刻血の儀 ①
「ふえ~っ」
大神殿の天井を仰ぎ見て、オレはため息をつく。
豪奢なレリーフや贅を凝らした柱の装飾に眼を奪われる。
イオラート教の権勢は噂には聞いていたけど、ここまでとは思わなかった。
もしかしたら、皇帝の宮殿より立派かもしれない。
「リデル様、お口が開きっぱなしです」
シンシアに小声で指摘されて、慌てて口を閉じる。
あぶない……もう少しで涎をこぼすところだった。
「無駄に……お金かけ過ぎ」
ノルティが率直過ぎる感想を述べると、案内してくれている神官が嫌な顔をする。
まあ、オレもそう思わないでもないけどさ、さすがに大神殿で口にする勇気はない。
「でも、すごく綺麗ですね」
ユクは眼を輝かせて神殿内をきょろきょろと見渡す。
「うん、そうだね」
確かに、世知辛いお金のことを忘れて見れば、美しく荘厳でさえある。
信仰心の篤い者にとっては、感極まる光景だろう。
皇女という立場上、大きな声では言えないが、あまり信心深い方ではないオレとしては、感心はするけど感動までに至らない。
オレは刻血の儀を行うため、大神殿に来ていた。
パティオ大神官(正神官より昇格)に呼ばれたユクとオレにくっついて離れないノルティ、静かに付き従うシンシアも一緒だ。
クレイには別の用事を頼んであり、今回は同行していない。
え、護衛も付けずに大丈夫かって?
一応、ここは宮殿に次ぐ安全な場所だと思われているらしい。
というのも、大神殿はライノニアにもカイロニアも与していない中立派だからだ。
表向きは、皇帝不在で心安らかならぬ帝国臣民にいたずらに不安を与えぬよう公平を保っているという触れ込みだけど、実際はちょっと違う。
大神殿のトップたる聖神官は皇帝によって任じられるが、推薦するのは実のところナウル教皇領にいるイオラート教の教皇なのだ。
そのため、大神殿において教皇の影響力はかなり大きく、口さがない者は『聖神官は教皇の代弁者に過ぎない』と陰で言われていたほどだ。
けど、聖神官のいない現在の大神殿は、教皇の軛から外れて独自に意思決定できる状況にある。
大神殿の中枢にいる者達にとっては、内戦終結に異を唱えるつもりは毛頭ないが、しばらくは現状維持のままの方が都合が良いとさえ思っているようなのだ。
そんな訳で今まで、どちらの公子にも与せず中立を保っている。
『それに奴らには、両公国も一目置く固有の戦力があるからな』
――だから、悠々と中立が保てるのさ。
オレに現在の大神殿についてレクチャーしてくれたクレイが、そう言ってニヤリと笑ったのを思い出す。
神殿の奥に目を向けると、左右に彫像のように整列した重厚な騎士団の姿が見えた。
「神殿騎士団か……」
白色に統一された鎧に身を包み、微動だにしない様子に精鋭らしさが感じられる。
戦闘力は不明だけど、装備は一級品に見えた。
なるべく喧嘩しないように気をつけよう。
「ようこそ、大神殿へ。アリシア皇女殿下」
パティオ大神官が笑顔でオレを迎えてくれる。
大神殿の代表として何度か顔を合わせているけど、オレとしては少し苦手なタイプだ。
ミステリアスな雰囲気を湛えた綺麗なお姉さんなのだが、何か裏の顔を持っていそうだし、訳知り顔で何でも見透かされそうで敬遠したくなる。
それに若くは見えるけど、年齢もミステリアス(?)で、今幾つなのか全く見当がつかない。
命が惜しいので、その話題だけは絶対避けようと固く決心する。
「……お化粧、濃過ぎ」
親しい人以外には相変わらず人見知りなノルティがオレの陰に隠れてぽつりと呟く。
荘厳で静かな大神殿内にその呟きだけは妙にはっきりと響いた。
オレはノルティに指でしーっとしてから、慌ててパティオ大神官に振り返ると、彼女は能面のような顔に笑顔を貼り付けたまま静かにオレを見ていた。
こ、怖いんですけど。
「あ……パティオ大神官、待たせて悪かった。今回は儀式のために、いろいろありがとう」
「い、いえ……尊いお身体をこちらまでお運びいただき、恐悦至極でございます」
パティオは職務に忠実らしく、先ほどのノルティの発言は無かったこととして、会話を繋げた。
大人の対応だ。
「パティオ様、お呼びにより参上いたしました」
ユクが頭を下げると、パティオは頷いて答える。
「ユク様も、ご足労ありがとうございます。ただ、申し訳ありませんが、皇女殿下の用向きが終わるまで、しばらく待っていていただくことになります」
「はい、構いません」
ユクが了承するのを確認すると、オレの脇に控えるシンシアに目を向ける。
「それと侍女の方も同様にお待ちいただくことになります」
「仰せに従います」
普段ならオレの傍から離れないシンシアもさすがに秘儀には付き添えないようだ。
二人の返答を聞き、パティオの指示を受けた神官が、控えの部屋に案内しようと近づいてくる。
「……え~と?」
その段になって、やっとオレとユクとシンシア、そしてパティオ大神官は困惑顔でノルティを見つめる。
ノルティはニコニコしながら、その場に残る気まんまんだったのだ。
「ノルティ殿、申し訳ないのだがユク様達と一緒に……」
「ボクは大丈夫。気にしないで……」
いやいや、大丈夫じゃないって。
刻血の儀って、帝国の秘儀中の秘儀だから。
いくらトルペンの弟子でも見学は無理だと思う。
パティオを見ると言外に説得してくださいと言っているのがわかる。
「あの~ノルティさん?」
「リデル、早く行く……」
ノルティはオレの服の裾を掴むと真っ直ぐに純真な瞳を向ける。
あ、駄目だ。
こんな眼で見られたら、無下に断われない。
仕方ない、秘策を出そう。