四話 図書委員
ちょっとシリアス。
「うーん…………」
図書室の棚の前で、一人の少女が背伸びをする。
その指先は最上段の本の列に僅かに届かず、少女は必死に指と背筋を伸ばし、つま先立ちになっている。
「…………これか?」
その様子を見かねた俺は、指の先が触れていた本を抜き取り、少女の前に差し出す。
「あ、ありがとうご…………せ、先輩」
俺の顔を見て、驚く後輩の少女の頭にポン、と手をのせる。
「なんでこんなとこでこそこそやってんだか…………」
少しばかり呆れたような声が出てしまったのを自覚するが、この少女には寧ろそれくらいのほうがいいか、と思い直す。
桐原楓…………それが俺の目の前でどこか気恥ずかしそうに目を合わせようとしない後輩の名だ。
「ほら、とっととカウンターに着け」
そう言ってその手を取って、入り口にあるカウンターにまで引っ張っていく。
桐原はそんな俺のほうを見て、けれどすぐに顔を伏せたまま歩く。
「あ…………あの…………私は」
遠慮がちに出た声、そして決まって次の言葉は行動の否定だ。
だから。
「良いから…………黙ってここに座っとけ」
さきほどまで奏がエロゲーをプレイしていたPCの前に桐原を座らせると、自身もその隣に座る。
何か言いたげに俺のほうをチラチラと見てくるが、黙して語らない俺の様子を見て、諦観したかのように溜め息を吐く。
「強引ですよ…………先輩は」
やがてぽつりと呟かれた言葉に、俺は苦笑する。
「かもな」
「…………私は、奥で本の整理でもしてたほうがいいんです」
自嘲気味に呟く桐原の頭をペシリと軽く叩く。
「バーカ…………カウンターに俺みたいな男がいるより、可愛い女子生徒がいたほうが良いに決まってるだろ」
ニッ、と笑いかけそう言うと、桐原の顔が沸騰したように赤くなる。その変化に一瞬驚く俺だったが、すぐに思い出す。
ああ…………そういやこいつ、こういうのに耐性無かったな…………すっかり忘れてた。
「か、かか、可愛いなんて…………」
あわわわ、と妙なことを口走りながら慌てる桐原の頭をもう一度叩いて正気に戻す。
「落ち着け」
「…………はい」
動揺を鎮めた時、さきほどまでの暗い雰囲気が晴れている気がして、俺は知らずに笑みを浮かべる。
その時…………図書室の扉が開き、三人の女子生徒が入ってくる。
そして、入り口の傍のカウンターに座る桐原を見て、その表情を変え、すぐさま図書室を出て行く。
「…………………………」
その様子を見た桐原がまた俯き、きゅっと唇を噛み締める。
桐原の家は少々…………いや、かなり特異と言っても良い。
何せこの深月町を中心に周辺一帯仕切る極道一家で、名を桐原組と言う。
桐原楓はその組長の一人娘、しかも組長は親馬鹿な上に組員の皆から非常に可愛がられており、心配の余り桐原を毎日学校まで車で送迎しているほどである。
ただ、そのせいで桐原の家のことは学校中の事実となった。
極道の娘…………そのレッテルのせいで、桐原は周囲から遠ざけられ、そして自身も周囲を遠ざけるようになった。
「気にすんな…………」
ポン、と頭の上に手をのせ、ワシワシ、と撫で回す。
「少なくとも…………俺は、お前から離れたりしないからよ」
言った瞬間、またカァと紅くなる桐原。そして自身で言った言葉を反芻し…………。
「い、いや、違う、違うからな、そういう意味じゃなくて」
「………………っ!!」
互いにあたふたとしてしまったが、二度、三度と深呼吸し、気持ちを静める。
少し冷静になったところで、桐原のほうへと向かい合う。
「ゲーム部のやつらだって、お前の実家のこととは関係なく一緒にいてくれるだろ?」
桐原楓はゲーム同好会の一年生部員だ。
勿論、ゲーム同好会のやつら全員、桐原の実家のことは知っている。
けれど…………だからどうした?
