厭われた娘とオレ 前編
『エリナお嬢様は、それはお美しくご聡明な方でしたわ……ただちょっと人当たりが……』
ユクの母、エリナ・エヴィーネをよく知る家政婦は幼いユクの質問にそう口を濁したそうだ。
彼女の母親は、良くも悪くも才気に満ち溢れた女性だった。
美貌で頭脳明晰な一人娘に請われるまま、村長は都会の学士を家庭教師に呼んだり、都会の様子を吟遊詩人に唄わせたりした。
彼はただ単に、早くに妻を亡くした父親として、こんな田舎でも都会の淑女に負けない教養を身に付けさせたと誇りたかったに過ぎない。
けれど、娘はいつしか、こんな村で一生を終えることに不満を持つようになった。
自分のように才能のある娘が、ただひたすら夫に仕え、子を育てるだけの生涯を送るだなんて馬鹿げている。
しかも、父親が婿にどうかと話す男達は彼女の理想からかけ離れていた。
自然、彼女の態度は彼ら……も含めた村の者に刺々しくなる。
村の男達は高嶺の華と遠巻きに見つめ、女達もお高くとまったエリナに近寄ろうとはしなかった。
また、縁談を持ち込まれても、過ぎた縁組だとエリナが断わってしまう。
村長にとってこれは、予想外の出来事だった。
このままでは良縁がこないまま婚期を逃してしまう。
そこで、彼は一計を高じた。
帝都から、貴族の三男坊を養子に迎えることにしたのだ。
親子ほど歳の差があり、しかも後妻となるが、しっかりした人物と聞いた。
貴族が相手なら、さすがに娘も我が儘を言うまい。
村長は、それでも渋る娘に声高に言った。
『この縁談を断わるなら、この家を出て行け』と。
エリナは頷いた。
村長はようやく肩の荷を下ろせると思った。
しかし、婚儀が一週間と迫ったある日、エリナは村から忽然と消えた。
彼女は彼の言葉どおり本当に家から出て行ったのだ。
村長は激怒したが、あとの祭りだった。
用意周到に準備したエリナの行方はようとして知れなかった。
村長は貴族に多額の違約金を支払い、体調を崩して寝込んだ。
やがて、時はめぐり後添えをもらった村長が新妻に子が出来たことを喜んでいた矢先、行方知れずでいた娘がひょっこりと村へ帰ってきたのだ。
しかも、妻と同様に身重の身体で……。
「そりゃ、お祖父さん怒っただろうね」
ユクの話を聞いたオレは率直な感想を述べた。
「怒るどころの騒ぎではなかったと聞いています。口汚く罵ったあげく暴力に訴えて追い出そうとしたのを身重のお祖母様が必死で止めたそうです」
そうか、ユクから見ると新しい奥さんはお祖母さんになるんだ。
でも……。
「お祖母さん、よく庇ったな。一人娘に帰ってこられちゃ立場が悪くなるっていうのに」
「お祖母様は母の親友だったんです」
えっ!
自分の娘の親友に手を出したのか、やるなエロじじい。
「母がいなくなって病に伏したお祖父様を看護しているうちに情にほだされたようです。父親を戦争で亡くしていて、昔から慕っていたとも聞いています」
どちらにしても、犯罪に近いね、それは。
まぁ、お金持ちにはよくある話だけど。
「母が戻ってきてお祖母様は嬉しかったんだと思います。だから、激怒するお祖父様を説得して母が家に帰ることを認めさせたそうです。ただ、お祖父様は母が母屋に近づくことを決して許さず、離れで暮らすことを命じました」
オレはふと疑問に感じた。
ユクは何で産まれる前の話をこんなによく知ってるんだ?
