〜9〜
それはまるで、つまらないシューティングゲームだった。
後から後から的に向かって出てくる標的を、ただ打ち落とすだけのゲーム。標的から勝手に的に向かってくるのだからこっちは、タイミングを計ってボタンを押すだけでいい。それだけで、標的は派手な音を立てて粉々に砕け散っていく。 掘り返していけば可能性はいくらでもあった。実は死んだ真美は同姓同名のそっくりさんで、本人ではなかったとか。真美が死んだという旨のあの手紙は、真美の手の込んだいたずらだったとか。後から後からそれらの標的は的に向かって飛んでいき、僕はそのたびに射撃のボタンを押していた。
そんなわけない。全ての可能性はその一言で片が付いた。それでも、僕は真美が僕と同じ場所に存在している理由を探した。真美が僕と同じ場所に存在する以上、その理由は必ずどこかに隠れているはずなのだ。
僕はマグカップを二つ食器棚から取り出した。ゆっくり一つ一つの動作を確認しながら、五分をかけてココアを作る。
大丈夫。僕は冷静だ。そう自分に言い聞かせて、テーブルにココアを入れたマグカップを二つ置いた。それから少しして、ガラガラ、とバスルームから音が響いた。
「大丈夫。僕は冷静だ」
声に出して確認してみせる。
うん。僕は冷静だ。
ほとんど音を立てずに真美はキッチンに入ってきた。何の柄も入ってない赤色のTシャツに、Gパン。僕の用意した着替えを真美はそのまま着込んでいた。
「私には大きすぎるみたい」
そう言って、真美は腰までずれ落ちたGパンをさらにずれ落ちないように手で押さえた。
「あ、うん。そうだね」
大丈夫。僕は冷静だ。
「とりあえず、座れば。ココアいれたから」
「うん。ありがとう」
真美はそう言って、僕から離れた方の椅子に腰を下ろした。僕は流しの前に立ったまま、本人に気づかれないように真美を眺めた。
真美はマグカップを両手で包み込んで、ゆっくり口に運んだ。そして、一口だけ飲むとマグカップをテーブルに置いて、困ったような顔を僕に向けた。
「どうかした?」
一応聞いて見る。すると、真美は小さく笑って
「味見した?」
と声を出した。
「いや、してないけど」
「じゃあ、してみて」
真美の言いたいことがよく分からず、僕はマグカップを手にとって口に運んだ。僕ののどを静かに暖かい液体が通過した。そして、僕は顔をしかめた。ダイレクトに真美の言いたいことが伝わってきた。
「いれ直すよ」
「いいよ」
「でも――」
「いいから、シャワー浴びてきて。そのままじゃ風邪引いちゃう」
真美は立ち上がると僕の手からマグカップを奪った。僕は流しに向かう真美の背中を見ながら、自分がそういえば濡れたままだったことを思い出した。
「うん」
僕は言った。
大丈夫。僕は冷静だ。 二十分。熱湯を浴びながら僕はひたすら自分に言い聞かせた。大丈夫、僕は冷静だ。毎日ココアを飲んでるからって、時にはうまくいれられないこともある。ちょっとした手違いでほとんど味がしないものができあがっただけのことだ。
大丈夫。うん。大丈夫。
キッチンをのぞくと、椅子に座って真美がマグカップを口に運んでいた。しばらく、顔だけを出してその様子を眺めていると、不意に真美は
「座ったら?」
と言葉を発した。視線は僕をとらえてはいなかった。でも、独り言には聞こえない。
「ふう、気持ちよかった」
タオルの上から頭をかきながらキッチンに入る。これだけとぼけた演技を素知らぬ顔で実行できる人間がこの世界に何人いるだろう?
