血塗られたファニラ神殿……⑩
「さて、おしゃべりはこのぐらいですかね。向こうもあらかた終わったようですし……リデル様、身体は動くようになりましたか?」
そう言われて、だらりと伸ばした腕に力を入れると何とか動かせるぐらいになっていた。
ラドベルクの腕に抱きかられた状態で身を起こすと、両手をグーパーしてみる。
「ラドベルク、もう大丈夫みたい。下ろしてもらってもいい」
慎重に床に下ろしてもらうと、こわごわといった感じで両足で立ってみた。
うん、どうやら身体に力が戻ってきてるようだ。
まだ、ふらつくけど動けないことはない。
瀕死の状態からは脱したらしい。
さすが、フェルナトウの言う聖石の力と言ったところか。
「ありがとう、ラドベルク。手を離しても平気だから」
心配そうにオレを支えるラドベルクを安心させるように笑顔を見せる。
「ふむ、そこまで回復したのなら、あれを使っても、たぶん大丈夫でしょうね。……では、皆さん。この下らない会合も、そろそろお開きとしましょうか」
オレの様子を見届けるとフェルナトウは不敵な笑みを浮かべる。
この状況になっても余裕を隠さないフェルナトウに不気味さを禁じ得ない。
「フェルナトウ、配下は全て倒した。後はお前だけだ。どうするつもりか?」
酷薄そうな表情でイーディスがフェルナトウに問いかける。
「大人しく縛に就け、フェルナトウ。もっとも、これだけの人間を殺めたのだ、命は取らぬとは約束は出来ぬ。けれど、相応の名誉は守ってやろう」
「それはそれは……陛下の寛大な取り計らいに痛み入ります」
フェルナトウは慇懃無礼に頭を下げる。
「ですが……ここで死ぬのは貴女たちの方なので、お礼に報いる事は叶いませんな」
「負け惜しみは止めることだな。最後ぐらい潔くしてはどうか?」
フェルナトウの返答にイーディスは顔を顰める。
「これだから、雑魚は困りますね。まだ、自分が優位と信じているようです……」
そう言うとフェルナトウは神官服の懐から拳大の何かを取り出した。
また、毒蜘蛛か……いや、まさか聖石? と思ったけど、どちらも違うようだ。
フェルナトウが取り出したのは聖石と同じ大きさほどの透き通った球体で、その中には幾つもの虹色の渦巻きがぐるぐると回っているように見えた。
何だ、あの球は?
何かの魔法道具か、ひっとしたら皇帝継承神具かも。
オレが疑問に思った瞬間、急に空気が変わった。
……ん、あれれ?
今まで全然気が付かなかったけど、場を占めていた妙な圧迫感が不意に無くなったような気がした。
「結界が……消えただと?」
イーディスが動揺した声を漏らす。
どうやらフェルナトウが外部とつながりを遮断していた結界が突然、消え失せたようだ。
「では、失礼ながら私はここで、お暇します。これは、置き土産ですので、お受け取り下さい……それでは」
フェルナトウは謎の球体を床に転がすと、かき消すように居なくなった。
結界を解いたのは自分が転移するためのようだ。
「イーディス様!」
「リデル様!」
誰かの叫び声が聞こえた次の瞬間、謎の球体は閃光とともに爆発した。
◇◆◇◆
「ふっ……危ないところでした。よもや、イーディスとエクシィが裏切るとは……全く度し難い女どもです。これだから、知能の低い連中には付き合い切れません」
ファニラ神殿から皇宮に転移してきたフェルナトウは悪態をついた。
「まあ、今ごろあの会議場もろとも吹き飛んでいるでしょうから、怒っても仕方ありませんね」
フェルナトウが持ち出した透明な球体のようなモノは、実のところ停戦会議の行われた会場より広い空間を結界で押し込めて、あの形状まで凝縮したもなのだ。
結界が解ければ、当然のごとく内包していた空間そのものが爆発的に復元する仕様で、あの会場にいた者はひとたまりもないだろう。
「心配はリデル様の安否ですが、あの程度まで復調していれば聖石の力で事なきを得ているはずに違いありません」
万が一、死ぬようなことがあっても、主様には配下のクレオーネが聖石欲しさのため暴走したことにすれば良い……そんな風に考えていた。
「その時はその時ですし、新しい聖石が手に入ることで主様には我慢していただきましょう。そうそう、ほとぼりが冷めたら、後で回収に戻らねばなりませんね」
最初の計画とは大いに狂ったことに完璧主義のフェルナトウは大いに憤慨しながらも、皇宮の広い廊下を歩く。
