価値観の相違とオレ 前編
結局、オレはシクルスさんの店で休ませてもらうことになった。
一時はどうなることかと思ったけど、オーリエの的確な処置で事なきを得た。
「それにしても、最初の時ってそんなに痛くならないものなんだがな。もちろん個人差もあるけど、一度医者に診てもらった方がいいと思うぞ」
オーリエはオレを気遣いながら、奥でへこんでいる男を眺めて笑った。
「…………」
珍しく言葉もなくうなだれているのはクレイだった。
オレが怪我させられたと勘違いして大暴れしたことを恥じ入っているのだ。
しかも、俺は味方だと言うガレアまで、ぶん殴ったのだから始末に負えない。
「しかし、クレイがあんなに熱い男とは思わなかったな」
オーリエがしみじみ言うと、
「そうですよ、私が止めに入らなかったら確実に人死にが出てましたね。それも濡れ衣で」
ヒューも笑いを堪えながら賛同する。
まぁ、あいつらもオレ達に悪意があったから、全くの冤罪ってわけでもないけど。
「でもこれで、クレイさんの赤ちゃんが産めますね」
ユクが目をキラキラさせながら、トンデモ発言をする。
白湯を飲もうとしていたオレは吹き出して咳き込んだ。
ちょっ……ユク、何てこと言うんだ。
そんなことあるわけ…………。
ふと、赤ちゃんを抱いている自分の姿が頭に浮かんで真っ赤になる。
オレ、今すごいこと考えてた?
頭から妄想を振り払って、ユクに意見しようとしたけど、純粋に喜んでいるユクを見ると何も言えなくなった。
オーリエはくすくす笑っているし、ヒューは何度も大きく頷いている。
ちょっと待て! オレとクレイって、いつから公認の仲になったんだ?
「ユク……それダメ……間違ってる」
ノ、ノルティ……ありがとう、君だけはオレのことわかって……。
「リデル……男なんかに……渡さない」
え?
「リデルに……ボクの娘、産んでもらう……」
いやいや、それ絶対無理だし、しかも何で娘限定なの?
ついでに言わせてもらえば、顔を赤らめるな――!
「おーい、みんな。シクルスの奥さんが、リデルが血ぃ出したお祝いに特別料理を作ってくれるってよぉ――」
扉がいきなり開き、ディノンが大声を上げて入ってきた。
「ディノン、デリカシーがないぞ!」
「ディノンさん、ひどいです」
「ディノン……存在を無にしてやる」
女性陣の一斉攻撃にディノンがたじたじとなる。
「ディノン、ちょっと外へ出ようか?」
へこんでいたクレイまで血相を変える。
「は、白銀の騎士殿――――」
狼狽したディノンはとっさにヒューへ助けを求める。
「まぁまぁ皆さん、ディノン君も悪意があったわけじゃなく、単に考えが著しく浅はかだっただけですから、許してやってはどうですか?」
釘を刺しながらも大人な対応のヒューが仲裁に入る。
さすがに可愛そうになったので、オレも助け舟を出すことにした。
「伝言ありがとうディノン。みんな、良ければ先に食べててくれるかな。せっかくのご馳走がもったいないし……オレはもう少し休ませてもらうことにするよ」
そう提案すると緊迫した空気が和らいだ。
じゃあ、悪いけどそうするかといった雰囲気になり、ベッドに寝ているオレを残して一同は部屋から出ていくことになった。
オレは他にわからないようにオーリエに目で合図を送る。
一瞬、怪訝な顔をしたオーリエが近づくと、オレは手招きして耳打ちした。
「後で話がある」
オーリエは軽く頷き、皆と一緒に部屋から出て行った。
独りになるとオレはゆっくり横になり、ぼんやりと時間を過ごした。
さっき飲まされためちゃくちゃ不味い薬草が効いたのか、痛みは心持ち治まっていた。
けど、時折ぶりかえす痛みが夢ではないことを実感させる。
ユクの言葉じゃないけど、オレは本当に子どもを産める身体になっちまった。
その信じられない現実を、未だ頭の中で消化できずにいた。
このまま、身も心も本物の女になっていくんじゃないかという恐怖に襲われる。
男になれば、すぐに昔通りの自分に戻れるって安易な発想がどんどん遠のくのが感じられた。
再び、鬱々と悩み始めた頃にオーリエが戻ってきてくれた。
「どうした、リデル?」
オーリエは心配そうにオレを覗き込む。
「ん……さっきはありがとう。そのぉ……いろいろ面倒かけてごめん」
ベッドから半身を起き上がらせて、オーリエを迎える。
「なんだ、そんなことか。当たり前のことをしただけだ、気にするな」
「でも、本当に助かったから、お礼が言いたかったんだ……それと、アレイラのことだけど、彼女はどうしてる?」
心配げにオレを見つめるオーリエの表情が曇る。
「……アレイラは先に帰ったよ。突然、君と二人で姿が見えなくなって心配していたら、急にこの店へ帰ってきて宮殿に戻るって言うんだ。驚いて、君の行く先を尋ねたら、先ほどの場所の指示されたってわけさ」
そうか……アレイラはガレアとは会わずじまいだったんだ。
「まぁ、確かに見学の行程は昼食で終わっていたから、ここで解散でも良かったのだが、あまりに自己中心的な態度に思えてね」
アレイラの行動に憤慨している様子が見て取れた。
「ところでオーリエ、オレと一緒に居た傭兵はどうなったか知ってる?」
オレがここに運ばれくる間に、いつの間にかガレアの姿が見えなくなっていた。
「ああ、ガレアとかいう彼なら引き止めたが、この店に入る前に立ち去ったよ。何か用事でもあったのか?」
「……いや、彼にも礼が言いたかっただけさ」
ガレアとアレイラの話が途中になったのが心残りだったけど、仕方がないか。
宮殿に戻ったら、ガレアのこと伝えなきゃ。
「ホントにありがとう。戻ってきてもらって悪かった……聞きたかったのはそれだけなんだ」
「……そうか、人の心配も大事だが、自分の身体を一番大切にしなきゃな」
オーリエは、にこりと笑うと男のようにオレの頭を撫でると、部屋から出て行った。
「お迎えに上がりました、リデル様」
シンシアが馬車から降りると丁寧に頭を下げる。
「ごめん、シンシア。歩いて帰れるって言ったんだけど」
「別に構いません。主人に仕えるのは侍女としての当然の勤めですから」
オレが謝るといつもの調子で、そっけなく答える。
顔には出していないけど、きっと心配して急いで来てくれたに違いなかった。
普通なら、こんなに早く着くわけがない。
オレが寝ている間に、クレイが宮殿に使いを出してくれたようだ。
オレとしては、病気じゃないから歩いて帰ると主張したのだけど、クレイと珍しくヒューも反対したんだ。
オレが訝しげな顔をすると、ヒューがそっと耳打ちする。
「聖石の力で女性になったのです。先ほどの様子から、何か身体に不具合が起きているのかもしれません。大事を取った方が良いでしょう」
ヒューの意見にも一理あったので、しぶしぶ納得した。
「リデル様、とにかくお乗り下さい……御者さん、帰りはゆっくりで良いですから丁寧にお願いします」
オレに手を差し伸べ、馬車の中に座らせると続けて言った。
「もしも、痛みを引き起こすような走り方をしたら、生まれてきたことを後悔させてあげます」
「も、もちろんでございます」
シンシアの冷たい口調に御者が青くなって即答した。
お、おっかね~。
シンシアを怒らせないようにオレも大人しく座席に身を沈めた。