帝都への帰路とオレ 後編
「ユク……?」
副官の隠し持った短剣からオレをかばったのは、後ろから飛び出したユクだった。
倒れこむ彼女をオレは、とっさに抱き止める。
オレの心臓を狙った剣先は前のめりに飛び込んだユクの肩口を貫いていた。
「リデル……」
「ユク、しゃべるな! なんて無茶なことを」
「怪我は……ない?」
「ああ、ユクのおかげさ」
抱きしめるオレの指が血で濡れる。
「リデル!」
再び、オレを突こうとしていた副官の短剣を弾き飛ばしながら、ヒューが近づく。
「大丈夫ですか!」
「オレは無事だ。けど、ユクが……」
「ええ、すぐに手当てを……でも、その前に」
ヒューは、短剣を弾き飛ばされ、ヒューの間合いから離れた副官を鋭く見つめた。
「いったい、どういう了見ですか」
ヒューの問いかけに答えるかのように副官はにやりと笑うと、左腕を高く上げ前方に振り下ろす。
すると、それを合図にオレ達を取り囲んでいた敵兵に倍する伏兵が四方から姿を現した。
装備にばらつきがあり、とても正規兵には見えなかった。
盗賊団……それも一軍に匹敵する規模だ。
そういえば傭兵団にいた時、耳にしたことがある。
内戦を喰い物にしている犯罪組織の噂だ。
正規軍や傭兵団の一員、貴族はもとより公国の高官までが密かに名を連ねるといわれていた。
確か……『レイウルス』だったと思う。
その下部組織に荒事を専門にこなす実行部隊の存在が確認されていた。
戦乱に乗じて略奪を繰り返す最低な連中だ。
「皇女様なら高値で売れそうなので、もったいないのですが……。これも契約ですので、仕方がありません。残念ですが、貴方達には全員この場で死んでもらいます」
副官は周囲に目配せしながら、叫んだ。
「さあ、皆さん。楽しい狩りの時間です!」
隊長がいきなり、クレイに斬りかかる。
オレとユクの元へ駆け寄ろうと背を向けていたクレイは振り向きざまにそれを弾き返すが、それを機に周りの敵兵が一斉に襲いかかってきた。
すぐさま、護衛の兵が応戦し、戦況は乱戦状態となった。
オレがユクの止血をしている間、ヒューがオレ達の前面に立って守ってくれた。
後ろから見上げるヒューの背中の頼もしさは言葉にできない不思議な安心感をオレに与えてくれる。
銀の甲冑に身を包み、右手にブロードソード、左手にラウンドシールドを構え、スラリと立つ姿には男のオレでさえ……今はもう女だけど、見惚れるほどだった。
うら若いお嬢さん方から絶大な人気を得るのも頷ける。
でも、一旦戦闘が始まると、その攻撃は果断で容赦がなかった。
普段、柔和な雰囲気である分、そのギャップに戦慄を覚える。
オレを殺して功名を得ようと焦る連中が殺到してきたけど、ヒューは冷静に対処していく。
様子見の敵の剣を素早く払うと首筋に一突き、不用意に近づく相手にはシールドで頭をぶん殴る、怖気ずく相手には体当たりをかませて打ち倒す。
闘技場で見せる洗練された動きとは違う粗野で荒々しい戦い方に目を見張った。
一瞬の隙が命を落とす戦場では、手加減など確かに持ってのほかだけど。
ヒューが実戦の修羅場を何度もくぐり抜けてきたという事実を改めて実感した。
それにしても……今日のヒューは?
垣間見える横顔の表情にオレは目を丸くする。
(ヒュー、怒ってる?)
