いざ、兄弟対決
朝から日差しが強い。今日も暑くなりそうだ。準備をして家を出る。いつもの場所へ行く。そして今日の、この大事な日の食糧を捕り始める。
(家出るの早かったかな…)
そう思えるほど、食糧となるものの数がいつもより少ない。これからみんな活動を初めてくれば、少しはその数も増えるだろうか。でもその時、右斜め前方にコオロギを見つけた。
(今日1匹目の食糧だ。慎重に、慎重に…)
獲物の背後からゆっくり近寄る。自分の手の射程範囲に、その体が入るまで。そして最も大事なことは、相手も生きているということだ。その持って生まれた防衛反応で、手をかける直前に逃げられるかもしれない。そうなったときのため、瞬時に追いかけられるよう、心と身体を準備しておく。
ザクッ、という音がして、獲物を手に入れられたことを確かめた。とりあえずこの食事は今食べることにした。今日はこれから長くなる。そのための体力を付けておかなければ…。
食糧を捕る効率も随分と良くなってきたように感じる。やはり蝶々等の空を飛ぶ生物は難しく、地に足を付けて生きている種族のほうが簡単だ。特にジャンプして移動するコオロギ等は恰好の獲物で、ジャンプした瞬間を狙えばいい。なぜならジャンプして空中にいる時間、彼らは無防備だからだ。
そうして今日も太陽が一番高いところに登りきる前に、7つの食糧を手に入れた。量だけを考えればもう十分なものだが、今日必要なのは量より質であると思っている。彼女に差し出す食事の内容を競う、というルールがあるわけではないが、兄弟もおそらくはその持ってくる食事の質を重要視してくるだろう。そうなれば自分も負けてはいられない、と気合いを入れ直して再び食糧を捕りにかかる。
(あの兄弟が持ってくる食事に勝つためには…)
そう考えながらひたすら草の根を分けて歩く。何か、決定的な食糧…。歩いて歩いてついに、見たことのない世界に出てきてしまった。硬い、それでいて土ではない地面。色も雨の日の雲のような色をしており、それがヒトがその持ち得る能力で作り出した大地だということに気がつくのに、それほどの時間は必要なかった。さっきまで歩いていた草むらとは打って変わって、ここはヒトが支配する世界。そう確信すると、胸の奥底から憤怒の感情が湧き出てきている自分に気がつく。
(こいつらが…母さんを…!!)
しかし、力の無い自分にはどうしようもなかった。自分たちの種族の中には、おそらくヒト以外の種族の中には、この世界ではヒトに手を出されたら終わり、というような暗黙の了解が存在する。それほどまでにこの世界におけるヒトという生物の力、支配力は凄まじい。見つかって捕まるのはまっぴらごめんなので、すぐにその場から引き返すことにした。
振り返ったときだった。ヒトの、まだ成長しきっていない子供のヒトに捕まって、もがく同族の姿が目に入った。しかもそれは同族どころか、昨夜久しぶりに見た顔だった。
「あ…あ…」
という情けない声しか出てこずに、ほとんど黙って兄弟が捕まえられるのを黙って見ているしかなかった。兄弟もこちらに気づいていたようだったが、何を言っていたのか声は聞き取れなかった。そして次の瞬間、ヒトの子供がこっちを見た。その後はもう何も考えられず、一目散に走って逃げるしかなかった。
兄弟がヒトに捕まった。その事実だけが今はハッキリとわかっている。自分の兄弟の数は1人や2人ではないし、ほとんど会うこともなく家族という実感を兄弟に持つことができないのが自分たちの種族であるが、今日ヒトに捕まった兄弟は彼女を賭けて真剣勝負を行う相手だった。おそらくは兄弟も質の高い食事を手に入れるためにあの世界へ踏み込んだのであろう。
競う相手がいなくなって、勝負が成立しなくなった。彼女はどう思うだろうか。これで自分の勝利といえるのか?…この厳しい世界で生き残っている自分は勝者だ!と考えられなくもないし、でもこの状況の自分をどう思うかは彼女の胸三寸である。もう考えても考えてもわからないので、今持っている食事の中で最高のモノを持って、予定通り今夜、あの場所へ行くことにした。
辺りはすでに暗くなっているがこんな時間になっても相変わらず蒸し暑い。川の側のここではこの辺りに家を持つ種族が多く住んでいる。彼女もこの辺りに住んでいるということは、少し前に話したので知っている。本当は今夜この場所に、自分ともう1人来るはずだった。彼女はビックリするだろう。ここに自分しか来ていないことに…。
「こんばんわ」
「あ、こんばんわ!」
「あれ?お1人ですか?」
「あ…うん…」
「兄弟の方は…?」
「何してるんだろうねぇ…」
とっさに口をついてでた嘘だった。なぜかわからないが、この答えのほうが自分をよく見せられるような気がしたのかもしれない。
「これ、食べて」
「まあ、こんな良いものを?」
「君のために捕ったやつだから…」
「ありがとうございます!」
そう、自分はこの笑顔を見たかったのだ。だからここまで頑張れたのだ。兄弟のことはもう頭の中から消えていた…。