二話 ツン猫
タッタッタッタッタッタッタ
PCの駆動音が響く静かな部室の外から響いてくる誰かが走る音。
「…………おや、来たみたいだねえ」
ぽつりと呟く鏡の声、けれどヘッドホンをつけた俺の耳には届かない。
タッタッタッタッ
バタン…………と派手な音と共に部室の扉が開かれる。
「こんにちわってんです、キョウ先輩!」
ヘッドホン越しに聞こえた派手な音に、ゲームを一時停止して視線を画面から外す。
やってきたのは小さな少女。小学生と見間違えんばかりの低い身長に、鋭い切れ目、女子の制服を着たその姿は小学生が背伸びして姉の制服を着ているような錯覚すら覚え(ドス)…………。
俺の腹に突き刺さる拳…………痛む腹を抑えつつ、殴った張本人である少女、水木霊を睨む。
「何か不愉快なこと考えやがりましたか?」
恐ろしい直感だ、自身に対する悪意だけは敏感に嗅ぎわけている。
そんな俺の内心の戦慄を他所に、部屋のど真ん中の机に置かれた急須を手に取り、棚からコップを出してお茶を注ぐ。
「全く、疲れたってんですよ」
相変わらずの妙な言葉遣いの霊が椅子に座って緑茶を啜る。
「あはは…………お疲れ様、タマちゃん」
そう言った鏡の声に頬を綻ばせる霊。まるで犬が飼い主に向かって尻尾を振っているような幻視すら覚える。まあ霊本人は犬より寧ろ猫っぽいが。
聞いた話によると、夕澄鏡と水木霊は幼馴染らしい。鏡だけが霊を「タマちゃん」と呼ぶし、霊だけが鏡を「キョウ先輩」と呼ぶあたりに二人の絆が見え隠れする。
それから、どう見ても霊は鏡に好意全開で、鏡も満更でも無さそうなのに、二人は付き合ってないらしい。不思議だ。
「また赤点取って、追加課題喰らったらしいな」
「ぐ…………うるせーってんですよ」
因みに、霊は成績が悪い。直情的でこれと決めたら集中力はあるのだが、反面記憶したことを留めておくのが苦手らしく、勉強しても中々覚えない。
なので、化学や歴史などと言った暗記系の科目は苦手らしい。
「今日は部長はまだ来てねえってんですか…………ってことは、小嶺先輩は今までキョウ先輩と二人きり」
何かぶつぶつと呟き、キッ、と俺を睨むこの少女は、どうやら俺が嫌いらしい。しょっちゅう俺に絡んでくる。
絡んでくるのは良いが、最終的に拳が飛んでくるのは止めて欲しい。小柄だと思って甘く見ていると、悶絶することになる。
まあ、ついついからかうような言葉を言ってしまう俺も悪いのだろうが。
「キョウ先輩に変なことしてねーでしょうね?!」
なんで男子相手にそんな発想が出てくるのやら。してない、と言う俺の言葉に疑いの眼差しを向けつつも鏡を見る。
「どうかした?」
惚けたような顔でニッコリとそう言う鏡に、何で無い、と返す霊。
霊が俺を嫌う原因は分かりやすい。単純に言って、俺と鏡が仲が良いから。
ゲーム同好会に入ったばかりの時、同じ男子と言うことで鏡とばかり仲良くしていたら、いつの間にか滅茶苦茶嫌われていた。
多少腹黒いところもあるが、基本的に人あたりの良い鏡だから友人くらい多そうだし、そいつら全員と敵対しているのかと思えば、鏡は友人などほとんどいない、と言う。
折角仲良くなれそうだし、と言うことで鏡のほうも俺と交友を築こうとしているのがさらに敵愾心を強くした。
ま、なんて言っても、問題があるわけではないのだが。
ただ鏡と話していると敵意を向けられるだけで基本的には何もしてこない。
そもそも男同士で友情を深めているだけなのだから、不味いことをしているわけでも無い。
結局、何ら恥ずべきことが無いのだから、堂々としていれば良いだけの話だった。
霊は鏡とは逆に頭を使ったゲームが苦手だ。シンプルで分かりやすいものを好み、格闘ゲームなどを良くプレイする。
