街の噂 ①
「お、帰ったな。刻血の儀とやらは無事済んだようだな」
「まぁ、何とかね」
宮殿に帰ると、クレイがオレの私室で待っていた。
クレイにはある依頼をお願いしていて、別行動をしてもらっていたのだ。
「で、どんな様子なんだ」
「それなんだが……」
結果を急ぐオレに対し、クレイは笑いを堪えきれない表情で口をつぐむ。
何で笑ってるんだ?
何だかむかつく。
「どうやら、この国には二人のアリシア皇女がいるらしい」
クレイはニヤニヤしながら、意味不明なことを言った。
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味さ。俺のよく知っているアリシア皇女と全く知らないアリシア皇女がいるってことだな」
クレイの返答は、まるで謎かけのようでオレにはさっぱり理解できなかった。
実のところ、オレがクレイに依頼したのは、アリシア皇女の帝都での評判を集めてきてもらうことだった。
というのも、皇女と判明してから宮殿の外へ出るのを禁じられていたし、ケルヴィンから渡された皇女殿下基本行動マニュアルを忠実にこなす毎日だったのだけど、最近少し気になることがあったからだ。
謁見や晩餐会に訪れる人々が、何だかオレに対して過剰な期待を持っていることと、傭兵時代やリデルの名を決して口外しないようにケルヴィンから約束させられていたことにある。
まぁ、皇女殿下が元傭兵で戦闘馬鹿というのは外聞が悪いので、公にしたくないのは、しごく当然だと思っていた。
なので、ごく親しい者以外には猫を被り、ケルヴィンの言いつけを守るように心がけている。
けれど、最近どうもそのせいだけではない気がして、クレイに宮殿や街での皇女の評判を確かめに行ってもらったのだ。
「笑ってないで、ちゃんと報告しろよ」
「わかった……ただ、聞いてから俺に怒るなよ。あくまで街で聞いた噂だからな」
「……うん」
クレイの告げる噂話を聞き終えたオレは頭を抱えてげっそりした。
簡単に要約すると次のような話だ。
15年前、皇帝デュラント4世とアリシア皇女は皇帝専用船沈没の折、皇帝の秘宝を使い、辛うじて一命を取りとめた。
しかし、助けられた場所が遭難地点より遥かに下流であったことと、就寝時の着の身着のままで脱出した4世自身が事故により記憶を失っていたため、二人とも身元不明の人間として扱われることになってしまう。
下流では嵐のため河川が氾濫し、多くの人間が家を追われ、命を失い、行方知れずになっていたので、帝国の捜索の手が及ばなかったのだ。
やがて、身体を癒した皇帝と皇女は辺境の地で別の人間として人生を送ることとなる。教養があった4世は村の助神官として、村人や子どもを教え、成長したアリシア皇女も父親の仕事を助け、慎ましくも平和な生活を営んでいた。
しかし、運悪く近くで起きたカイロニア・ライノニア公国軍の小競り合いに村が巻き込まれ、村人を助けるために尽力した4世は、その戦いの最中に亡くなってしまう。
そして、生き延びたアリシア皇女は、父親亡き後もその辺境の村で静かに暮らしていたが、聖石の欠片と告知により帝都へと呼ばれ、最終試練を経て皇女と判明する。
皇女の半生の噂は、多少のバリエーションの違いはあれど、大体そうした内容に落ち着いていた。
極めつけなのは、皇女の人となりが、たおやかで争いを好まず、理知的で物静かな淑女であるってところだ。
誰だ、そいつは?
クレイでなくても、オレでない別のアリシアが存在すると思うだろう。
「どうやら、元凶はケルヴィン内政官様のようだ」
頭を抱えるオレを楽しそうに見ていたクレイが告げ口するように囁く。
「何だと!」
オレの目が三角になるのを見て、クレイの口角がわずかに上がる。
「皇女の半生について公式の発表をしていないのと、今聞いた噂を裏で流しているらしいな」
「何でそんなことを……」
「ルマの武闘大会に出た傭兵リデルとアリシア皇女が同一人物だという事実を隠蔽したいんだろうさ」
「そんなことすぐにバレるのに決まってるのに」
「そうでもないぞ。例の皇女候補たちにも既に手を回しているようだし、宮殿から秘密が漏えいすることもない。厳重な緘口令を敷けば、アリシア皇女の真の姿が一般民衆に知られることは、まずないと考えていい」
「…………」
「大変だな、リデル。これから『お嬢様』スキルを真面目に磨かないと、人前に出られなくなるぞ」
クレイのダメ押しの言葉に、オレはがっくりとうなだれた。
「リデル様」
気がつくとシンシアがうなだれたオレの背中にそっと手を置いていた。
「元気をお出しください。私がお傍におります」
「シンシア……」
シンシアの優しい言葉に思わず、うるっとする。
何だかんだ言ってもシンシアはオレのこと、よくわかってくれている。
いつも口うるさい小姑とか、性格が鬼畜過ぎるとか言って、ごめん。
なるべく、シンシアの要望に応えられるよう頑張るよ、オレ。
「公式の場で失敗など、私が絶対させません。そんなことにならないよう、徹底的にしごいて差し上げますので……御安心ください」
「…………」
決して冗談とは思えない真剣な眼差しに、嫌な汗が流れる。
マジだ。絶対、マジだこの人。
きっと、血反吐を吐いても許してくれないに違いない。
オレはどうやったら無事に過ごせるか、真剣に考え込む。
ちょっと泣きそうになった。