちがミストライダーを取り囲む。
「かかってこいッ!」
ミストライダーが挑発すると戦闘員の数名が襲い掛かった。
バカ、脳筋、それでも熟練の戦闘員か。
「ミストフォース!」
瞬く間にミストライダーの姿は紫色の霧へと変わり、戦闘員たちの攻撃は空振りに終わる。
そして霧のままライダーは移動し、倉庫の屋根の上で実体化。
キレッキレのお決まりのポーズを見せると言い放つ。
「クズラー! おまえたちの悪事もここまでだ! ミストライダーが成敗する!」
ヒーローのくせに卑怯な技を使うなぁ……。
俺は戦闘員たちの列の端っこに立って肩をすくめた。
「おい新入り、やる気あるのか」
カマキリ男が俺を睨みながら言った。
「はいはい、やればいいんでしょ」
俺は一歩前に出ると、わざとらしく地団太を踏んで腕をブンと振り上げて、屋根の上のミストライダーに向かって叫んだ。
「やい、卑怯者のミストライダー! 霧になって逃げるなんてヒーローらしくないぞ! 正々堂々と降りて戦えってんだ!」
「おまえたちに卑怯などと言われる筋合いはない! リーマンマスクはどこだ!」
「知らないね。下っ端戦闘員の俺が知ってるのは、ひとつだけだな」
「ひとつだけ?」
「リーマンマスクを倒したのは、この俺だ――」
「なに……?」
驚きの表情を見せるミストライダー。
俺は地面を思い切り蹴って飛ぶと、やつがいるすぐ傍、屋根の上へと着地した。
「なかなか降りてこねえからきてやったぜ」
「おまえ……何者だ?」
「俺は弥栄泰平……またの名を……」
なにかカッコイイ呼び名を言おうとしたが、咄嗟に思いつかなかった。
「くそっ……次までに考えておく!」
俺はミストライダーめがけてパンチを繰り出した。
全力だったが、あっさりかわされる。
「よくもリーマンマスクを……許さん! ミストソード!」
ミストライダーは腰から光る剣を引き抜いて構える。
「おいィ、ザコ戦闘員相手にいきなり必殺剣はないだろ!」
確かミストソードは怪人相手にトドメを刺す時に使う必殺の武器のはずだ。
ちょっと驚いたが、瞬時に俺の実力を見抜いたのだろう。
リーマンマスクよりはできそうなやつだと、そのときは思った。
「くらえっ!」
鮮やかな軌跡を描いて必殺剣が俺に振り下ろされる。
俺は横滑りしつつしゃがんで紙一重に回避する。
すかさず足を踏み込み前傾し、拳をヒーローの脇腹めがけて突っ込んだ。
「ぐっ……?」
「必殺技も考えておかないとな」
「そん、な……」
ミストライダーはそのまま前のめりに倒れて動かなくなった。
「あれ、もう終わり? まだ本気じゃないんだがなぁ」
――――
「合格だ、弥栄泰平。無駄口が多かったという報告もあるがそこはつぶろう」
帰還した俺を見るなり、ゲズ将軍は満足そうに頷きつつ言った。
仮面の下は満面の笑みだろうか。
「きみをA級戦闘員として優遇する。十人のヒーロー、そのうちの二人がきみの手で落ちた。すばらしい活躍だ……気持ちとしてはS級戦闘員としたいところだが、まあ規則なのでね」
「十分ですよ。二階級特進は死んだ時だけにしてください」
「死ぬか……忌々しいヒーローたちのおかげで、優秀な部下と怪人を多く死なせてしまったよ。きみがもっと早くクズラーに来ていれば違ったかもしれんな」
ゲズ将軍は悔しそうに呟きながら、月夜を見上げた。
悪の組織の幹部にしては、なんとも人の良さそうな性格だ。
「お優しいんですねぇ」
俺は窮屈なマスクを脱ぎ捨てる。
将軍の後ろで同じように首を上げて満月を眺める。
「ハイランダー・レオ……」
自身の決意を確かめるように、クズラーに入った目的……
ターゲットの名前を呟いた。