ふと、気配を感じ、振り返ると見知った顔……それも先ほどの件で文句が言いたい相手が、そこに立っていた。
「イクスではないですか……いや、本当に貴方の妹には難儀させられましたよ。いったい、どういう教育をしているのです?」
「どういう教育って言ってもねぇ。あいつも、もう大人だし。第一、僕の言うこと全く聞かないんで……」
「相変わらず兄の威厳というものが皆無なのですね」
(まあ、死んでしまったので、もう2度と聞く機会などありませんがね)
頭をかきながら近づいて来るイクスに対し、フェルナトウは頭の中で『妹の死』を告げる。
「それはそうと停戦会議はどうなったんですか?」
「有り体に申せば、概ね予定通り……でしたか」
のんきに聞いてくるイクスを内心では小馬鹿にしながらも、結果に関しては口を濁す。
予定通り帝国中枢の要人達を根絶やしにすることに成功はしたが、失った手駒は少なく無かった。
目的を考えれば成功と言えるが、お世辞にも上手くいったとは言い難い。
まあ、リデル様を除けば、こちらが危険視するような人材は除去できたので御の字と言えるだろう。それに、帝国も主たる支配者層を失い、長く混乱することは確定だ。
また多くの血が流れ、主様復活の一助となるのは間違いない。
「予定通り……ね」
目の前のイクスの目がわずかに細められた刹那、フェルナトウの絶対結界が発動する。
「あれ?」
ぼとり……。
イクスの左手が結界に切断され、結界の内側に落ちる。
その手には短剣が握られていた。
「血迷うたのですか、イクス。この私の命を狙うとは?」
結界の外で、失った左手から血を吹き出させたイクスを眺め、フェルナトウが蔑んだように笑う。
「私の絶対結界はどんな攻撃でさえ一瞬で遮断します。例え、古の竜種のブレスであっても神速の剣技であっても、これを打ち破ることは不可能でしょう。そのことは貴方もわかっていると思っていました」
フェルナトウは加虐的な表情を浮かべると別の結界を展開する。
「あれあれ?」
イクスの周囲に結界が張られ、ギリギリと全身を圧し包む。
「そのまま圧し潰されてしまいなさい、イクス。実は貴方のこと、大嫌いだったんですよ。裏切ってくれたおかげで、やっと殺せて清々します」
「奇遇だね、僕も同じさ。実は僕もあんたのこと大嫌いだったんだ。主さんの手前、ずっと我慢してたけど」
圧し潰されながら、イクスは飄々と答える。
「何とでも、お言いなさい。せめてもの情けに、一足先にいったエクシィに会えることを願ってあげますよ」
フェルナトウはイクスの死を確信して、ほくそ笑む。
「え、何言ってんの? エクシィは死んでないよ」
「信じられないのは仕方ありませんが、私が先ほど殺して差し上げたんですよ、残念ながら」
嬉しくてたまらない表情でフェルナトウは伝える。
「いや、あいつの『気』は消えてないから、生きてるって……僕にはわかるんだ。フェルナトウ、あんた失敗したんだよ、きっと。結果、確認してないでしょ?」
「何ですと!」
まさか、そんな筈ない。エクシィやイーディスがあの状況で生きている訳が……いや、もう一度、確かめに戻るべきか?
違う! イクスのはったりだ、単なる悪あがきに過ぎない。
そう思い込もうとした瞬間。
「あがぁっ……」
指が首に食い込んだ。
驚愕したフェルナトウが見下ろすと、切り落とした筈のイクスの左手が自分の首を絞めていた。
そうだ……左手は絶対結界の内側に落ちていたのだ。
慌てて両手で外そうとするが、がっしり食い込んでいて外すに外せない。
「うぐぐぐっ…………」
(そ、そんな馬鹿な! この英邁な私がイクスごときに……)
口から泡を拭きながら、フェルナトウは膝から前屈みに崩れ落ちる。
「……えぶっ……ぐ……」
這いつくばったフェルナトウの動きは徐々に少なくなり、やがて時おり痙攣するだけとなる。
その様子を、効力の切れた結界魔法から生還したイクスはじっと見下ろしていた。
「僕の方こそ、やっと殺せて清々したよ」
そう呟くイクスの目には、何の感情も見出すことは出来なかった。
今回は区切りの関係から長めです(当社比1.5倍w)
やっと『ファニラ神殿』編が終わったぁぁ……。
次回から新章です(>_<)
伏線は大方、回収できたので、後はラストまでまっしぐらです!
予定では残り3章なので3月には終わるかなぁ……(;一_一)