帝都への帰路とオレ 中編
クレイはすぐに戻ってきた。
「よろしければ、このまま迂回せずに進みます。止められた場合は『ゴルドー商会』を名乗る予定です。私はそこの次期当主で、貴女方は商会のお得意様のお嬢様という設定でいきます。怯えた様子で黙っていてください」
「わかった」
オレが了承すると、再び離れて一団の先頭へと向った。
「設定ですか……」
ユクの口元がほころぶ。
「何か問題あるのか?」
「いえ、今の設定、どこまでが設定なのかなって」
「ユク、クレイの心を読んだのか?」
「そんな不躾なことはしません。ただ、あまりに負の感情が強いせいでしょうか、クレイさんがその役を嫌っている感情がひしひしと伝わってきています」
そうか……ってことは、クレイの実家は『ゴルドー商会』という訳だな。
次期当主の話は前に聞いた気がするし。
今回の件が落ち着いたら調べてみよう。
もちろん、クレイに聞けば早いんだけど、命令して話させるのは、どうも気が進まなかった。
物思いに耽っていると、馬車が再び走り出す。
お嬢様設定ね……。
せいぜい、しおらしく演じてやるか。
「それにしても、どちらの公国か知らないけど、意外に早く対応したな。こっちは、取るものもとりあえず出発したって言うのに……」
「もしかしたら、帝都の巡視隊かもしれませんよ」
「それならケルヴィンがいれば大丈夫だけど、恐らく違うだろう。帝都の権限が及ぶのは帝都周辺だけだから、兵を周囲へ派遣することはないって聞いたし」
今、オレ達がいる位置は帝都と指呼の距離と言っていいけど、帝都の勢力圏からは外れている。
両公国の派遣軍のトップがレオンとアルフだったから、こんな迅速に手を打つとは正直、思いもしなかった。
レオンとこのじいさんとアルフのとこのお姉さんが優秀ってことか。
まぁ、側近や官僚が実権を握るのは世の常だしね。
「大丈夫でしょうか?」
ユクが心配げにオレを見る。
ちなみに、この別働隊の人員はオレとユク、ケルヴィンとトルペンが2台の馬車に分乗し、クレイとヒューそれにデイブレイクが選抜した4人の兵が馬に乗って周囲を護衛していた。
これに御者2人を加えたものが別働隊の全てだ。
でも、少人数とはいえ戦闘力は半端ない。
特にトルペンなんかは反則級だ。
倍する人数が相手でも何とかなりそうな気がする。
「ユクはオレが絶対守るから安心してね」
「はい、頼りにしてます」
くすっと笑いながらユクが頷く。
何か恋人同士の会話みたいだ。
ふと、クレイに言われた言葉を思い出して胸がチクリとした。
やがて、オレ達の乗る馬車は速度を緩め、ゆっくりと止まった。
どうやら、簡単には通してくれないようだ。
車輪の軋む音が静まると、外でクレイと相手側の隊長が押し問答しているのが聞こえた。
「我々はゴルドー商会の者です。通行証はこちらになります。ここを通していただきたいのですが……」
「こちらはライノニアの先遣隊だ。申し訳ないが、ここを通すわけにはいかない」
「そこを曲げてお願いします」
「くどい、ならんものはならんのだ」
「我々は流浪の一族。古の盟約に依り、通行往来の許しを皇帝陛下より下されし者。その意思を違えるお積もりか?」
クレイの厳しい声音に相手は黙り込んだ。
と、そこへ別の声が割り込む。
「貴方の一族の尊い盟約を尊重しましょう」
男としては少し高めの声が慇懃に言う。
「それはありがたい」
「ええ、ここを通行することは認めましょう。けれど、荷改め・人改めを行わせていただきますよ。古来の盟約にもそれを拒否する約定は無かった筈ですから」
副官か何かだろうか、癇に障る厭な感じを覚えた。
「構わないが、乗っているのは学者さんと知人のお嬢さん方だけなんだが……」
「別に疚しい点が無ければ心配することもありますまい。さて全員、降りてもらいましょうか」
押し黙ったクレイの行動が馬車の中のオレ達にはわからなかったけど、一台目の馬車からケルヴィンとトルペンが降りたようだ。
「おい、貴様。何故、仮面を被っている。顔を見せろ!」
隊長らしき男の怒声が響く。
「これは我輩のチャームポイントですから、外すわけにはいかないのデス」
ト、トルペン……空気読めよ。
ここは無用な刺激は避けるとこだろ。
いきり立つ隊長に先ほどの副官が声をかける。
「男はどうでも良いのです。捨て置きましょう」
「し、しかし……そうだな」
副官の言葉に隊長のトーンが下がる。
これじゃ、どちらが上官かわからない。
「リデル、聞こえますか? 武装せずにゆっくり外へ出てください」
扉越しにヒューのささやき声が聞こえる。。
「了解だ。それよりヒューは大丈夫なのか? あんた、けっこう有名人なんだろう」
格好も目立つし、どう見ても一介の護衛には見えない。
「その時はその時です。さあ、時間がありません。急いでください」
オレは不安げなユクの手をとると安心させるように笑った。
「ユク、じゃ行こうか。オレの演技力に驚くなよ」
オレとユクは深窓の令嬢風にしおらしく馬車の外へと降り立った。
オレ達を取り囲むライノニアの先遣隊は思っていた以上の規模だった。
すでに隊のレベルを超えてるんじゃないのか。
