表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

〜3〜

 例えば、数年ぶりのことで、確かに顔は知ってるけど、名前がどうしても思い出せない相手に、親しげに声をかけられたときとか。もしくは、名前は知ってるけど、数年のときを経て、別人のように変わり果ててしまった相手に、親しげに声をかけられたときとか。分かりやすく言い換えるなら、今の状況は、そんな感じに似ていた。

「えっと……」

 僕はとりあえず、彼に困惑していることが伝わるように、後頭部に手を置いた。

「ごめん」

 これも、とりあえずの行為。

「えっと、つまりあの時の会話の続き、ってことだよね」

 馬鹿みたいに確認して見せる僕に、彼は「ああ」とだけ言って、ぷいっと顔をそらした。別に気を悪くしたわけじゃない。彼にとっては、それは僕への最低限の気遣いでもあり、礼儀のようなものだった。

「ちょっと、気になってな」

 彼は無表情のまま、そう声を出した。

 そう。つまり、ただ単にそれだけのことなのだ。つい一時間ほど前に交わした会話が脳みその端っこのところに引っ付いて離れない。そのままでは気持ち悪いから、彼は帰りの道中、肩を並べて歩く僕にそれを吐き出した。

 ただ、彼の場合「そうそう、お前がさっき教室で言ってたことだけどさ――」という前ふりを活用できずに、「どうしても伝えたいことがあるって言ったよな」となっただけの話だ。

 ただ、僕が戸惑ってしまうのは相手が彼だからこそだ。もし隣にいるのがものすごく頭のいい、人語を理解するサルでもこんなに驚きはしなかったと思う。彼が、一度終わった会話を掘り返してなお、気になっていたというのは、それぐらいありそうもないことなのだ。

「気になるって言うのは、つまり――」

 僕が声を出すと、彼は目だけを僕に向けた。

「彼女に伝えたいことが、なんなのかってこと?」

「そうじゃない」

 だろうね、とはもちろん口には出さない。そんな私的なことを詮索してくるほど、彼は無粋でもないし、知りたがりでもないことを僕は知っていた。

「伝えたいことがあるってことは、そうなってほしいということだ」

「うん。まあ、そうなるね」

「だが、お前はそうはならないと思ってる」

「うん」

「それが気になる」

 申し訳ないとは思う。それでも僕は後頭部に手を置いた。

「言いたいことがよく分からないんだけど」

「お前が、そうならないと思ってることが、引っかかる」

 うん。つまり?

「つまり、そうならないと決め付けるのはおかしいということだ」

 彼は僕の顔から、もっとも僕の知りたがっている答えを読み取って、それに答えてくれたみたいだった。ただ、理解することと、納得することは別次元のことだ。少なくとも、彼の放った言葉は、僕を混乱させるには十分な威力を持っていた。

 しばらく、僕は足を動かすことも忘れて、彼の顔を凝視した。

「大丈夫か?」

 心配する、という意味を彼は知っていると思う。ただ、彼の場合は、その意味が声にも表情にも出てこないだけだ。つまり、今の彼は相変わらずの彼のままであり、今彼の口から出た言葉も、冗談や、からかい、というたぐいのものではない、ということだった。

「ごめん」

 二度目の謝罪に、彼はうんざりしたように肩を軽く持ち上げた。おそらく、彼の世界から見た僕は相当ずれているのだろう。

「こんな言葉を聞いたことはないか?」

 仕方ないから、分かりやすく説明してやるよ。というところだろうか。

 彼はもったいぶったように、一度僕から目をそらした。その間に「馬鹿馬鹿しい」と口に出してその場を後にすることもできたけど、僕はその場から動かなかった。どう間違ったとしても、彼が馬鹿馬鹿しいことを口に出すとは思えなかった。

 彼は虚空に向けた目を僕に戻して、僕がそこに留まったままでいることを確認した。それから、小さくうなずいて見せて、彼は言った。

「人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実だ」

「つまり――?」

「つまり、お前がそうしたいと思っているなら、それは起こりうる現実だということだ」

「なるほど……」

 やっぱり、理解はできても納得はできそうになかった。でも、彼は僕に納得させるためにこうして一度終わった会話を掘り返した上に、惜しげもなく自分の世界の一部をさらけ出してくれているのだ。このまま、納得したふりをしてしまうのは、あまりにも彼に対して失礼だろう。

「言ってることは分かるけど」

 それは癖というわけじゃない。ただ、そうすることが一番相手に自分の心理状況を判りやすく伝えることができるだろう。と思うので、僕は後頭部に再び手を当てた。

「――それは、ありえないことだと思う」

「どうしてだ?」

 どうしてだ? 僕は自分に問いかけた。

「そうだな。少なくともこの四年の間にそういうことはなかったからね」

 それらしいと思い当たることも。そう付け足して、僕は続けた。

「だから、ただあの頃の夢を見たってだけで、そんな都合のいいことが現実に起こることはありえないと思う」

 確かに。彼はそう呟いた。

「お前の言っていることは、道理にかなってる」

「うん」

「ただ、それがすべてなわけじゃない」

 確かにそのとおりだと思う。世界は、僕の知らないことで満ち溢れているし、それがあるべき姿なのだ。でも、そのすべてなわけじゃないものを僕は知らないし、体験したこともない。彼の言っていることは、確かに存在している、別世界のことだ。

「でも、そのすべてじゃない一部を、僕は今まで知らないで生きてきた」

「すべてじゃない一部、じゃない」

 彼は珍しく、僕の発言を否定した。

「この世界には、道理には決して収まりきらないものが多く存在してる」

 そして。彼はそう呟いて、天を仰いだ。

「俺たちは、すべてじゃない一部の中で生きてるんだよ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