そう、ヒュー・ルーウイックは間違いなく怒っていた。
いつもとさして変らない表情だけど、けっこう長いこと付き合ってきたオレにはよくわかる。
あれは激怒しているに違いなかった。
ただ、怒りに我を忘れるタイプではなく、怒りを冷静に受け止め、その感情を攻撃に転化できるタイプらしく見た目はあまり変らない。
何故?……と思ったけど、オレの腕に抱き抱えられているユクに気づき合点がいく。
そもそも今回の皇女選定イベントで、ヒューはユクの護衛役という設定で入城していた。
実際それは、入城するための方便に過ぎなかったのだけど、ヒューは律儀にユクの護衛をずっと務めていたのだ。
護衛役としては悔やみきれない失態と感じているのかもしれない。
それに、優しくて控えめなユクと温和で理知的なヒューは話が合ったようで、普段から一緒にいることが多かった。
ユクにしたらオレを除いて、他の誰よりも親しい間柄と言えるんじゃないだろうか。
一見すると、年の離れた世話焼きの兄とそれを一途に慕う妹の図に見えないこともない。
まぁ、恋愛関係にほど遠いことだけは、はっきりしているけど……。
ヒューの圧倒的な強さにその周りに一定の空間が生じるほど、しばらくは遠巻きに見ていた敵も援軍を得るとじわじわと囲みを狭めてくる。
しかも、その指揮をとるのは、あの副官だ。
個人が闇雲に戦いを挑むのを止め、集団で押しつぶそうという戦法に切り替えてきた。
そうなると、さすがに多勢に無勢な感じに思える。
やっぱり、あの副官……侮れない奴だ。
視線を他方に向けると、クレイの方も隊長を含めた敵の集団相手に五分以上の戦いを繰り広げ、他の護衛兵達も善戦しているのがわかった。
けど、いかんせん、数が違う。
このままでは、かなりヤバイぞ。
「リデルさん……」
焦るオレのすぐそばに、いつの間にかトルペンが立っていた。
「ユ、ユクは……だいじょぶデスカ?」
倒れたのを見て駆けつけて来たみたいだ。
傍目から見ても、おろおろしているのがわかる。
当たり前の話だけど、こんな奴でも娘が心配で居ても立ってもいられない状態になるんだ。
「トルペン、あんた治癒魔法は使えるのか?」
「残念ですが、我輩には再生能力があるので覚えていないのデス」
そうか、自然に治るんじゃ治癒魔法は必要ないか。
「トルペン、ユクを頼む。ちょっとオレ、加勢してくるから」
オレの言葉にトルペンが意外そうな顔で言う。
「リデルさん、我輩が戦ってきまショウカ?」
確かに、魅力的な提案だ。
トルペンの戦闘力は人型であっても、オレのそれに匹敵するだろう。
けど、今のトルペンはとても冷静だとは思えない。
現に、オレに許可を取ろうとしてはいるが戦う気満々だ。
恐らく、戦況次第で竜の姿に戻って戦うことを厭わないだろう。
それも、確かに有効な戦術だとは思う。
トルペンが竜に変化するだけで敵の士気が落ちるのは必至だ。
竜の巨体を生かした攻撃や他を圧倒する魔法も捨てがたい。
けど、こんな帝都の近くで伝説級の竜が暴れて、しかもその正体が宰相補だなんて知られたら、帝国中が大変な騒ぎになってしまうだろう。
さすがに、それは避けたい。
「ユクをこんな目に合わせた奴、オレが放っておける訳ないだろ。それにオレの身代わりになってくれたんだ。オレがやらなくて誰がやるんだ」
「リデルさん……」
トルペンは仮面越しにオレをじっと見る。
「……わかりマシタ。貴女にお任せしまショウ」
相変わらず表情は読みにくいけど、トルペンは少し無念そうに首肯した。
「ユク、ちょっと待っててくれ、すぐ戻るから。それまでは不本意かもしれないけど君のお父さんに看ててもらうからね」
意識が無く呼吸の苦しげなユクを慎重にトルペンに預け、オレは馬車からテリオネシスの剣を引っつかむと戦場へと向った。
「ヒュー、加勢に来たぞ!」
そう叫んで、ヒューを取り囲む敵兵に突進すると、相手は虚を衝かれたらしく動揺を見せる。
まさか、殺そうとしている皇女自らが突っ込んでくるとは思わなかったらしく、さすがの副官も面食らっていた。
狙うはその副官だ。
どうやら、隊長はお飾りで実質上の指揮官はあの副官と見た。
奴を倒せば、この劣勢を覆せるかもしれない。