そう言えるやつらばかりが集まったのがゲーム同好会と言う場所で。
「…………はい」
だからこいつも、それを思い、こうやって笑顔を浮かべれるのだろう。
「よし、今日は閉館だ!」
図書委員は放課後の図書室でカウンターに座って貸し出しの管理をすることを義務付けられている。
ただし五時を過ぎたらいつでも図書室を閉めても良く、六時には必ず閉める、と言う規則がある。
時計をちらり、と見ればすでに五時。部活が五時半までなことを考えれば、今閉めれば部活に間に合うだろう。
「早くないですか?」
そんな桐原の問いだったが、一応規則的にはもう閉めても良い時間なのであまり強くは言わない。
「図書室を閉めるので、貸し出しは今やってください」
スピーカースイッチを入れ、図書室内部に放送すると、終了時間宣言の音楽を流す。
「毎回思うんだが、これって普通『トロイメライ』とかじゃないのか? なんで『展覧会の絵』?」
出した本の片付けをしている生徒たちを見ながら、ふと呟く。
「先生の趣味らしいです…………図書委員の担当って何故か音楽の先生ですし」
桐原の控えめな言葉に納得しながら、一人の男子生徒が本の貸し出しをしにカウンターまでやってきて。
桐原を見て、固まる。
「…………あっ」
貸し出し管理はPCの前に座っている桐原の仕事だが、その桐原もどうしようか、と悩んでしまって動かない。
俺がやっても良いが、それではいつまでたってもこの後輩はこのままだ。
「別に噛み付きゃしねえんだからよ、普通に貸し出しぐらいすれば良いだろ」
桐原の隣でそう言ってやると、男子生徒はややオドオドとした態度ながら桐原に本を渡す。
桐原も桐原でそれを恐る恐ると言った感じで受け取ると、バーコードリーダーを本に押し当て、ピッ、と音がするとそれを男子生徒に渡す。
「え、えっと…………返却は一週間内でお願いします」
「は…………はい」
桐原の注意に頷くと、男子生徒はそそくさと立ち去っていく。
「………………なんか気にいらねえ」
男子生徒の逃げ出すようなその仕草が少々勘に触る。
と、その時、俺の袖が引かれる。視線をやると桐原だった。
「あ、あの先輩…………できました」
色々と言葉足らずな説明だったが、けれど桐原が少し笑んでいた。
正直、だからどうした、と言うのが良く分かっていないが。
「そっか、頑張ったな」
分からないなりにその頭を撫でると、何故か「えへへ」ともっと笑顔になった。
少しして、また別の生徒が本を借りに来て…………同じことをそうやって幾度か繰り返し、五分後には図書室には俺たち以外誰もいなくなっていた。
「よし、俺たちも部活行くか」
そう言って、立ち上がる俺だったが、傍の桐原は一向に立ち上がる気配が無い。
「…………どうした? 桐原」
俺の問いに、やや呆けたような表情で顔を上げる。
しばし沈黙が続いたが、やがてその口が開かれる。
「…………あ、あはは。先輩と会ってからこういうの多いなって」
少し赤らめた頬に一瞬、心臓が高鳴る。
「今までずっと避けられ続けて…………だから私、ずっとこのままなのかと思ってたのに」
それなのに…………そう続け、けれどその先の言葉は出てこない。
本来図書委員は同学年の図書委員同士がペアになって担当する…………のだが。
桐原にはペアとなってくれる一年生がいなかった。
図書委員会の会議で一人佇む桐原を見て、だから俺は声をかけた。
そしてぺアになり、担当の日に一緒にやるようになって、それでようやく桐原の事情を知った。
「……………………気にするな」
何度目になるだろうか、コイツにこう言ってやるのは。
ポン、とその頭に手を置き思いっきりぐわしぐわし、とかき回してやると身を捻って逃げ出す。
「ほら、いいから…………部室行くぞ」
謝罪は告げず、ただそれだけ言って鞄を持り、歩き出す。
「…………………………はい」
何か言いたげだった桐原だったが…………結局、頷き、俺の後ろをついてくる。
いつも俯いているこいつを見て。
一つ決めたことがある。
それは、お節介なことかもしれない。
少なくとも、ただの同じ委員会の後輩に思うようなことではないかもしれないが。
桐原にいつでも顔を上げて歩かせる。
けれど、俺は…………一月前にそう決めた。