求道者とオレ 後編
談話室は図書室の隣にあり、室内は仕切りで区切られ、幾つかの小スペースに分かれていた。
それぞれにテーブルと椅子が備え付けられ、落ち着いて話しができる作りになっている。
ただし、入り口は開放されているので密談するには不向きだ。
今は他のクラスが授業のためか、オレ達以外に利用する者もおらず、貸切状態となっていた。
オレ、ユク、ノルティの三人は一番奥の席に陣取ると、先ほどの会話の続きを始めた。
「トルペン先生の話を聞く前にさ。前から思ってたけど、ノルティってめちゃくちゃ頭が良くないか?」
運動系は苦手なのはお約束だけど、こと学問については教授陣と対等に渡り合える知識に、正直な話、とても市井の娘とは思えなかった。
「そんなことない……」
頬を染めて否定するところを見ると、褒められて嬉しいらしい。
「いや凄いよ。どうしてそんなに物知りなんだ?」
素朴な疑問として聞いてみた。
教育には前にも言ったけど、相当お金がかかる。
服装や所持品から見て、ノルティが裕福の家の出には到底見えなかった。
なのに、この半端ない知識量はどう考えても不可解だ。
「ボク……図書館に住んでた」
「はい?」
また、意味不明な台詞が聞こえたような……。
「え~、ノルティさんのお家って、図書館だったんですか? いいなぁ」
ユク……お前も、やっぱりどこかズレてるぞ。
「ノルティ、確認するけど、それは図書館のような家に住んでたってこと?」
「ううん……家は別にあった……」
どうもノルティとは意思疎通としての会話が成立してないようだ。
オレは頭痛を感じながら、慎重に質問を重ねた結果、概ね次のようなことがわかった。
ノルティは幼い頃に母親と死別してから、ずっと父親と二人暮しで、その父親は帝国図書館の蔵書研究と管理の職に就いていた。
内戦のため図書館が閉鎖されると、館長やその他の館員は撤収する中、膨大な蔵書をノルティの父親一人で守ってきたのだそうだ。
小さなノルティの世話をする者が他にいなかったため、職場に連れてきては仕事の傍らに面倒を見ていたが、ノルティは書庫を遊び場にして一日中過ごし、いつの間にか本を読むことを覚えると、父親の知らぬ間に、かなりの読書家になっていた。
驚くべきことに、大人が読み解くのに難解な書物も全く意に介さず、その知識を自分のものとしていったという。
娘が仕事の邪魔にならないのがわかると、家に戻るのが面倒になり、父娘共々図書館で生活するようになったのだそうだ。
さらに、ノルティが大きくなり、一人でなんでもできるようになると、週一で雇っていた家政婦も辞めさせ、父親以外と話さない生活が何年も続いたのだという。
それがノルティの生まれ育った環境であり、こういう性格が形成される原因となった。
「ノルティ、それじゃ、こんなにたくさんの人と会うのって初めてだったとか?」
「……うん、そう」
「怖くなかったの?」
「……怖い、だから眼鏡してる」
ノルティにとって、あの眼鏡は自分の心を守る防具だったんだ。
急にノルティが不憫に思えて、優しく抱きしめる。
彼女はおずおずと抱きすくめられた。
「ノルティ、よく頑張ったね」
「リデル……良い匂い」
オレのこと、怖がってはいないようだ。
何ていうか、何の色にも染まっていないというか、ほんの些細なことで壊れてしまいそうな儚さを彼女から感じた。
「全く酷いお父さんだな」
ノルティには悪いけど、ちょっと腹が立った。
「……何故?……父さん、良い人」
不思議そうな顔をした。
「父さん、ボクにご飯くれた……いろんな疑問に答えてくれた」
「そうだね、悪い人じゃない」
でも、自分の娘を普通の子に育てるのを怠ったと思う。
たぶん、育てた当人に悪気はなかったのだろう。
無論、子育てに正解というものはない。
けど、普通の社会生活にも齟齬が生じるようでは問題外だ。
ノルティが姫様候補者に選ばれたのは彼女にとって幸運なことだったとオレは思う。
「ノルティ、もっといろんな人とたくさんお話しよう!」
オレの提案に小首を傾げる。
「……何故? ボク、本を通じていろんな人とお話ししてる」
確かに、たくさんの書物は作者の気持ちや言葉を紡いだものだ。
それに耳を傾け、自分の考えを問いかけるのは会話かもしれない。
けど、オレはノルティに普通の女の子が他愛もないことで笑い合うような普通の会話をして欲しかったんだ。
「ノルティ、オレと友だちになろう」
オレはノルティの肩を抱いて、眼鏡の奥の瞳を見つめた。
「……友だち?」
「そう……友だち」
「うん……いいよ、人間の友だち…………初めて」
ノルティは嬉しそうに笑った。
ノルティの笑顔にちょっと切なくなったオレは慌てて言いつのる。
「ノルティ……それじゃ、さっきの話の続きを……」
そこまで言いかけた時、
「リデル様、お茶の用意が出来…………い、いったい何をしてるんですか――!」
お茶の用意を載せたワゴンを押して、談話室に入ってきたシンシアは抱き合っているオレとノルティを見て、真っ赤になって叫んだ。
「へ……?」
ああ、確かにひしと抱き合っているけど、変な気は全くなかったので、二人とも、きょとんとした顔でシンシアを見つめた。
「は、早く離れてください! 破廉恥な……」
耳まで赤くしてシンシアが訴える。
あれ、シンシアって、もしかしてそっち方面は疎いんだろうか?
