最終試練とオレ 前編
話はオレ達がイスケルド城にたどり着く少し前に遡る。
オーリエ達はケルヴィン局長の指示で城跡を進んでいた。
壁が崩れたり屋根が落ちたり、思った以上に城内は荒れていて、慣れない皇女候補達の足取りは重かった。
雨風は防げても防御施設としての機能は恐らく見出せないだろう。
(それにしても……)
先を進む局長を見ながらオーリエは思う。
こんな場所でいったい何をさせるつもりなんだろう?
「オーリエ……ムズカシ―……顔してる」
馬車に酔ったり、長旅で疲れたりしたのか昨晩は泥のように眠ったノルティは、今朝は元気そうだ。
昨日はリデルがいなくて寂しそうにしていたのに、今日はちゃっかりオーリエにくっついている。
意外に社会適応力が高いのかもしれない。
「いや、ケルヴィン局長の意図が見えなくてね」
「そう……この城、死んでる……干からびた甲虫」
意味不明な比喩だが、何となく意味はわかる。
かつては強固を誇った城塞も、今は見る影も無い。
足元の消し炭を踏み潰しながら、オーリエは往時の繁栄が偲ばれる色あせた壁紙や天井の細密画を眺めた。
やがて、一行は開けた場所に出る。
どうやら、室内闘技場のようだ。
と、冷たい風が吹き込み、オーリエは寒さで身体を震わせる。
室内なのに、何故こんなに寒いのかと見上げると、天井がごっそり抜け落ちていた。
これでは屋外にある闘技場とほとんど変わらない。
ケルヴィンが指示を出し、兵や候補生の配置を決めていく。
ここが目的地のようだ。
オーリエは、おやっと思った。
思った以上に兵が多い。
それに重装備だ。
さらに、布を被せられた大がかりな装備を運ぶ一団さえいた。
一方、元々候補生の護衛だった者たちも集められ配置につく。
どう見ても、何かと戦うための布陣に見えた。
「ノルティ、アレイラ……私のそばから離れるな」
「……わかおけ(わかったOKの意味らしい)」
「オーリエ、それはどういう意味なのかしら?」
「いざとなったら、ここから逃げ出す」
オーリエの言葉にノルティはどこかワクワクしながら、アレイラは眉根を寄せて頷いた。
「それでは、時がくるまで休憩をとる。護衛兵第一斑はそのまま警戒を続けるように、他の班は休憩を」
ケルヴィンが一行に休憩の指示を出し終えた時だ。
穴の空いた天井から見える遠い空に何かが見えた。
「あれは何だ?」
誰かが呟くのが聞こえる。
やがてそれは、こちらへとゆっくり近づいて来るのがわかった。
「全員、戦闘配置につけ。油断するな!」
デイブレイクの声が辺りに響く。
驚く各部隊がその対応にばたばたしていると、その姿は見る見るうちに大きくなり、やがて天井の穴を抜け闘技場に降り立った。
「ま、まさか……」
オーリエは目の前の生物の姿に自分の目を疑った。
実在するとは夢にも思わず、おとぎ話でさんざん耳にした……最強、最悪の生物。
「ドラゴン……」
背中の羽をゆっくりと折りたたんだ小山ほどもある蒼い竜は、人間達を黙って見下ろした。
「いや――――!」
皇女候補の誰かが悲鳴を上げると、護衛兵からも驚愕の声がもれ、浮き足立つ。
オーリエもノルティとアレイラの手をとっさに握ると後退しようとした。
「静まれ、奴には敵意はない。騒ぐな!」
その時、ケルヴィンが全員に向かって制止の声をかける。
彼の直属の兵士は事前に知らされていたのか、動揺することなく配置についた。
その整然とした動きに他の兵や候補生達も少しずつ落ち着きを取り戻す。
事実、蒼竜は襲う素振りも見せず、大人しくこちらを眺めているだけだった。
「これより、最終試練を行う」
ケルヴィンは厳かに宣言した。
「最終試練ですって、私達にいったい何をさせようっていうの!」
誰かが悲鳴混じりにケルヴィンに問う。
「いかにも。あの竜は皇女の母君であられるロニーナ皇后と長年、友誼を交えしもの。年に一度、皇后を偲んで、この地に飛来すると言われている。最後の試練はあの竜によって行われるのだ」
ケルヴィンは平然と言い返した。
「かの竜は皇后に縁ある者を判別する。したがって、皇女であれば必ずや、相応の反応を示すであろう。諸君ら皇女候補生は、かの竜の下に赴き、審判を仰ぐ。ただ、それだけのことだ。騒がなければ危害を加えることなど、ほとんどない」
ケルヴィンは候補生達に最終試練を受けるように促した。
「さあ、この試練で皇女殿下が確定する。皆、勇気を持って進むがよい」
誰も踏み出す者はいない。
ほとんど危害を加えないと言うが、竜の考えることだ。
人間が思っているような行動をとるとは限らない。
武装した兵が取り囲む緊迫した空気の中、竜の足下まで行こうという勇気を持ち合わせるものなど、そうはいなかった。
「私が行こう」
そう、オーリエを除いて。
「オーリエ……」
ノルティが心配そうにオーリエの手を引いた。
「大丈夫だ、ノルティ。私が先例を示せば後の者が安心するだろう。もし……もし、私が喰われたらアレイラと一緒にすぐ逃げろ。そこにいるディノンに言えば何とかなるだろう。ちゃらんぽらんな奴だが、いざという時は頼りになる」
「オーリエ」
泣きそうなノルティの頭を撫でると笑って言った。
「リデルに会ったら、オーリエは最後までまっすぐしか進めない奴だったと伝えてくれ」
そう言い残し、オーリエは決然と前へ進んだ。
ケルヴィンは頷くと蒼竜に向かって叫ぶ。