「とりあえず座れば。ココアいれたから」
真美はそう言って僕を見上げた。
「ああ、うん。ありがとう」
真美と向かい合って椅子に座る。マグカップを口に運ぶと、少し薄めの甘味が口の中に広がった。
「二十分」
「え?」
僕は顔を上げた。真美はマグカップを両手の中にいれたまま
「少しは落ち着いた?」
と言った。
「僕は冷静だよ。」
「分かってる。ただ、落ち着かないだけだよね」
落ち着かない。僕は真美の瞳から逃れると、乱暴にタオルで頭をかいた。
「うん。そうだよ。どうやらそうみたいだ」
「無理しなくていいよ。落ち着かないなら、冷静になる必要もないと思う」
「じゃあ、どうしろって言うの。手放しに再会を喜べって?」
そんなの無理だよ。僕は呟いた。
「なんなんだよ、一体」
わけの分からない感情が急に僕の中で膨らんでいた。僕は椅子から立ち上がって、真美に背を向けた。
「四年前、真美は僕と浩太の前から勝手にいなくなった。勝手にいなくなって僕たちの知らないところで勝手に死んだ。僕たちは真美の勝手に振り回されて、突然二度と会えなくなったんだ」
そんなことが言いたいわけじゃない。それでも、一度出た言葉は止めようもなく出口をさまよっていた。
「真美は四年前に死んだんだ」
僕は自分に言い聞かせるように言って、真美と向かい合った。
「中学二年生の夏。真美は僕と浩太の前からいなくなって、それからもう二度と会えなくなった」
それでも、真美は僕の目の前にいる。
「教えてよ」
これは夢なのか? 「どうして真美がここにいるんだ」
それとも現実?
「――ごめんね」
真美の小さな声が僕の耳に響いた。
「え……」
「公平のこと、混乱させるつもりはなかったの」
「……」
「私にもね、分からないの」
「分から、ない?」
僕と目が合うと真美はうん、と呟いて目をそらした。「なにも分からないの。どうしてあそこにいたのか、どうやってあそこにいったのかも。気がついたら私はあそこにいて、独りぼっちであそこに座ってた」
真美はマグカップを手の中で弄びながら、テーブルの端っこを見つめていた。僕は真美の手の中で不器用に踊るマグカップに目を落とした。
「なにも分からないの。冷たくて、不安で、なにも分からなかった」
マグカップは真美の手の中で踊るのを止めた。顔を上げると、真美は僕を見ていた。
「でも、誰かが私を呼んだ。そして、公平が私の前にいた」
「真美――」
「まるで、お化けでも見てるような顔してね」
「……」
あのとき、僕の声が真美に届いたとは思えない。それでも、真美が誰かに呼ばれたというのなら、それは予感のような限りなく不確かなものを感じたからなのかもしれない。そして、僕もその予感のようなものに引き寄せられてあそこに立っていた。
「ごめん」
僕はそう呟いて椅子に座った。
「あんなこと言うつもりはなかったんだ」
「謝るのは私の方だよ」
「え?」
「だって、言うつもりはなくてもあれは公平の本心でしょ?」
別に見透かしてるわけじゃないと思う。真美は僕の言葉を聞いて感じたことをそのまま口にしているだけだ。 真美は無理に唇をゆがめて笑みを作っていた。多分、僕も同じような顔を真美に向けていると思う。
「うん」
僕は肯いて言った。
「でも、言うつもりはなかった。そんなこと言っても、もう時間は戻しよいがない。それに、そのおかげで僕と浩太の負った傷は最小限で済んだ」
「でも、私のせいで傷つけたわ」
真美はそう言って唇をかんだ。
沈黙の中で僕はかけるべき言葉を探した。真美がそのことで責任を感じるなんて、そんなの間違ってる。でも、僕にそれを言葉に代えることはできなかった。
「違う」
真美は泣きそうな顔で僕を見つめた。
「そうじゃない」
「そうでしょ?」
「真美のせいじゃない」
「ずっと謝りたかった」
「いいよ」
「ごめんね」
ずっと謝りたかった。それは僕の台詞なのに。
「謝るなよ。誰かが謝るようなことじゃないだろ」
「そうだね……」
分かってる。真美はそう呟いて立ち上がると僕に背を向けた。その後に、頬を二度拭ったことには気づかない振りをして、僕は言った。
「とりあえず、今の僕は落ち着いてるし冷静だよ」
もう一度頬を拭って鼻をすすってから、真美は僕に顔を向けた。
「だから、一番初めに言い忘れたことを今言っとくよ」
「言い忘れたこと?」
「――久しぶりだね、真美」
久しぶりだね。真美はうつむいて、確かめるように呟いてから顔を上げた。
「なんか今、すごく懐かしいって気がした」
「だろうね」
なんせ、僕たちは四年も顔を合わせていなかったのだ。僕たちの再会にちょっとした手違いと間違いがあったにしても、懐かしむことには何の問題もない。
「僕もそうだよ」
そう言って僕は真美から目をそらした。
時計の針はだるそうに規則正しい音を奏でていた。