彷徨(さまよ)える本とオレ 中編
「な、何なんだ、これは……」
オレは呆気に取られて立ち尽くした。
ほうほうの体で、図書館から脱出したオレとノルティはイグナス子爵の名を頼りにその屋敷を探すことにした。
幸いなことにイグナス子爵はある意味、かなり有名だったため、すぐ屋敷にたどり着くことができた。
中級貴族の屋敷が多く集まった一角にイグナス子爵の屋敷はあった。
いや、正確にはあったというべきだろう。
オレの目の前には、閉ざされた門と『売家』の立て札が寒々と立っていた。
「ノルティ……」
「リデル……噂どおり」
そう、イグナス子爵が道行く人にも知られているのには理由があった。
彼は無類の賭け事好きだったのだ。
それはもう筋金入りで寝食忘れて賭け事に高じるのはもとより、普段の生活でも、自分の生まれてくる子の性別まで賭けにしてしまうようなぶっ飛んだ人物だったようだ。
一介の商人であった先々代が戦争で巨万の富を一代で築き、貴族に取り立てられるほどの栄華を極めたらしいけど、その財産も無尽蔵にあるわけではない。
湯水のように使えば、結果は自ずと明らかだ。
オレの眼前の元イグナス邸は、その成れの果てのように吹き抜ける風に骸を晒していた。
「これは……破産したな」
道々、噂を聞きながら、いやな予感はしていたんだ。
「そのよう……」
ノルティも淡々と答える。
「ってことは、本はどこへ行ったんだろう?」
「売られた?」
即答ありがとう、ノルティ。たぶん、それが正解だ。
「どうする、リデル?」
帰るの?とノルティが寂しそうな表情を浮かべる。
「いや、イグナス当人か破産管財人を探そう。売った先がわかるかもしれない」
立て札に書かれた管財人の名を指し示した。
「続けるの?」
「もちろんさ、手ぶらじゃ帰れないだろ? それと美術商や写本協会も当たってみよう。何か手がかりがあるかもしれない」
「……うん」
オレの提案にノルティはどこか嬉しげに見えた。
「とにかく、本探しは始まったばかりさ」
あれ、何かワクワクしてきたぞ。
「イグナス子爵ねぇ……奥さんと息子さんは実家に戻ったみたいだけど、本人はどこにいるんだか」
隣の屋敷の門番のおじさんは申し訳なさそうに言った。
「いえ、いいんです。不躾な質問して、ごめんなさい」
オレが可愛らしく振舞うと、何故か男の人は必ず力になってくれる。
男でいる時、あんまり女の子と接する機会がなかったので、気付かなかったけど、やっぱり可愛い子は得なんだ。
「デイトン商会がどこにあるかは、ご存知ですか?」
イグナス邸を管理しているのは、立て札によるとデイトン商会らしい。
「それなら、知ってるよ。あこぎな金貸し野郎さ」
吐き捨てるように言うところをみると、身に覚えがあるのだろうか?
「奴の店なら街壁を出たすぐ近くにあるけど、あんたらだけで行くのかい?」
オレ達二人の格好を見て、門番さんは眉をひそめた。
「あ、大丈夫です。ここにはいませんが、護衛の者が別にいるんで」
オレがにっこり微笑むと、相手は安心したように言った。
「それなら、いいんだが……。俺が教えて、あんたらに何かあったら、後味悪いからなぁ」
「ご心配いただいて、ありがとうございます。それでは急ぎますので、失礼しますね」
「あ、ちょっと待ちな。街壁の外に出るんなら、ここへ寄ってみるといい」
懐から手紙を取り出して、文面の中にある店の名をオレ達に示した。
「このお店は?」
「俺のダチが働いている酒場だ……イグナス子爵んとこの門番をやってた」
「ありがとうございます!」
思わず、彼の手を取ってお礼を言うと相手の目尻が下がる。
「いいってことよ。こんな別嬪さんに頼られちゃ、張り切るのが男ってもんさ」
がはは、と笑う憎めない門番さんを見て、男って単純な生き物だなぁって、つくづく思った。
「やっぱり……リデル、凄い」
外門を目指しながら歩くオレにノルティが尊敬の眼差しを向ける。
「え?」
「男の人……リデルの思い通り……魔法?」
「や、そんなことないよ。ノルティにだって練習すればできるようになるさ」
「……きっと無理」
ノルティは自分は可愛くないって否定してるけど、眼鏡をとったら絶対、美少女だと思う。
『ボクのお願い聞いてくれる?』なんて言われたら、大抵の男の人はその願いを叶えてあげようと思うに違いない。
特に一部の趣味の人には圧倒的な支持を集めること請け合いだ。
ノルティは自分の魅力に全く気が付いていない……いや、気付かない方が彼女のためかもしれないけど。
「さて、問題は外門だな。身分証はこの腕輪が果たしてくれるけど、オレ達だけで外へ出してもらえるか……」
オレとノルティが思案に暮れていると、後ろから不意に声がかかった。
