恋する乙女とオレ 後編
ユクは静かにオレを見つめていた。
戦わなくて良くなったオレは、嬉しくて何にも考えずに声をかけようとしてハッとする。
ユクの表情は固く顔色は蒼白に近い。
今にも倒れそうに見えた。
「ユク……?」
「リデル、あたしは……」
苦しげに搾り出すような声でユクは言った。
「…………貴女が嫌いだった」
ユクの言葉が容赦なくオレを斬りつける。
オレは声も出せず、目を見開いたままユクを呆然と見つめることしかできなかった。
ユクがオレのこと……嫌ってる?
信じられなかった。否、信じたくなかった。
聞き間違いじゃないかって、疑ってもみた。
でも、ユクは淡々と言葉を続ける。
「あたしはイクス様をお慕いしていました……助けてもらった時からずっと……。あたしはイクス様のことだけ考えて生きてきたんです。イクス様はいつも優しくて、お傍にいられるだけであたしは幸せでした……なのに」
ユクは悲しそうにオレから目を逸らした。
「ルマからお帰りになったイクス様は仰いました。『ユク、僕はやっと生涯の伴侶を見つけることができたよ』その時のあたしの気持ちをどう表現したら良いのでしょう。まさに胸が張り裂けそうな気持ちで一杯でした」
オレは何も言えずユクの告白を聞き続けた。
「まだ見ぬ貴女をあたしは憎んだ。そうすることでしか、自分の心を落ち着かせる方法がなかったから。それなのに、イクス様はあたしに帝都へ行って皇女候補になれと命じました。イクス様と離れるなんて、想像もしていなかった。あたしは自分が無用になったんだと落胆しました……そんな時、あの街で貴女と出会ったのです」
知らなかった。
あの時、ユクがそんな思いでいたなんて。
「何て無防備な人なんだろうと思いました。最初からあたしを信じ、助けてくれましたよね。素直と言うより馬鹿なんじゃないかとさえ思いました」
確かに素直と言うより馬鹿なのかもしれない。
クレイに言われたら反論したくなるけど、ユクに言われると妙に説得力がある。
「貴女は本当に自由気ままで、そして信じられないくらい真っ直ぐでした。あたしは貴女を苦しめたいという醜い欲望で、帝都に行くことを誘いかけました。貴女は何の疑いもなく同行を申し出てくれた……それは、あたしには信じられないことでした」
困ってる人がいて、オレで出来ることなら普通にしてあげるんじゃ……。
「貴女には何のメリットもないのに……貴女はいつもそうです。オーリエの時もノルティの時もアレイラの時も……何故ですか?」
「えっ、当たり前じゃないか? 友だちを助けるのは……」
ユクは大きくため息をつく。
「貴女という人は……本当に困った人です。あたしは貴女を憎もうとしました。それは簡単なことだと思っていました…………でも、出来なかった。どうしても嫌いになれなかった。それどころか、一緒にいるうちに思ってもみない感情が芽生えました」
ユクは少し間を空けてから、オレの目を見てゆっくりと言った。
「あたし……やっぱり、リデルが好きです。友だちになれて心から嬉しかった」
涙を溜めたユクを見てオレは堪えきれずに抱き寄せた。
「オレもユクが大好きだ!」
ユクが涙を零しながら何度も頷く。
い、いかん。オレも涙腺が崩壊しそうだ。
慌てて天井を見上げ、涙を堪えた。
オレ達の抱擁を黙って眺めていたイクスが頃合いを見て声をかける。
「リデル、ユク。悪いけど、僕はそろそろお暇するよ。美形悪役キャラは颯爽と退散しなきゃね」
イクスが四足に戻り、てとてと歩き始めるが思い出したように振り向く。
「ユク……」
「はい、イクス様」
「君はどうします?」
ユクがイクスの後に続くと思っていたオレにとって、その問いの意味がわからなかった。
「あたしは……ここに……リデルと一緒にいたいと思います」
「ユク?」
驚いてユクの顔を見る。
「今までのあたしは、イクス様が全てでした……お役に立ちたい、恩返しがしたい……ずっとそれだけを考えていました。あたしの人生なんて取るに足らない。だから、イクス様のために使おうと……そう思ってました。でも、リデルと会って自分のことを見つめ直すことが出来たんです。イクス様以外にもあたしを必要としてくれる人達がいることに気付いたんです」
ユクの目は輝いてた。
「そう……それは良かった。居場所が見つかったんですね」
にこりと笑ってオレの方へ向き直る。
猫のまま、笑うと何だか怖い。
「リデル、ユクを頼みます。きっと、これからの貴女の立場にもお役に立つことでしょうから」
意味不明なことを口走るイクスは、最後にと付け加える。
「貴女は僕の伴侶になる運命です、それは絶対に忘れないでください。ユク、例え、君でも邪魔するようなことをしたら、容赦はしませんよ」
イクスは空中の見えない階段を二、三歩駆け上がるような動きをすると、不意に姿を消した。
「ごきげんよう、皆さん」
その言葉を残して……。
刹那、黒骸骨が現れた時と同じように地に潜っていき、やがて跡形もなく消える。
後に残ったのは、放心状態の両陣営と戦い続けるクレイとヒューだけだった。