一番外側にいた正規兵の格好をした男が、かろうじて反応してオレに向き直る。
「邪魔するな!」
オレが剣を一閃すると、防御しようと構えた盾の上部がスッパリと切れる。
「へっ?」
敵兵の顔が信じられない物を見たように歪む。
そりゃそうだ。
本来、敵が持つ鉄製のミドルシールドは剣を弾くための代物で、それ相応の硬度がある。
それが薄い板のように切られれば、顔が変な風に歪むのも当然だ。
まあ、竜を持ち上げられるような馬鹿力で、空間障壁をぶった切る剣を使ったら、大抵の物なら切り裂けるだろうけど。
オレは左手で盾の破片を拾い上げると、片手で握りつぶしてみせた。
「一度しか言わないから、よく聞いておけ。オレに喧嘩を売ったら、甲冑ごと切り捨てるぞ!」
「う、うわ――!」
オレの威嚇に目の前の男は叫び声を上げると、剣と切断された盾を投げ出し、一目散に逃走を始めた。
それを見ていた周囲の兵も一斉に浮き足立つ。
「ば、化け物だぁ!」
し、しまった。
宰相補が竜だと言う噂は流れないけど、皇女が化け物だと言う噂が流れちまう。
オレが密かに冷や汗をかいていると、他の兵が逃げ出す中、副官だけがオレの前にゆっくりと立ちはだかる。
「逃げないなんて、いい度胸だな」
副官の奴、さすがに顔は引きつっているけど、逃げる素振りを見せない。
剣の腕もさっきオレを襲った時の剣捌きから、相当の遣い手だとはわかるけど、実力差もはっきりしている。
勝てる見込みは万が一にもない。
いったい、どういうつもりだ?
「リデルさん――――――――!」
そう考えた矢先、トルペンの声がオレに届く。
「どうした、トルペン!」
腰からゆっくりと投げナイフを取り出す副官に目線を固定しながら、トルペンに状況を聞く。
「ユクの様子がおかしいのデス」
「何だって?」
一瞬だけトルペンに抱かれたユクに視線を走らせる。
「くっ!」
思わずオレは歯を食いしばる。
ユクの傷口の周りが黒く変色していた。
恐らく、刺した短剣に毒が塗られていたのだ。
選ばれた皇女にそれなりの武勇があることは事前に情報を掴んでいたのだろう。
毒剣なら、かすり傷でも致命傷となりうる。
ということは……。
副官が構える投げナイフに目をやる。
あれにもたぶん、毒が仕込まれているに違いない。
なるほど考えたな。
投擲武器は剣よりも、はるかに速い。
しかも一本でもかすっただけで目的を果たせる。
「トルペン! ほんの少し待ってくれ。オレが何とかする」
毒剣使いが解毒剤を持っている可能性はある。
不用意に毒を使ってしまった場合に備えてだ。
ユクを救うには副官を速攻で倒して、それを手に入れるしかない。
オレは素早く行動を開始した。
先ほどの男が投げ捨てたミドルシールドを拾い上げるとテリオネシスの剣を構え、一直線に副官に突進する。
そして、ナイフを投げようとしている副官めがけて、その盾を投げつけた。
奴のことだ、オレがかわしたり盾で防げないように顔や手足に分散してナイフを投げるつもりに違いない。
だから、ナイフが手を離れる前に決着をつけようと目論んだのだ。
それは攻撃と防御を兼ね、相手の戦意喪失を狙ったものだったが、思いもよらない結果を招く。
盾に弾かれたナイフが投げた当人に跳ね返り、副官の首筋に突き刺さったのだ。
ヤバイ! と思った時には、すでに遅かった。
投げナイフに仕込む毒は少量となるのため、先ほどユクが受けた毒より致死量の高い毒物だったようだ。
見る間に副官はのけぞって倒れ、痙攣を始める。
「お、おい大丈夫か。解毒剤はどこだ?」
油断させる演技を疑って警戒して近づくが、とてもオレの質問に答えられる状態ではなかった。
「おい、しっかりしろ。解毒剤を早く……」
もう、オレの声は耳に届かない。
伸ばした右手が虚空を掻き毟る仕草をした後、がっくりと息絶える。
虚ろになった目は何の表情も表さなかった。
自業自得とはいえ、悲しい末路だ。
そこへ、敵兵をやっと退けたヒューがオレの元へたどり着く。
「リデル、大丈夫ですか、ユクの様子は!」
「ユクが毒にやられてるんだ。そいつの身体を一緒に調べてくれ、解毒剤を持っているかもしれない」
すぐさま、ヒューと二人で副官の所持品を調べたが、目的の薬は見つからなかった。
絶体絶命だ。