「試練の竜よ、皇女候補の一人がそちらに行く。その目で真贋を確かめられよ!」
オーリエは護衛兵の間を抜け、ゆっくりと竜に近づいた。
(なんて大きさだ)
近づくにつれ、その迫力に圧倒された。
オーリエも魔物の類いと戦ったことが全く無いわけではなかったが、ここまでの大物はいない。
ドラゴンなどすでに伝説の生物と言ってもおかしくなかったし、ましてやそんな生き物と相対する日が来るなどと想像したこともなかった。
勇気を振り絞って見上げると、竜の目と視線が合う。
その目は意外に優しく、知的な光を湛えているように見えた。
どうやら竜は興味深そうにオーリエを見つめているようだった。
オーリエは相手の柔和な態度に、緊張が解きほぐれるのを感じた。
彼は人間以上に紳士的で、乱暴な振る舞いをしてくるようには思えなかったのだ。
やがて、竜はひとしきり観察すると申し訳なさそうに首を横に振った。
「オーリエ候補生、下がりたまえ。残念だが、君は皇女ではなかった」
後ろからケルヴィンの声が聞こえた。
わかりきっていたことだが、少し残念な気持ちになる。
オーリエは竜に一礼すると元の場所に戻った。
彼女の最終試練は終わったのだ。
「次は……ボクが……行く」
ノルティの言葉にオーリエは驚くが、背中を優しく叩きながら言った。
「行ってこい、ノルティ。間近で見るドラゴンはすごいぞ」
「うん」
目をキラキラさせながら、ノルティは歩き始める。
ノルティと竜の邂逅は見ものだった。
「竜さん……はじめまして……ノルティです」
「…………」
「竜さん……大きいですね……何、食べたら……そんなにでかくなれるですか?」
「…………」
「竜さん……記念に鱗一枚もらって……いいスか?」
「…………」
鱗を剥ぎ取ろうと手を伸ばすノルティに、竜は明らかに困っているようにオーリエには見えた。
テンションの上がるノルティに対し、竜は早々と首を横に振る。
「ノルティ候補生、戻りたまえ。それと、あまり『試練の竜』様を刺激しないように」
ケルヴィンが慌てたように、ノルティに注意を促した。
未練たらたらでノルティが元の位置に戻ってくる。
「ノルティ、君はやっぱり凄いな……怖く感じたりしないのか?」
オーリエの質問にノルティも不思議そうに答える。
「う~ん……何か……親しみやすい……っていうか初めて会った気がしない感じ……」
「そ、そうなのか。確かに悪い竜ではなさそうだな」
オーリエとノルティが話していると、急にアレイラが立ち上がる。
「アレイラ?」
「次は、わたくしが行きます」
負けず嫌いのアレイラらしい行動だ。
「貴女方二人の後塵に拝したままでいるわけには参りません」
早かれ遅かれ、受けなくてはいけない試練なのだ。
「そうか……なら、アレイラも頑張れ!」
オーリエはアレイラに応援の言葉をかけ、送り出した。
他の候補生達も侯爵令嬢の試練を固唾を呑んで見守っている。
威勢良く言った手前、平然を装っているように見えるが、アレイラの足取りには竜への恐怖心が感じられた。
「わ、わたくしはアレイラ・テラトリウム。お前のようなものに真贋を試されるとは不愉快なことですが、これも試練と割り切りましょう。早く確かめなさい!」
腰が引けているのに、上から目線で物を言うところは、実にアレイラらしかった。
皆、蒼竜が怒り出すのではないかと息を呑んだが、竜はアレイラをじっと見つめた後、首を横に振った。
さらに興味を無くしたかのように、あらぬ方向にそっぽを向く。
「な……お前、真面目におやりなさい!」
「アレイラ候補生、もういい。黙って元の位置に戻りたまえ」
激怒するアレイラをケルヴィンが兵を差し向けて下がらせる。
「アレイラ、君もノルティと違った意味で凄いな」
「所詮、あんな下等な生物にわたくしの真価などわかるわけないのです」
オーリエは感心して言ったが、戻ってきたアレイラは憤懣やる方ない様子だ。
それでも、三人が何事もなく試練を済ませるのを見て、他の候補生達もおずおずと試練を受け始める。
けれども、『試練の竜』はオーリエ達三人以外にはまるで興味を示さないようだった。
多くの候補生達に対して、一目見るとそっぽを向き、首を横に振るまでに至らず試練が終わる者が続出した。
オーリエがケルヴィンの挙動がおかしいのに気がついたのは、大半の候補生が試練を終えた頃だった。
ケルヴィンは配下の兵達に包囲を狭めるように無言で指示を出していた。
あらかじめ予定されていたような正確な動きを包囲軍は見せる。
また、その包囲陣の八方に布など隠蔽して配置されていたのは、攻城兵器であるバリスタのようだ。
(まさか、ケルヴィン局長……)
オーリエの頭に不吉な考えがよぎる。
そうこうしている内に、最後の候補生の試練が終わった。
結局、誰一人、竜に選ばれる者はいなかったのだ。
今回の候補生の中に行方不明の皇女はいなかった……この場にいる誰もが、そう認識し落胆した。
その無常感を打ち破るようにケルヴィンが叫んだ。
「残念だが、『試練の竜』はすでに正邪を判断する能力を失っている。これではとても皇女の真贋を見極めることなどできない。ましてや諸君、狂いし竜をこのまま野放しにするわけにはいかない。帝国に仇なすことのないよう、この場で討ち果たそうぞ!」
「ケルヴィン局長!」
オーリエの驚愕する声が空しく響いた。