「いい加減にしたら、どうなんだ?」
剣戟を繰り返すクレイとヒューに冷たい視線でオレは言った。
二人とも実に楽しそうに戦っている。
途中で正気に戻ったヒューとそのままの流れで戦っていたようだ。
呪縛が解けたことで、なんらかの結末がついたのだと判断した二人は、せっかくの一戦を終えるのが惜しくなったらしい。
戦闘馬鹿にもほどがある。
最後に鋭く剣を交えると大きく間合いをとり、二人は剣を収めた。
汗をかいた二人の表情は満足げで癪に障る。
「お前ら、危機感が全くないだろ」
オレが仏頂面で責めると互いに顔を見合わせる。
「だって、リデルが突撃しに行ったからなぁ」
「ええ、負けるとも思えませんし」
オレをイクス以上の化け物だと思ってるな、こいつら。
憤慨しているオレに横合いから声がかかる。
「リデル、これはいったいどういうことなんだ?」
「おい女、説明しろ!」
レオンとアルフが家宰と秘書官を伴って、オレに説明を求めてくる。
オレに聞かれたって詳しいことはわからないけど、ここは先手を打つ。
「どうやら、あいつは帝国の混乱を狙った魔物のようだ。この娘はあいつに操られて協力していたのをオレが助けたんだ」
「リデル……」
何か言おうとするユクに目配せする。
「だから、今までのことはよく覚えていないみたいなんだ」
ユクは慌てて頷いてオレの話を肯定する。
納得しない家宰のじいさんと秘書官のお姉さんがいろいろと質問してきたけど、オレが適当に答えたことをヒューが補足して納得のいく回答にしてくれた。
相変わらず高い交渉力だ。
完全には納得したとは言えない様子だけど、ひとまずこの場は収まった。
ホッとしているオレにヒューが尋ねる。
「それはそうと、試練の方は大丈夫なんですか?」
わ、忘れてた!
「ユク、試練の場所に行かなくちゃ!」
「あ、あたしもですか?」
「うん、もちろんさ」
「でも、あたしは……」
「ユクと一緒に行きたくて、ここに残ったんだ。オーリエ達もきっと待ってる」
「……はい」
オレ達は、未だに事態が呑み込めないシリアトールを捕まえて謁見の間を飛び出した。
事態の収束を図るなら調整役の彼を置いていくべきところなのだけど、試練の場所を知っているのはシリアトール補佐官だけなので、この際仕方が無い。
さすがに両公子陣営もこれ以上のいざこざを起こすことはないだろう。
「いったい何がどうなっているのやら……」
話に乗り遅れて困惑しているシリアトールを無視して、オレはエントランスへ向かう道すがらユクに矢継ぎ早に質問する。
どうやって聖石の神託をクリアできたのか、魔物の類いが入れない筈の宮殿に何故イクスや黒骸骨が現れたのか……謎は尽きなかった。
「聖石のことはよくわかりません。イクス様がユクなら大丈夫だからとしか仰らなかったので……」
ふむ、イクスはユクが神託に通ることがわかっていたらしい。
何か神託に秘密があるのだろうか?
「宮殿へイクス様が入れた件についてはあたしが原因です。イクス様の指示で結界を壊したんです」
「もしかして、エントランスのモニュメントが関係していませんか?」
話を聞いていたヒューが口を挟む。
「はい、その通りです。宮殿の東西南北に建てられたモニュメントは魔族の浸入を防ぐ結界の役割を果たしていました。このことについて知る者は魔法が廃れた現在では僅かな研究者ぐらいしかいないだろうとイクス様は仰っていました」
そういや、あの時トルペンの奴、思わせぶりなことを言ってたな。
さては、あいつ知ってて知らん顔してたな。
「でも、ユクが結界を壊したっていうけど、どうやって?」
「巡視の衛兵さんを操って、モニュメントを壊させたんです」
そりゃ、巡視の兵が気付かないわけだ。
「後は黒猫になったイクス様と合流して、今回の公子暗殺の機会を待ったんです。リデル、本当にごめんなさい。ずっと打ち明けたかったんですが、言えなくて……」
「いや、気にしてないよ」
オレも隠しごと言えてないしね。
折りを見て、ユクに本当のこと伝えなきゃ。
「では、中庭の女神像を壊したのは何故ですか?」
ヒューが再び質問する。
「イクス様の指示です。結界を解いたことを悟られないためと、個人的にあの女神像を壊したかったそうです。理由は述べられませんでしたが……」
ユクのおかげで、イクス絡みの謎はおおよそ解けたかな。
結局、何のことはない。イクスの手の内で踊らされていただけの気もする。
微妙にムカついたけど、オレの思いつきの行動のせいで最終的に奴の計画が失敗したと思えば溜飲が下がった。
それにしても、奴の言う運命なんて信じたくはないけど、イクスとは腐れ縁でもあるのか、またどこで出会いそうな予感がする。
次の機会があったら、ユクには申し訳ないが、ぜひとも決着をつけたい。
これ以上、奴と関わるのは精神衛生上、好ましくないし……。
ホント、オレなんか諦めて健気なユクと一緒になればいいのに。
で、オレは……。
ふと、併走するクレイが目に入って、慌てて目を逸らす。
あ、あいつは関係ないから。
聖石を見つけて、オレは男に戻るんだ……必ず。