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2人の幸せと地獄から帰ってきた兄弟

 またトンボたちの交尾の季節がやってきた。相変わらず外で飛び回りながらその行為を行う彼らに、今は特に何とも思わない。少しは自分が成長できた証だろうか。まあ自分も同じ経験を積んで大人になったのだろう。

 あれからいくつかの日々が過ぎたが、2人での暮らしは幸せそのものだった。お互いの手を研ぎあったり、自分が持って帰ってきた食糧を美味しい食事にしてくれたり…。求めていたものが同時にいくつも手に入ったような感覚で、生きていてよかったと思わせてくれる。さあ、後は子供だ。自分の子供には自分と似たような者も出てくるだろう。その子に幸せを掴む方法を伝授して自分の人生は完遂する。そしてそのことに何一つ障害は無い。



 ある曇り空の日だった。自分が食糧を持って帰ってくると、彼女もいつも通り家で待っていた。ここまではなんらおかしいことはなかったが、次の瞬間有り得ない光景が自分たちの目の前に現れた。それはいつかの日にヒトの世界でヒトに捕まった兄弟の姿だった。


 「あ…」

 ほとんど2人同時に発した声だった。彼女のほうはボロボロになっている兄弟を見て、少し怯えた風であった。

 「よう…お二人さん…。久しぶりだな」

 不敵な笑みを浮かべた兄弟が言う。たしかにあの日以来会ってないので久しぶりだった。だがそれはヒトに捕まっていたので当然だ。だがそのことを彼女は知らない。彼女の反応が気になったが、とりあえず兄弟に聞くことにした。

 「…ヒトに捕まったんじゃなかったのか?」

 「逃げてきたんだよ」

 (逃げる?ヒトから?)

 当たり前のこととしてその疑問が浮かんだ。なぜならヒトに捕まった人が逃げてきた、という話を自分は聞いたことがなかったし、そもそもヒトの支配から逃げることは不可能とされていたからだ。

 「す、凄いな…。ヒトに捕まってたのに…」

 「逃げて来ないほうがよかったか?」

 またも不敵な笑みを浮かべて言った兄弟の言葉にドキッとした。それと同時に今ある幸せがすべて崩れ去るような幻が目の前に現れ、自分はその幻を精一杯の精神力で振り払い目の前の現実に目を戻す。すると我が家にズカズカと入って行く兄弟の姿が目に入り、慌てて止めようとした。

 「あ、おい!ちょっと!」

 「なんだよ」

 「いや…そんな勝手に上がるなよ」

 ここは退いてはならない。横にいる彼女も自分に勇気を与えてくれた。

 「なんだよ。そんなピリピリすんなよ。俺の兄弟の新しい生活を祝ってやろうと思ってんだからよ」

 今日何度も見た兄弟の不敵な笑顔に、薄ら寒い恐怖を覚えた。とにかく帰ってもらわなければ…。

 「ありがとう。もう大丈夫だから帰ってくれ…」

 「お!美味そうな食糧。お前も成長したか?兄弟一の能無し!」

 たしかに自分は兄弟一の能無しだったが、それを彼女の前で言われるのにはやはり抵抗があった。だがそれだけならまだ耐えられたかもしれない。しかし自分が彼女のために捕ってきた食糧を、自分の言葉を無視して口にし始めた兄弟を見て、ついに怒りが湧いてきた。兄弟がヒトに捕まった時に見捨ててしまい、そして彼女と結婚している。そのことに対する負い目もすべて忘れて、自分は怒鳴っていた。

 「もうそれはやるから出ていってくれ!!」

 少し静かになった家の中で、食糧を食べきった口を拭った兄弟が振り返った。怒りとも悲しみとも何とも言い表せない表情で…。


 「よくもそんな口が聞けるな」

 さっきまでの声よりかなり低い声で兄弟が言う。ついに兄弟を怒らせてしまった。

 「俺はお前と、そこにいる女のせいでヒトに捕まったんだ!」

 「な…」

 「俺が捕まるのを見捨てたお前と、俺が捕まるきっかけを作った女…!」

 みるみる表情が壊れていく。なんとも言えない表情から、なんとも言いたくない表情へ。

 (兄弟は明らかに狂っている…!兄弟を見捨てた自分はまだしも、彼女にまで憎しみを向けて…)

 「知ってるか?ヒトに捕まったその先の世界のこと」

 「いや…」

 「狭い世界に入れられて…満足に動き回れない…!だが見た目には外の世界と繋がってるんだ。所謂透明というやつだな。そうしてその世界の中で死ぬまで食事を与え続けられるんだ…!」

 兄弟の身体から汗が大量に吹き出している。顔色も心なしか青くなっており、精神の隅々にまで恐怖を植え付けられた兄弟がそこにいた。


 我が家に沈黙が訪れていた。突然現れた兄弟が作った沈黙。横にいる彼女は涙を流していた。おそらく自分の兄弟の辛い経験を聞いて、それに心を傷めたためだろう。

 やや前方にいる兄弟は荒れた息を吸ったり吐いたりして、やっと落ち着きを取り戻したようだ。

 「結婚…したのか?」

 さっきまで大声をあげて荒れていた兄弟の突然の質問にやや戸惑ったが、真実をしっかりと答えた。

 「ああ。一生を共にしていくつもりだ。」

 迷いはなかった。兄弟に対する負い目もないわけではなかったが、もはや関係ないことと思えた。

 「フン、一生か」

 鼻で笑いながら言った兄弟の目は笑っていなかった。

 「なんだよ。悪いか?」

 「バカが…。お前は意味わからなくても奥さんはわかってるはずだぜ?」

 ニヤリ、と笑って兄弟が言う。全く話が見えてこず、自分は彼女を見た。彼女は少し戸惑ったように目線を落とす。

 「ど、どういう意味だ…?」

 兄弟は自分の質問を無視して彼女に問い掛けた。

 「奥さん、いつコイツを食うつもりだ?」

 意味がわからなかった。彼女が、自分を食べる…?

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