刻血の儀 ④
「でもさ、言ってはなんだけど。この継承制度って、かなり無理があるんじゃないの? 継承者が少なすぎて立ち行かなくなるのは目に見えてると思うんだけど」
「元々、歴代の皇帝は多くの側妃や愛妾を持ち、継承者争いが絶えないほど多くの継承者がいたそうです。7歳で刻血の儀を執り行うようになったのも、それまでに後継者争いを終息させ、次代の皇帝を明確にしておく……そういう目的もあったようです」
なるほど。継承者が多いことが前提に、継承者候補の枠を狭めたのが仇になったわけだな。
「デュラント三世陛下はたくさんの愛妾がいたにも関わらず御子が少なく、四世陛下にいたっては正妃はお一人のみでしたので……」
絶対数が足りないわけだ。
「だけど、帝位継承者としてカイル・ライル両公爵がいたんだろ。どちらが兄か知らないけど、四の五の言わずにそいつを皇帝にすれば良かったんじゃないのか?」
一度、臣下に下ったとは言え、長子死亡の非常事態だ。帝室に復帰することに問題はないと思う。
「殿下の仰せの通りでございます。ですが、如何せんイオステリア帝国の版図は広大なのです。帝国の各地方にそれぞれ特色があり、気候も人の気質も文化さえ大きく異なっています」
「それが?」
「困ったことに双子のどちらが兄でどちらが弟かという決まりごとが、北部と南部では違っているのです」
すなわち、カイロニア公国を含む南部地方では先に生まれた児が、ライノニア公国を含む北部地方では後に生まれた児が兄と決められているのだと。
「そ、それじゃ……」
「はい、南部ではカイル公爵が、北部ではライル公爵が兄と考える者が圧倒的に多いのです。さらに言えば、アルセム王国の文化に近い東部地域では双子を忌み嫌う慣習があり、そもそも双子の帝位継承権さえ認めていません」
「……」
オレは思わず絶句した。
双子戦争(カイロニア・ライノニア帝位継承戦争)の根底に、このような地域間の信仰の違いが深く関わっているとは全く知らなかった。
単なる権力争いではなく、各地域の対立構造があるとするならば、一筋縄ではいかないだろう。
唯一の円満解決の手段が、オレとの結婚というのなら両陣営の真剣さも頷ける。
正直、そのプレッシャーに頭を抱えたくなった。
「帝位継承権の序列が厄介なのはよくわかったけど、その『Ⅰ類継承神具』ってのは、いったいどういうものなんだ?」
「それ自体に大いなる力を宿す宝物で、武具や防具を始め、軍事や統治に多大な恩恵を与える神具だと聞き及んでいます。しかしながら、最も有名で重要なものは『皇帝御璽』と言ってよいでしょう」
「『皇帝御璽』?」
「え?」
パテイオの表情を見る限り、当然知っているものと思っていたようだ。
も、もちろん、オレも知ってるさ。確か、皇女候補の講義で習ったのを覚えている。
ちょっと、忘れてるだけなんだ……。
「『皇帝御璽』ね。もちろん、知ってるけど、内容を確認する意味で、もう一度改めて説明してくれ」
「はい、『皇帝御璽』は皇帝が国事行為、具体的に言えば、帝国法の発布や改正、他国との条約調印や宣戦布告など行う際に署名した文書に捺印することで効力を発生させる印章のことです」
ああ、それなら確かに聞いたことある。皇帝が署名した文書だって証明する印だったよね。
「『皇帝御璽』は『Ⅰ類認許者』以外は押印することはできません。印面には何も篆刻されておらず、全くの平面ですが『Ⅰ類認許者』が使用すると朱をつけなくても印影が押されるのです。しかも、その印影は水に滲まず何百年経っても色褪せることはないと聞いております」
うわぁ、まさに皇帝の持ち物って感じだ。
「でも、それだと皇帝しか押せないから、押す書類がたくさんになって大変なんじゃない?」
オレの質問にパティオはにっこり笑って答える。
「その心配には及びません。神具である『皇帝御璽』は『正璽』と呼ばれ、特別の時以外は使用されませんので。通常の文書は宰相府の『御璽局務官』が管理する『副璽』が使用されていて、皇帝自ら押すことはそう多くありません」
「そうなんだ」
良かった。もしオレが皇帝になったら、書類の山に埋もれるのか思った。
「後ですね、この『護りの紅玉』の一つは石盤に埋め込み、先ほどの天帝の間に設置します。もう一つはフィビュラ(装身具の一種、留め具)にして、殿下にお渡しします。先ほど話した副次機能があるので、御活用ください」
「いいけど……、失くしそうで怖いんだけど」
「そ、それだけは絶対にお気をつけください、お願いします。『護りの紅玉』は、非常時には殿下の身の証となりますので」
「それ、どういうこと?」
「各地の神殿に配置されているⅢ類神具の『神位具現鏡』を紅玉に使えば、神位の高さがすぐに判明します。それにより、持ち主がアリシア殿下であることが証明されることになるのです」
あ、それに似た話は聞いたことがあるぞ。
傭兵団にいた頃、吟遊詩人の詩で聞いた昔の皇帝の話だ。
幼い頃、政敵に殺されそうになった皇子が忠実な家臣に救われ、成人して軍隊で活躍するが、件の政敵に疎まれ苦労した挙句、最後に紅玉で身分の証を立て、帝位につくという筋書きだったはずだ。
なるほど、そういう下敷きがあったんだ。
オレが感心していると、パティオは神妙な顔で続ける。
「このように『皇帝継承神具Ⅰ類』は国の根幹に係る重要な宝物であり、それを担う帝位継承者の重責は決して小さくありません。この度、帝位継承者となられたアリシア殿下におかれましても、そのことを重々お受け止めになり、今後の指針となされるのが良いと存じます」
なんか、また一つ厄介なことが増えた気がしないでもないけど、これも皇女の役目だと思って納得することにする。
それよりも、『刻血の儀』が無事終わって、正直ほっとしたのも事実だ。
儀式が終わると、待っていたユクとシンシアに合流する。
オレと入れ替わるようにユクはパティオとの話があるので、待っていようとすると、パティオから「皇女殿下をお待たせする訳には参りません」と帰るように懇願され、ユクからも申し訳なさそうに「先に戻っていて」と諭された。
シンシアからも、昼食後に帝国参事会の予定があるので、準備のため早めに戻ることを優しく(?)提案され、一足先に宮殿へ戻ることになった。