シトリカにて ③
「とにかく、支配人に会わせるから、中へ入りたまえ」
「ちょ、ちょっと待った!」
一瞬、呆然としたオレだったが、すぐに気を取り直すとサラを押し止める。
「ん、どうしたのかな?」
「どうしたのじゃない、勝手に話を進めるな」
「え? 勝手になんか進めてないつもりだが」
「いやいや、誰が舞台に上がるんだって!」
オレが目を吊り上げて声を荒げると、サラは不思議そうにオレを指差した。
「君でしょ?」
うがあああ! 何でお前らまで……。
あろうことか、サラだけでなくクレイもワークも一斉にオレを指差していた。
クレイは明らかに笑いを抑えていたし、中立的な立場を貫くヒューも興味深げにオレを見つめている。
「わ、悪いけど、とてもオレには舞台なんて無理だよ。勘弁してくれ」
「あれあれ、それはおかしいね。昨晩、君の連れのクレイさんは確かに言ったよ。『いや、俺達も傭兵だけじゃ食えないから、前には役者の真似事もやっていた』って」
ク、クレイ~、だから余計なことは言うなっていったのに。
「前にも役者をやっていたんだ、もう一度舞台に立つなんて朝飯前だろう?」
ぐぬぬ……。
「あ、もしかして、自信がないのかい。大丈夫さ、君なら立っているだけでも絵になるからね」
ぐぬぬぬぬ……。
「それとも一度約束したことを反古にするつもりなのかな。それは、ちょっと男らしくないなぁ」
ぷちん。
「黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって! 舞台がなんだ、芝居がなんだ。役者の真似事ぐらい、やろうと思えばオレにだってできるさ。第一、男だろうが女だろうが、一度結んだ約束を破るのはオレの性分が許さない」
「では、約束は守ってもらうってことで良いんだな」
「おう、男に二言はない!」
ホントは男じゃないけどな。
胸を張って言い終えた後、はっとなる。
オレは今、何をしでかした?
クレイは頭を抱えて盛大にため息をついてるし、ヒューは半分笑いながら気の毒そうにオレを見つめている。
や、やっちまった。売り言葉に買い言葉で、退路はすでに絶たれている。
オレの舞台デヴューは、もはや完全に既定事項となってしまった。
◇◆◇◆◇
「え、また新入りかい。人員を増やすのもいいけど、出し物の方もしっかり頼むよ。それと、こっちも忙しいんで挨拶なんて……」
支配人の口が驚きで開いたままになる。
オレ達はサラに連れられ、これから厄介になる『シトリカの涙』というホテルの支配人へ挨拶に来ていた。忙しいせいか、最初は迷惑そうだった支配人は、オレの顔を見たとたん、態度を豹変させる。
「こ、こりゃあ、たまげた。自分も長い間、支配人としてたくさんの役者を見てきたが、この子ほど綺麗なのは見たことがないな」
「だろう、大入り間違いないよ。だから、もう一部屋よろしく頼むよ」
「仕方ないな、衣裳部屋で良ければ三人ぐらいは泊まれるだろう」
「恩に着るよ、支配人」
「礼の言葉なんていらないから、その分は舞台で返してくれ」
支配人はオレの方をちらちら見ながら、仕事に戻って行った。
「じゃ、リデル君。荷物を部屋に置いて支度ができたら、舞台に集合してくれ。他のみんなを紹介するから」
サラとは一旦別れて、オレ達は衣裳部屋とやらに向かった。
行ってみるとそこは衣裳部屋というより物置部屋に近い状態であったけれど、簡易ベッドを運んできた店の使用人に指示され、三人で部屋を片付けて何とか寝泊りできるスペースを確保した。
「クレイ、ヒュー、本当にごめん」
部屋の片付けが済み、使用人が下がるとオレは二人に頭を下げた。
「オレのせいで、何だかとんでもないことになっちゃって」
「いや、こちらこそ悪かった。俺にも責任の一端はあるからな」
まあ、確かにクレイにも責任が全くないとは言いがたいけれど、ヒューについては完全に巻き添えと言っていい。
申し訳ない気持ちでヒューに目を向けると、当の本人は困っているというより、どこか楽しそうだ。
「ヒュー?」
「いえ、闘技場に立つ姿も素敵でしたけど、舞台の上でもさぞかし素晴らしいだろうなと思いまして……」
ヒュー、あんたの親ばか目線は、いいかげん何とかした方がいいと思うぞ。
「けど、せっかく目立たないように旅していたのに、こんな結果になって本当に申し訳ないと思ってる。これから、どうしたらいいか考えなくちゃね」
「……お前、今までの自分が目立たなかったと思ってたのか」
クレイが心底呆れたようにオレを見つめる。
「え、ちゃんと普通の傭兵の振りをしてきたつもりだけど」
「お前に役者の才能が無いのはわかってたが、そこまでとは思わなかった。これから舞台に立つと思うと先が思いやられるな」
失敬な、これでも演技力には自信があるんだぞ。
特に淑女の振りをするのは、シンシアのおかげで完璧なんだから。
嬉しくないけど、舞踏会でどれだけの男を魅了してきたことか。
「ところで、リデル。少し気になったのですが、何故お二人は本名なのに私は偽名なのですか?」
ヒューが不思議そうに質問する。
「ヒューが有名人だからだよ」
「それはリデルも同じではないですか」
「それがそうでもないのさ」
オレはヒューに理由を簡単に説明した。
皇女アリシアがリデルと名乗っていたことを知っているのは、ごく限られた人間に過ぎない。
宮殿に勤めている者達や皇女候補だった者達だ。
けれど、そうした者達は、皇女が確定した後に口外しないよう誓紙を書かされている。
その上、ケルヴィンが行った緘口令と情報操作により、宮殿の外にはリデルの名は洩れていなかったのだ。もっとも、リデルの名はルマでの闘技大会を穢した傭兵として悪名が広まっているので、そっち方面で有名かもしれないが……。
クレイにいたっては、皇女関連の噂話で従者としては登場することはあっても名前が出ないことが多く、認知度は皆無と言ってよかった。
なので、ヒューさえ偽名を名乗れば、目立つことなく旅を続けられると踏んだのだが、今回の想定外の事態に正直、オレも困惑していた。