と言うか、格闘ゲームだってコマンド入力とか面倒じゃないのか? とは思ったが、本人曰く「蹴って殴って、相手が起き上がれなくなったら勝ちだってんでしょ?」とのことで、解答になっていない解答を頂いた。
「ふむ…………」
ジョイステーションの電源をつけたのを見る限り、恐らく今日も格ゲーをするのだろう。
と言うわけで。
「よし、俺も参加する」
2Pのコンとローラーをジョイステーションに差込み、霊の隣の席に座る。
以前、パーフェクトKOなどと言う不名誉な負け方をしたからな。
「今日こそ一矢報い……いや、勝って見せるぜ」
「やってみろってんですよ」
ニィ、と俺に向かって嗤う霊を見ながら、今度こそは、と意気込む俺だった。
「参りました」
普通に負けました。うん、二十秒持たなかった。
見たか、と言わんばかりに胸を張る霊…………まあ張っても全く起伏が見えないから悲しくしかならない(ドス)…………うぐ。
「また何か妙なことを考えやがりませんでしたか?」
「だから…………心を読むな」
これだけ痛いのに何故か痣にはなったことが無いのが不思議だ。
「つうかまた一発も当たってねえし」
攻撃しようとした瞬間だけ後退し、攻撃を止めた瞬間、ジャストなタイミングで反撃が始まる。結果的に一方的にぼこられ、霊の使うキャラは一ミリたりともHPバーが減っていなかった。
「つうかなんでそんな計ったようなタイミングで動けるんだよ」
呆れたような俺の声に。
「勘だってんですよ」
そんな簡潔な霊の答えに、がっくりと肩を落とす。
「次こそは」
「何度でも来いってんです」
不敵に笑う霊に、再戦を決意する俺。
その時、ふと俺の目の前に差し出されるコップ。中には霊が入れ直したお茶。
ちょうど咽が渇いていたので一言礼を言って咽を潤す。
「キョウ先輩もどうぞ」
そう言って鏡のところにお茶を持っていく霊。
このやり取りで分かると思うが…………ゲームに付き合ったり、他人の分の茶を入れたり、霊は鏡が絡まなければ普通に良いやつだ。
正直、霊の中で俺ってどんな風に思われているのか謎ではあるが、鏡がいないところだともっと普通に話したりもする。
ただ、鏡と話している時には普段の態度が豹変するのも確かで…………。
何とも不思議な後輩だ、と俺は内心で呟いた。
「そういや、他の二人はどうしたんだ?」
ゲーム同好会の一年生部員は三人なのだが、やってきたのは霊一人、後二人はどこに行ったのだろうか、と思い尋ねると、霊が「ああ」と思い出したように答える。
「二人とも委員会だってんですよ」
その答えに思わず「あ…………」と声が漏れる。
「そう言えば、小嶺先輩も委員会じゃねえんですか?」
流れのついで言ったその言葉は、まさしく的を射ていて。
「忘れてた…………」
俺はそう呟くのが精一杯だった。
「…………………………」
ジト目で見つめてくる霊の視線に、無言ながらだからこその圧力を感じる。
「すまん、ちょっと委員会行ってくる」
それに耐え切れず部室を飛び出した俺。
そして後に残されたのは霊と鏡。
「キョウ先輩」
二人きりになった途端、鏡にひしっ、と背後から抱きつく霊。それはまるで、飼い主に擦り寄る猫を彷彿とさせる。
「…………ん~? 今日は何だか甘えん坊だね、タマちゃん」
そんな猫をあやす飼い主のように鏡が、まるで猫にするかのようにその顎をくすぐると、霊がくすぐったそうに身を捻る。
その表情はさきほどまでの不敵な笑みは消えており、母親に甘える子猫のような満面の笑みだった。
「……………………」
そしてそれを部室の外から覗く俺。
鞄忘れたので取りに来たのが……………………。
「入り辛れえ…………」
部屋に漂う甘ったるい空気に、どうしたのものかと困惑した。
オリジナル用語解説
ジョイステーション
作中1994年に発売されたゲーム機。あくまでフィクション存在であり、実在する同じ年代に発売されたゲーム機とは一切関係ない。