「あれ、あんた達、ここで何してんだ?」
振り向くと、そこにはオーリエの護衛のディノンが立っていた。
「なんだ、ディノンか」
「おいおい、なんだその反応は? へこむなぁ」
先日、オレの実力を目の当たりにして、不審の目を向けたことなどを忘れたように屈託の無い笑顔を見せる。
「大方、オーリエがデイブレイクのところへ日参してるんで、暇なんだろ?」
「そうそう、オーリエがデイブレイクのとこに行くんで、護衛の仕事が無くて暇で暇で…………って何を言わせんだ!」
自分で言ったくせに。
ホント、面白いヤツだ。
でも、本当はオーリエとデイブレイクの逢瀬の邪魔をするのが空しくなって、独り憂さを晴らそうしているってところか。
けど、思っていたより落ち込んでいないようで安心した。
デイブレイクの一件でオーリエは変った。
自分の気持ちに正直に行動するようになったのだ。
今までは、どこか体面や他人の思惑に左右されることがあったけど、今のオーリエは自分の感じたことを素直に表現している。
全く、恋する乙女の行動力には驚かされるよ。
ただ、ディノンの気持ちを考えると、何ともやるせない状況と言える。
それでも、冗談めかして話せるだけ、ディノンは大人だと思う。
「で、リデル。何でこんな場所に?」
「話せば長くなるんだけど……そうだ! ディノン、頼みがあるんだ。一緒に外門を抜けてくれる?」
「ん、何で?」
「いや……オレ達だけだと、きっと出してもらえないだろ。護衛付きなら大丈夫かなって」
「ふ~ん」
「なぁ、お願いだよ」
「うん、やだ!」
「え、何でだよ!」
にっこり拒否するディノンの胸ぐらをつかむ。
「まぁ、待てよ。何で俺があんたらの悪事の片棒を担がなきゃならないんだ? そんな危ない橋、真っ平ごめんさ」
「べ、別に悪事って訳じゃ……」
「正式な手続きで出られないってのは疚しいことがあるからだろう」
「ぐっ……」
「大体、俺はオーリエの護衛であって、あんたらの頼みを聞く筋合いもない」
むう……今日のディノンは、いつもより切れやがる。
「そ、そんな細かいことばっかり言ってるから、女にモテないんだ」
「…………」
苦し紛れに言い放った言葉にディノンは沈黙する。
し、しまった。言い過ぎた。
振られたばかりのディノン(たぶん)には、キツイ一言だった。
「あ、ごめん」
「いや、女にモテないのは事実だし、細かいことにうるさいのも本当さ」
ディノンは怒る風でもなく、淡々とした表情を見せた後、少し考え込んだ。
「さっきは暇すぎるって冗談で言ったが、これから人に会う約束があるんだ。だから、あんたらの悪さには付き合えないが、外門で護衛のフリをするぐらいならできる……ただ、ひとつ条件がある」
「条件?」
「ああ、簡単なことさ……今度の安息日に俺に付き合ってくれるならな」
な、何ですと……それって、巷で言うデートですか?
デ、ディノンと二人きりでデート……あり得ないんですけど。
「ま、俺としては無理にとは言わないけどね」
ど、どうしよう……。
心配げなノルティをちらりと見て、オレは決断した。
「わかった……その条件を呑もう。外門を出るのを手伝ってくれ」
「契約成立だな。任せておけ、こう見えても俺は演技は得意なんだ」
にやりと笑ってディノンは頷いた。
甘かった……かえすがえす甘かった。
「やあ、門衛の諸君!お勤めご苦労さん!」
いきなり妙なハイテンションで、上から目線の呼びかけ。
「えっ、何か用かって?……ここを通していただけると有難いのです。彼女達の知人が街壁の外に来ているので、会うために外へ出る必要があるのです――」
棒読みの台詞。
オレが門衛の兵士達に話しかけようとする前に、ディノンがしでかした演技とやらだ。
何が演技は得意だ、完全に不審そうにこちらを見てるじゃないか。
「す、すみません。私達、宮殿に滞在している者ですが、今この者が話した通り、所用で外へ出る必要があるんです。あ、彼は護衛で決して怪しい者ではありません」
オレが顔をひきつらせながら腕輪を見せると、姫様候補のことを承知しているようで門衛は頷いて道を開けた。
門限には必ず戻ってくださいと釘を刺され、オレ達はなんとか外へ出ることができた。
やはり、外へ出るのは比較的たやすいが、入るのが難しいようだ。
前にも見たけど、並行して行われている入城検査はかなり厳しい。
帰りが大変だな。
「そら見ろ。俺がいれば、外へ出るのは簡単だったろう?」
自信満々にディノンが胸を張る。
いや、かえって、あんたのせいで危なかったんですけど。
ともあれ、護衛がいたおかげで一悶着起きなかったことは事実なんで、文句は言わないことにした。
「じゃ、約束、忘れるなよ」
そう言い残して、ディノンは雑踏に消えていった。