刻血の儀 ②
「あのね、ノルティに大切な頼みがあるんだ」
「頼み?」
「そう、聞いてくれる?」
「うん、リデルの頼みなら、もちろん」
「実はね、今晩は久し振りに予定が入っていない日なんだ。だから、オーリエも帰ってきたのを機会に宮殿でお泊り会でもしようかなって」
「ホ、ホント?」
ノルティの目が驚きと期待で見開かれる。
「ああ、本当さ。そうだよね、シンシア」
「はい、アリシア様の仰るとおりでございます。すでに準備万端、整っています」
さすが、シンシア。オレの無茶振りに即興で合わせてくれる。
「でね、さっきオーリエにそれを言おうと思ってたのに、言い忘れちゃってさ。だから、ノルティに伝えてきてもらいたいんだ」
「でも……」
儀式が気になっているのがありありとわかる。
「もし、オーリエが来られないとなると、残念だけど今晩のお泊り会は中止にせざるえないなぁ」
「そ、それは一大事!」
「だろう? 今ならまだ、宮殿に残ってると思うんだ」
というか確実に残ってる。
今ごろ、デイブレイクのところに顔を出してる筈だから。
「どうだろう、頼めるかな?」
オレがお願いオーラを出しながら見つめると
「わかった、ボクに任せろ」
と大見得を切った。
そして、一目散に走り出そうとして振り返る。
「儀式については後ほど詳しく……」
忘れずに念押ししてから、ノルティはその場から走り去った。
「本来は大神殿で走るなど、もってのほかですが、この際は大目にみましょう。ユク様達をご案内差し上げて」
案内役の神官に再び、指図するとパティオ大神官はオレに向き直った。
「では、殿下はこちらへ」
「あの……友だちが迷惑かけてごめん」
「いえ、殿下がお気になさることではありません。それにノルティ殿が才気にあふれた方と存じております。彼女の師匠と同様、異彩を放つ人間は時として常識の枠にとらわれないものだと理解していますので……」
「そうなんだ、そう思ってくれるならオレ……私も助かる」
言い直すオレに優しい笑みを浮かべたパティオ大神官は、先に立って歩くことの許しを請うとオレを天帝の間へと案内した。
天帝の間は大神殿の一番奥まった位置にあり、立ち入ることができるのは限られた者だけだそうだ。
そこに続く廊下も念入りに磨かれ、大神殿の中でも特別な場所だとわかる。
先に立って歩くパティオさんも、先ほどからずっと黙ったままで、しんとした厳粛な空気に息が詰まりそうだ。
「どうぞ、こちらです」
廊下を進み、一番奥にある扉を開けると、手を差し向けながら、中へ入るようパティオさんが促す。
オレは軽く頷くと、天帝の間へ一歩、足を踏み入れた。
「……む」
一瞬、ぞくりとした感覚が走り、鳥肌が立つ。
「どうかなさいましたか?」
思わず、足を止めると後ろにいたパティオさんが心配そうに聞く。
「ううん、何でもない」
オレは違和感を無視して、天帝の間の奥へと進んだ。
そこは、果たして不思議な場所だった。
思ったより広い円形の部屋で天井はドーム状になっていた。
光源の仕組みは解らないが、淡い光が薄暗い部屋の中を僅かに照らし幻想的な雰囲気を醸し出している。
中央には複雑な紋様が刻み込まれた台座が置かれているのが見えた。
そして、眼を凝らして見ると壁面全体にたくさんの石盤が設置されているのがわかる。
しかも石盤の中央には紅い宝玉が埋め込まれていた。
先ほどの違和感はこの紅玉が眼のように見えて、たくさんの視線を感じたように錯覚したらしい。
「壁面の石盤は代々の帝位継承者を表しているものです」
パティオ大神官の言葉で近くにある石盤の一枚に注目してみると、確かに名前が彫られているようだ。
「これ全部そうなのか?」
「はい、そうです。特に前面に配置されているのは皇帝に即位した方々になります」
そして……とパティオは続けた。
オレも刻血の儀を済ませれば、帝位継承者としてこの壁面に加わるのだと。
「それでは儀式を始めますので、台座の前までお進みください」
言われるままに台座の前に立つと、台座の中央がゆっくりとせり上がってくる。
驚いて見ていると、ちょうどオレの腰の辺りで台の上昇が止まった。
台座からせり上がった四角い石板の中央はすり鉢状になっており、中心に小さな穴が開いているのがわかった。
「大変、申し上げにくいことなのですが、こちらで御身に傷をつけ、石板中央に、その貴き青い血を垂らしていただきたいのです」
斜め後ろに立つパティオが豪奢な宝剣を差し出す。
「えっと……短剣を使って、ここに血を流せってこと?」
宝剣を受け取って、パティオに確認する。
「はい、玉体に傷を負わすのは忍びないことですが、儀式として平にご容赦ください」
このように……と短剣で手の甲を切りつける仕草をパティオは見せる。
「すぐに止血用の魔法薬を塗ります。ご心配には及びませんので……」
ふむ、どうやら拒否権はなさそうだ。
傭兵という職業柄、傷を負うことは日常茶飯事だったから、傷をつけろと言われても、さして抵抗感はない。
そう言えば、クレイの奴が傭兵時代にオレが傷を負うたびに大騒ぎしてたのを思い出す。
特に額に傷をつけた時は、真っ青になってた。
オレとしては可愛い顔が元で舐められてばかりいたので、凄みが出て一目置かれるから丁度いいなんて虚勢を張ったら、凄い剣幕で怒られたっけ。
あの当時はクレイがオレに過保護すぎると不満に思ってたけど、今にして思えばオレが女の子だったから、あんなに心配したんだとわかる。
もっとも、女だったとしてもクレイと一緒に戦った時に出来た傷を後悔するとは思えない。
自分が選択して起きた結果は、自分で責を負うのは当たり前のことだ。
決して誰かのせいにしたりなんかしない。
そこが、クレイにはわかってもらえず、いつも歯痒く感じていたのを覚えている。