刻血の儀 ③
「アリシア殿下……恐ろしく思う気持ちは重々承知しております。が、何卒必要な手続きとお考え、よろしくお願いいたします」
あ、物思いに耽っていたら、傷をつけるのを躊躇しているように思われたらしい。
「ごめん、すぐにやるから」
オレが宝剣を構えると、パティオが頷いて言った。
「儀式の祝詞を詠いますので、それに合わせてお願いします」
パティオが聞きなれない言葉で詠唱を始めるのを耳にしながら、オレは手の甲をすっと切りつけた。
傷口にぷくっと血がたまり、やがてたらりと流れ落ちる。
台の石板中央に落ちた血はすり鉢にそって真ん中の穴に吸い込まれていく。
ぽたぽたと落ちる自分の血を見ていると、死ぬ間際に大量の血を流した親父のことが不意に思い出された。
親父の血とオレの血……皇帝の血統か。
ぼんやりと見つめていると、ほどなくパティオが詠唱を終え、近づいてくる。
「もう十分です。すぐに止血を……」
魔法薬を取り出したパティオの言葉が途中で止まる。
「パティオさん? どうした……」
視線の先を見て、オレも言葉を失う。
先ほど切りつけた手の甲の傷が淡い白光と共に徐々にふさがっていくのが見えたからだ。
二人とも思わぬ事態に沈黙する。
先に我に返ったのはパティオ大神官だった。
「さすがは皇帝の血統者であるアリシア殿下です」
なにが、さすがかはわからないけど、パティオはその理屈で怪異を無視して儀式を続けることにしたようだ。
「アリシア殿下、もう石板から離れていただいて結構です。それでは、儀式を続けさせていただきます」
後ろに下がったオレの代わりにパティオが石板の前に立った。
「無作法で申し訳ありません。本来、この儀式は聖神官が執り行うことになっているので、私も全ての聖句を覚えていないのです」
そう言うと懐から書付けを取り出し、おもむろに広げた。
そして、先程と同じように見知らぬ呪文……聖句を唱え始める。
興味深げに眺めていると、パティオの唱える聖句に呼応するように台座や壁面の一部が明滅した。
どうやら、台座を含むこの部屋自体が一個の魔道具のようだ。
やがて、台座のへこんだ部分に二つの紅い珠が徐々に形成されていくのがわかる。
それは、壁面の石盤に埋め込まれているもと同様なものに見えた。
思うに『天帝の間』とは、帝位継承者の血を元に、あの宝玉を作るための装置らしい。
そして、パティオの聖句が終わると同時に、紅く輝いていた宝玉も光を失った。
パティオは宝石用の柔らかい布を取り出し、宝玉を恭しく摘まむと専用の箱に収納する。
二つとも収めるとオレの方に向き直り、箱に収まった宝玉を見せる。
「こちらが殿下の『護りの紅玉』となります」
パティオに自信たっぷりに見せられたけど、それが何なんだ?というのが正直な感想だ。
この紅玉を作る過程は確かに凄かったけど、大袈裟な装置のわりに成果品は小粒の宝玉が二つだけというのは、どうなんだろうと思わないでもない。
「殿下……別室でこの度の儀式について解説いたしたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
オレの訝しげな表情に気付いたパティオが慌てて口を開く。
もちろん、異存はなかった。
◆◇◆
大神殿の最奥部にある天帝の間から少し離れた賓客をもてなすために設けられた部屋に案内される。
大神官の執務室に近く、天帝の間ほどではないが、中枢部といってよいエリアだ。
「『護りの紅玉』の本来の意味の前に単体としての能力をまず説明いたしますね」
「単体としての?」
「はい、この宝玉は単体としても優れた神具なのです。すなわち……」
暗闇ではほんのりと輝き。
寒い時は、ほかほかと熱を持ち。
暑い時は、ひんやりと冷え。
いつも、柔らかな良い匂いを周囲に漂わせ。
害虫が近づくのを妨ぎ。
保持者の心を安らかにする。
「そうした能力を有しています」
う~ん、凄いといえば凄いけど。
なんか、微妙。
「『護りの紅玉』の単体としての能力は、保持者の生活を快適にすることに主眼が置かれていまして……大きな加護はありませんが、心を安らかにさせる稀有な神具と言えましょう」
オレの微妙な空気を察し、パティオは慌てて効果を強調する。
「そして、『護りの紅玉』の本来の意義は、『皇帝継承神具Ⅰ類』を起動することにあります」
「『皇帝継承神具Ⅰ類』?」
また、初耳の単語だ。
「皇帝の所有する神具は上位からⅠ類、Ⅱ類と続きⅤ類までの5段階に分けられています。その内、Ⅰ類は帝位継承者しか扱えない神具なのです」
へえ、そんなのがあるんだ。
「『刻血の儀』の真の目的は、宮殿にある『神帝の間』を起点に帝国各地に点在する『皇帝継承神具』を統括する『継承神具の理』に帝位継承者として登録することにあります。これにより作成された『護りの紅玉』はⅠ類の神具を使用するために不可欠なものなのです」
「つまり、帝位継承者はⅠ類継承神具とやらが使えるってことなんだな」
「その通りでございます。ですので、帝位継承者を別名『Ⅰ類認許者』とお呼びすることもあります」
「ふ~ん、ってことは、現在のⅠ類認許者って……」
「アリシア皇女殿下とライノニアのライル・ユーレクト公爵、カイロニアのカイル・オルバート公爵の御三方のみでございます」
「えっ、レオンとアルフには継承権がないの?」
「はい、デュラント三世の勅命によって、アリシア殿下と婚姻した公子に継承権が与えられることになっていますので……」
なるほど、両陣営が目の色を変えるのもわかる。
オレと結婚して初めて帝位継承権が持てるんじゃ、婚活に力が入るのも当然だ。