ちょっとこれはヤバイかも。
「おいおい、何て良い女なんだ。年は若いが、貪りつきたくなるような美貌と身体だな」
先遣隊の隊長は舐め回すような目付きでオレとユクを見る。
「知人じゃなくて愛人の間違いじゃないのか」
隊長の下品な冗談に周りの兵がどっと笑い、野卑な声を上げる。
にこやかな表情を保つクレイのこめかみがひくひくと痙攣するのが見えた。
トルペンの仮面の奥の目もすーっと細くなる。
うわぁ、二人ともめちゃくちゃ怒ってるよ。
オレはさりげなくユクを背に隠すと、おどおどした表情を見せつつ、状況の把握に努める。
クレイとトルペンがキレる前に何とか収拾しなくちゃ。
「隊長、不適切な発言をお控えください。怯えているじゃありませんか、可哀想に……」
意外なところから助け舟が入る。
如才ない副官が場を繕うようにそう言ったが、本当にそう思っているかは怪しい。
年齢不詳で整った顔つきなんだけど、どこか相手を不安にさせる雰囲気のある男だった。
「すみません、お嬢様方。これも任務なので、お顔や持ち物について調べさせてもらいますよ。もうしばらく我慢して下さいね」
そう言う副官がオレ達に笑顔を向けながらこちらへ足を踏み出したとたん、背に隠れたユクがオレの手をぎゅっと握った。
「ユク?」
驚いて視線を向けると、ユクは真っ青な顔をしていた。
「どうした?」
「あたし……あの人、知っています」
「知ってる? それじゃ知り合いなのか」
「知り合いじゃないけど、忘れられない人です」
「忘れられないって、ユク……」
意味深な発言に、からかおうとしたオレはユクの次の言葉に絶句する。
「あの人は……あたしの村を襲って、お祖父さまやお兄様、たくさんの村人を殺し、お祖母様を連れ去った男です……」
副官は狐のような目を細め、値踏みするようにオレ達を見ていた。
あいつがユクの言う通り盗賊団の男だったら、何でライノニアの先遣隊の副官なんかやってるんだ。
まさか、こいつら本当はライノニア軍じゃなくて、盗賊団が偽装してるっていうことはないよね?
正規兵にしては粗野な態度の連中が多いのも気になっていたし……。
いや、でもこの軍装は確かにライノニア軍の正規兵のものだ。
傭兵時代に何度か検分したことがあるから、見間違いはないと思う。
まあ、まるごと一隊を偽装するにはかなりの元手が必要になるから、よほどの理由が無い限り行わないだろうけど。
順当に考えれば、盗賊団から足を洗ってライノニア軍に仕官したと思うのが普通だ。
どちらにしても、過去の悪行をユクが許せないのは当然だとしても、今この場でそれを糾弾して騒ぎを起こすのは得策ではなかった。
当面の優先事項がオレを帝都に戻すことだからだ。
ただ、ユクの心情を考えると、このまま見過ごすというのも気持ちが納得できなかった。
「どうかしました、お嬢様方?」
オレの考えがまとまらない内に、不覚にも奴の接近を許してしまっていた。
「い、いや何でもないよ。馬車の揺れがひどくて少し酔っただけさ」
「……言葉遣い」
ユクが腕を引っ張る。
「え、あっ、こほん。馬車の揺れで乗り物酔いしただけですの。ご心配には及びませんわ」
「……はぁ、そうですか。して、お二方のお名前は?」
疑わしそうな目で副官はオレを見る。
「リ……シンシアと申します」
とっさに思いついた名前はシンシアだった。
不本意そうなシンシアの表情が頭に浮かぶ。
ごめん、ちょっと名前借りるよ。
「あたしはユリアです」
ユクも調子合わせるように偽名を名乗ったが、副官を見つめる目は冷たい。
「シンシア様にユリア様ですね。すみませんね、お時間をとらせて」
「全くそうですわ。急いでいると言うのに貴重な時間が無駄になってしまいます。大体、ライノニア公国軍がこんなところで何をやっているのやら」
お、シンシアの名前を騙ったとたん、次々と皮肉が口をついて出るぞ。
「第一、この辺りは両公国の緩衝地帯のはず。何の権限があって、わたくし達を足止めしているのかしら」
「申し訳ありません。実は緊急のお役目がございまして……」
副官は一呼吸置くと、さらりと言った。
「アリシア皇女をお迎えに上がったのです」
「そ、そうなんだ……ですの」
思わず口ごもる。
「何でも、この世の者とも思われない美貌なのに、たいそうお口が悪いそうですよ。あれ、何だかお顔の色が優れませんが、どうかなさいましたか?」
「べべべ、別に……の、乗り物酔いのせいですわ。き、気にしないでくだつぁ……」
やべっ、噛んじまった。
恐る恐る副官を見ると、うっすらと笑みを浮かべている。
正直、オレに油断があったことは否めない。
自分の強さに過信していたと言ってもいい。
それに、この一団の戦闘力のあまりの高さに相手を甘く見ていた感もある。
トルペンだけで正規軍の一部隊を相手にできただろうし、クレイやヒューだって、一般兵が束になってかかっても敵わないだろう。
第一、 両公国とも皇女を必要としていた。
その大事な身柄に害意を持つとは、到底考えられなかったのだ。
副官は、正しくその隙をついた。
「リデル、危ない!」
誰かがオレの前に身体を投げ出す。