案外、初心な性格なのかもしれない。
オレはノルティから身体を離すと、シンシアに弁解する。
「シンシア、誤解だよ。友だちになっただけさ。変な意味はないから」
「リデル様の言うことは信用できません」
疑わしそうにオレを見るシンシアの後ろからやんわり声がかかる。
「何事です、シンシア。貴女の声、部屋の外まで聞こえましたよ」
お茶菓子を携えたソフィアが咎めるような顔で談話室の前に立っていた。
「も、申し訳ありません。ソフィア姉さま」
そう言うとオレをキッと睨む。
シンシア、それは逆恨みだって。
紅茶を淹れ、お茶菓子が全員に行き渡るとソフィアとシンシアは一礼して下がっていった。
オレはソフィアとシンシアのことを侍女ではなく仲間だと思っているので、一緒にどう?と誘ったけど、ソフィアは笑顔で、シンシアは怖い顔で辞退した。
まぁ、二人がいるとノルティが緊張するのがわかったので、二人を加えたお茶会はまたの機会としよう。
「で、話を戻すけど、トルペン先生を尊敬してるんだって?」
「尊敬してる……先生は凄い人」
「いったい、どこらへんが凄いのかなぁ?」
凄い変な人ではあるのは間違いないけど。
「先生の著述は一冊を除いて、全て読んだ……感銘を受けた。先生の諸説は大胆かつ斬新で、他では見ることができない。しかも理にかなっていて説得力がある。難を言えば少数派……」
ノルティは普段は言葉が足りないが、書物や知識のことになると、言葉がすらすら出てくるタイプのようだ。
今も、目をキラキラさせながら、トルペンの素晴らしさを熱弁している。
残念なのは、オレもユクもその意見に全く賛同できないという点だけだ。
「でも、一冊だけ読んでないってのもノルティらしくないね。住んでた図書館になかったの?」
ふと気になって、何気に口に出したのが失敗だった。
「…………それを思うと心、暗闇になる……」
突然、テーブルに突っ伏したノルティはぴくりとも動かなくなる。
「ノ、ノルティさん?」
ユクが心配して声をかけるけど、全く反応がない。
「お~い、ノルティ!」
耳元で呼びかけると、のろのろと顔を上げる。
「すぐに治る……しばし待つ」
そう言うと、再び両腕にうずくまるように突っ伏す。
際限なく落ち込み始めるノルティを放っておく訳にもいかない。
「ノルティ、何をそんなに落ち込んでるんだ?」
「……読もうと思った矢先……所有者の元に戻った」
「所有者?」
「本の持ち主のこと……」
またしても、意味不明なことを……。
急速に気力を失ったノルティの要領の得ない返答をまとめると次のようになる。
そもそも帝国図書館というのは広く公開される目的で作られたものではない。帝国の所有する蔵書を管理・研究するための施設だ。
活版印刷が考案され、一般向けの図書も販売されるようにはなったけど、まだまだ庶民の手には届かない代物だった。
多くは貸本の形態を取り、所有するのは貸し元と呼ばれる業者達だ。
市民はそうして提供された本を借り賃を払って読むのが普通だったし、そうまでして本を読もうとするのは教養の高い一部の市民にとどまった。
一方、貴族の間では、未だ彩色写本が主流だった。
写本というのは人間の手作業で現本を写した本で、その多くは立派な装丁で美しい図画で彩られており、大変高価なものだ。
本は芸術品であり、財産と言って良かった。
本を所有するということは、その内容を知るより所有することに価値があったのだ。
図書館に所蔵されている本の大半はそうした写本であり、その全てが帝国の所有しているものではなかった。
貴族や富裕商人の所有している本も研究と安全のために保管されていたのだ。
トルペン先生の著述もそうした本の一つで、ノルティが読む前に持ち主が館外に持ち出したのだそうだ。
トルペンの本がそんなに価値があるとは信じられないけど。
「だったら、トルペンに原本を見せてもらえば? オレからも頼んであげるし」
「………………ない」
「トルペン先生のところには原本はないそうですって」
ぼそぼそと話すノルティの話をユクが取り次いでくれる。
「えっ、どうして?」
「………………から」
「トルペン先生が誰かに献ずるために書いた本なので手元に残っていないそうです」
「そうか……それじゃ、仕方ないよな」
トルペンの書いた本なんて、オレ的にはどうでも良かったし、ノルティが気の毒だなぁぐらいに正直思ってた。
本の題名を聞くまでは……。
「そういや、その本ってどんな本なの?」
「…………という題名……」
「本の題名は『聖石秘事伝承録』(せいせきひじでんしょうろく)だそうですよ」
な、なんだって!
オレはノルティの手を握ると、大きく頷いて言った。
「……ノルティ。その本、オレと一緒に探しに行こう!」