厭われた娘とオレ 中編
ユクは震える声で語り始めた。
七歳になるまでのユクの生活は、離れと中庭だけの狭い世界だったけれど、母と二人で過ごす生活は幸せなものだった。
でも、その年の冬の初めに突然、村を流行り病が襲った。
村人は次々に高熱で倒れ、命を落とす者が相次いだ。
ユクの母は症状に効果のある薬を調合し、村人に無償で分けようとしたが、誰一人受け取る者はいなかった。
彼女も、彼女の作る薬も信用されなかったのだ。
それでもユクの母親は諦めず、薬を作り続けた。
転機が訪れたのは、村長の息子が病に倒れたことだった。
高熱が続き、命の灯火はすぐにでも消えそうに見えた。
村長の妻は迷わず親友の作った薬を息子に飲ませた。
たぶん、藁をも掴む気持ちだったのだろう。
体質やタイミングが良かったのか、息子は一命を取り留めることができた。
それを見て、村人は先を争って彼女の薬を求めた。
調合した薬をすべて村人に分け与えると、ユクの母は村中を回り、病人や家族の様子を見て、さらなる感染を防いだ。
猛威を振るった病の犠牲者も薬と隔離のおかげか日に日に減っていった。
やがて、村の流行り病がほぼ沈静化する頃、ユクの母親が発症する。
薬も残っておらず、離れで臥せった彼女はユクだけに看取られ、ひっそりとその生涯を終えた。
ユクの小さな幸せは二度と戻ることはなかった。
「ユク……」
「大丈夫です……」
涙を堪えるユクを心配すると、彼女は無理に笑って見せる。
「死の床の母は、村を救えて安堵していました。若い頃、我が儘だった自分が村長の娘として恩恵を受けるばかりで村のために何一つ役に立っていなかったことを、ずっと悔やんでいたようです」
(ユク……決して、村の人を……お祖父様を……恨んではいけません。人は迷い、間違いを犯すことのある生き物なのです。善意と悪意は紙一重です。聡いあなたにはよくわかっているでしょう)
(お母様……)
(あなたには苦労ばかりかけて、本当にごめんなさい。あなたを残していくことだけが心残りです…)
「母は最期まで誰からも顧みられませんでした。でも、あたしは母の言うことを胸に生きていくことを決めたのです」
「ユク……」
「お兄様を助けて亡くなった母に恩義を感じたお祖母様はあたしを娘として育てるとお祖父様に申し出てくれました。でも……」
寂しそうに言葉を続ける。
「お祖父様は聞き入れてくれず、使用人としての処遇でなら家にいることを許してくれました。それでも、着の身着のまま追い出されもせず、雨風もしのげて、食べる物にも苦労しなかった分、あたしは恵まれていたと思います」
さらりと話すユクにオレは言葉がなかった。
母親を亡くし、苦労をしてきたことを不幸と嘆く意志は感じられない。
「それに忙しい方がいろんなことを考えずに済みましたし、あたし働くのが好きでしたから」
ユクの手際がよくて、気が利く理由がやっとわかった。
「でも、その生活もあの人達が村に来るまででした……」
「あの人達?」
「ええ、あたしが10歳になった春のことです。村に行き倒れがありました。その人は迷宮探索を生業としていた方で、怪我を負って帝都に戻る途中、村にたどり着いたところで力尽きたのです」
ユクは思い出したように身震いする。
「そして、その方の所持品の中にたくさんの財宝がありました。村長が都に身寄りを確かめると相続する者がいないことがわかり、村の共有財産として扱われることになりました」
ますます顔色が悪くなったユクは、両腕で自身を抱きすくめる。
明らかに様子が変だ。
「ユク、大丈夫か?」
「そして、あの人達が村にやってきました……」
ユクはオレの問いに答えず、うつろな目で続けた。
彼らは最初、旅の行商人と護衛を名乗った。
初めて見る顔だったが、鑑札は本物だったし金払いも良かった。
何よりも、若い商人は都風の洗練された美男子であり、話題が豊富で人当たりも良く、たちまち村人達の話題の中心となった。
一方、護衛の男は無口で無愛想だったが、屈強そうな傭兵に見えた。
村長は若い商人の才覚を大いに気に入り、自分の屋敷に逗留することを勧めた。
最初は固辞した彼も、村長の再三の勧めを受け入れ、村長宅で寝泊りすることになる。