母親か誰かが詳しく教えたんだろうか。
「母が村に戻ってきて喜ぶ人は誰もいませんでした。しかも、母があたしの父親について何一つ語ろうとしなかったので、『悪い男に騙され孕まされた愚かな女』と悪し様に言う者もかなりいました」
狭い世界で異質なものほど敵視されることはよくあることだ。
小さな村社会においては当然の成り行きか……。
ましてや女性は蔑視の対象になりやすい。
さぞかし、ユクの母親にとっては住みにくい場所だっただろうに。
「しばらくして、お祖母様は男の子を、母はあたしを産みました。男の子は村を上げてお祝いされ、あたしは母以外の誰からも祝福されずに生を受けたのです」
穏やかに語るユクに何を言ってあげて良いかわからなかった。
「でも、別にあたしはそれで良かったんです。物心ついた頃には、もう母と二人きりの生活でしたし、母さえいてくれればそれで幸せでした」
本気でそう思っているのが、乾いた笑顔から窺えた。
「母は、村から出ている間に身に付けた薬草学で薬を作り、村に立ち寄る旅の行商人に卸して生活資金を得ていました。村人は、決して母と交わろうとはしませんでしたから、そうやって稼いだお金をお祖父様に渡すことで日々の糧を得るしか方法がなかったのです」
ユクの母親が村にいない間、どんな生活を送ったかはわからないが、少なくとも人に依存しないで生きていく術を学んだようだ。
ユクを見れば、ユクのお母さんが決して愚かな人なんかじゃないことは一目瞭然だ。
「お祖父様は口では親子の縁を切るようなことを言っていましたが、出産の際は医者を手配してくれましたし、あたしのこともあれこれ気にかけてくれました。お祖母様も親身に接してくれて、それなりに暮らしていけました……でも」
ユクは一旦、口を閉ざすと唇を噛み締めた。そして、意を決したように口を開く。
「今から話すことを聞いて、もしリデルがあたしを嫌いになったとしても、あたしは恨んだりしません。だから、聞いてもらってもいいですか?」
「もちろん。ユクのこと嫌いになったりなんてしないさ」
ユクが何を言おうとしているかわからなかったけど、オレは安心させるように断言した。
「ありがとう、リデル」
でも、礼を述べるユクからは、半ば諦めの表情を感じた。
「あたしは…………あたしの異能の力のために、母をさらに苦しめることになったのです」
異能の力だって?
真剣なまなざしのユクから冗談ではないことを察し、恐る恐る尋ねた。
「ユク……それはどういう意味?」
「あたし、人の心がわかるんです」
確かにユクは他人の心がわかる優しい子だ。けど、ユクの言ってるのはそういう意味ではないらしい。
「ひょっとして、相手の心が読めるってこと?」
内心の驚きを隠しながら、慎重に確認する。
「はい……でも、『読める』のではなく『わかる』んです」
ん? 違いがわからないんだけど。
「相手の今考えていることが読めるのではなく、相手の考えや思いを本人のように想起できるのです。例えば、本人が忘れていることでも意識の中に残っていれば、思い出すことができます」
「もしかして『失せ物探し』の予言は……?」
「はい、相手の心に感応して思い出しました」
オレはハッとした。
オレもユクと同様、他人に隠している秘密がある。
騙すつもりはなかったけどユクには話していない。
「ユク……オレの心を感応したことは……」
あるの? と聞き終わる前にユクは首を横に振る。
「あたし、この力をなるべく使わないようにしてきました。わかっても良いことは何一つないし、そもそも相手に失礼だとも思ってます。もちろん、頼まれれば否応なく使うこともありますし、何かの拍子に無意識に相手と感応してしまうこともあるんです。その場合は仕方がないと諦めていますが……」
「じゃ、オレの心は感応してないんだ」
ちょっと安心した。
「はい、それにリデルは最初から無理なんです」
「えっ?」
「この力は相手との相性が大きく左右し、感応の度合いも人それぞれ異なります。ただ、リデルのように全く受け付けないタイプは稀です。ホールでリデルのことを特別な人って言ったのはあながち嘘ではないのです」
ユクの言っていることがすべて本当なのか、正直わからなかったけど、オレは信じるつもりだ。
「あたし、幼い頃はこの力が誰にも備わっていると思い込んでいました。だから、母に止められていたのも忘れて何度か失敗を繰り返したのです。そのせいで村人からは気味悪がられて相手にされなくなりました」
ユクは思い出したかのように自嘲めいた笑みを浮かべる。
「村の人達に厭われても別段、気になりませんでした。でも、兄弟同様に育ち、慕っていたお兄様(正確には叔父)に『気持ち悪いから、そばに来るな』と言われた時は、さすがにへこみました」
笑顔を交えて淡々と話すユクをオレは思わず抱きしめた。
泣き顔も涙も見せないけど、心が泣いてるように思えたんだ。
精神感応のないオレが言うのも変だけど、確かにそう感じた。
ユクは黙って目を伏せ、オレにぎゅっとしがみついた。
しばらくそうした後、ユクがおずおずと身体を離す。
「ごめんなさい」
「いや、これくらいで良ければ、もっと頼ってくれてもいいよ」
「リデルはあたしのこと、嫌いにならないんですね」
「ああ、もちろんさ。異能の力が通用しないオレが言ってもありがたみがないかもしれないけど」
「そんなことありません。嬉しいです」
「たぶん、オーリエもノルティもユクの秘密を知っても嫌ったりしないと思うけど」
「そうでしょうか?」
「うん」
優しく微笑むとユクもぎこちなく笑みを返す。
もし、オレの秘密を明かしたら、どうだろう?
ユクに言いながら、自分のことについても思いをはせる。
「話……続けますね」
ユクは浮かべた微笑を収めると唇を噛む。
「ユク、辛いなら無理しなくていい」
「いえ、聞いてください、リデルには知ってもらいたいんです」