どうやら、村長としては彼を招くことで、自分の跡取りである幼い息子に見聞を広めさせるつもりだったようだ。
ユクは下働きの上、自由な時間があまりなかったので、しばらく彼らと接触する機会に恵まれなかった。
ところがある日、メイド頭が不在であったため、急遽ユクが応対することになる。
ユクは緊張の面持ちで応接室に入った。
皆から疎まれている自分とは違い、瞬く間に村中の者を魅了した人物に対して興味と恐れがないまぜの気持ちを持っていた。
村長が来るまでの間、お茶を出すユクに商人は如才なく会話を始め、護衛はだんまりを決め込む。
口ではねぎらいの言葉をかけながら、商人が冷静に自分を値踏みしていることにユクは気付いていた。
目を細めるとどこか狐を思わせる男にユクは好意を抱けなかった。
一礼して部屋を出ようとしたユクに、不意にあの力が働く。
(この娘なら、売ったら高値が付きそうだな)
(くそっ! 早く暴れてぇな。殺したくて、ウズウズするぜ)
他人の考えがここまではっきりとわかるのは初めての経験だ。
顔が強張ったのが、頭を下げた直後で幸いだった。
この人達……怖い人達だ、何か悪いこと企んでる。
ユクは二人の姿を見ずに急いで部屋から退出した。
ユクは悩んだ。
こんな大事なことを打ち明けられる相手がいなかった。
仮に誰かに話しても信んじてくれる人はいないだろう。
自分より彼らのほうが、ずっと信用されている。
ユクにできることは、なるべく彼らの元に近づき動向を探ることだけだった。
彼らは仲間を待っていた。
若い商人は盗賊団の幹部で、村へ潜入し、情報を仲間に送り襲撃の手引きをする役目を担っていたのだ。
彼らが狙っていたのは迷宮探索者の残したあの財宝だった。
彼らの心から村への襲撃が明日とわかった夜、ユクは意を決して村長の部屋を訪ねた。
『いきなり、何だ。こんな時間に』
暖炉の前に座る村長は不機嫌そうに言った。
『お祖父様、お願いです。あたしの話を聞いてください!』
『お前にお祖父様と呼ばせることを許した覚えはない』
『……では、村長にお伝えしたいことがあるのです』
ユクは必死に訴えた。
『この村に盗賊団の一味がいます。もうすぐ彼らの仲間が襲ってくるんです!』
『なにを馬鹿な……』
村長が渋い顔をする。
と、衝立の奥に座って目に入らなかった人物が立ち上がると、ユクに笑いかけた。
『それは私のことを言っているのですか? 小さなメイドさん。いや、こちらのお嬢さんでしたか』
狐目で背筋が凍りつくような笑みを浮かべた商人が立っていた。
『身内とは思っとらん。よく世迷言を言うんでな、悪いが気にせんでくれ。後できつく仕置きしておく』
『そうですか?』
(何故、わかった? 気取られるようなヘマはしてない筈だが……仕方ない、始末するか)
『あ……あぁぁ』
お茶を飲むような気安さで人殺しを考える商人にユクは恐怖した。
いきなり部屋を飛び出すと、そのまま屋敷からも抜け出して村外れに向かった。
頭の中は、彼から逃げ出すことでいっぱいだった。
村外れに向かったのも、何か当てがあるわけでなく、少しでも彼から遠ざかりたい欲求に従ったに過ぎない。
村人の家々が無くなり、やっと一息ついた瞬間、いきなり腕を掴まれる。
『お悪戯が過ぎるぜ、このガキ』
振り向くと護衛の男だ。
今では凶悪そうな表情を隠そうともしない。
(少しもったいないが……殺すか)
男の殺意に圧倒される。
腕を離そうとしても、きつく掴まれて振りほどけない。
あたし……死ぬの?
迫り来る死への絶望にユクは逆に開き直る。
別にいいか、生きててもいいことないし。
ユクは身体の力を抜いた。
男は疑問にも思わずユクの細い首を両手で絞める。
意識が遠のいた一瞬、母親の優しい顔が浮かんだ。
そして、母を捨てた父親のことをはじめて思った。
お母さんが死んだのも、あたしがこんな目に遭うのもお父さんが悪いんだ。
お父さんは何をしてるの?
何処かでのうのうと暮らしてるの?
嫌だ!
このままじゃ、死ねない。
死にたくない!
理不尽な仕打ちに対する想いが心の奥でいっぱいになった矢先に、それは起こった。




