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第19話 中央政権会議

 同居生活には、だいたい二種類の問題がある。


 ひとつは、大きくて分かりやすい問題。

 たとえば仕事がしんどいとか、帰れなくなるとか、猫が朝から吐くとか、そういうやつだ。


 もうひとつは、小さくて地味な問題。

 冷蔵庫の中身とか、洗濯物をいつ畳むかとか、連絡はどの程度必要かとか、プリンが何個あるべきかとか、そういうやつ。


 そして厄介なのは、たぶん後者の方だった。


 夜の九時すぎ。

 夕飯を食べ終わって、皿も洗って、エルちゃんも一応満足した顔で毛づくろいをしている時間だった。


 俺はローテーブルの前に座って、ノートを一冊開いた。


「……なにしてるの」

 と、ソファの上からまるさんが言う。


「会議」

「急だな」

「必要だろ」

「なにが」

「この家、最近ちょっと場当たり的すぎる」

「その言い方、私がだいぶ原因みたいじゃん」

「だいぶではある」

「否定しないんだ」


 まるさんは呆れたみたいに笑った。

 でも、完全に否定する顔でもない。


 俺はノートに適当に線を引く。

 見出しを書く。


 中央政権会議


「ださ」

「大事なのは気持ち」

「ネーミングセンスは?」

「構造担当なんで」

「便利だな、その肩書き」


 ローテーブルの真ん中には、なぜか最初からエルちゃんがいた。

 いや、なぜかではない。

 紙を広げたり、ペンを持ったりしていると、自分が関与すべき重要案件だと思うらしい。


「議長も来てる」

「最初から中央に座る気まんまんだねえ」

「会議名に偽りなし」

「王政なのに政権って言っていいの?」

「そこを突っ込むな」


 まるさんはソファから降りてきて、俺の向かいに座った。

 間にエルちゃん。

 完全に議長席である。


「で、議題は?」

「まず、連絡」

「うわ、最初から重い」

「軽い方がいいのか?」

「プリン管理とかにして」

「それも入ってる」

「入ってるんだ」


 ノートの端に、俺は箇条書きで項目を書いていく。


 1. 連絡

 2. 冷蔵庫と買い物

 3. 家事分担

 4. エルちゃん関連

 5. その他


「それっぽい」

「だろ」

「ほんとにやるんだ」

「やる」


 まるさんは少しだけ笑ってから、テーブルの上のペンを指先で回した。


「じゃあ、議長」

「にゃ」

「開会でいいですか?」

「雑な議事進行だな」

「でも返事した」

「たまたまだろ」


 それでも、そのたまたまで十分だった。


 俺はノートを見たまま咳払いする。


「議題一。連絡」

「はい」

「帰りが遅くなる、帰れない、しんどい、スマホ切れそう、そのへん」

「はい」

「最低限、何かしらはほしい」

「……はい」


 まるさんの返事が妙に素直で、逆に少し調子が狂う。


「なんだよ」

「いや、ここは反論した方がいいかなって」

「いらない」

「そう?」


 まるさんはエルちゃんの背中を撫でた。


「でも、前に言ったのはほんとだよ」

「うん」

「しんどいときに長文は無理」

「長文はいらない」

「スタンプ一個でいい?」

「いい」

「“生きてる”だけとか」

「それで十分」

「“無”でも?」

「いや、それはちょっと怖い」

「でも分かりやすいよ」

「分かりやすいけど怖い」

「じゃあ“生”」

「なんの儀式だよ」


 思わず笑う。

 まるさんも笑う。


 その間に、エルちゃんがノートの上に前足を乗せた。


「議長からの意見?」

「“生”は可決かな」

「猫に生死判定させるな」


 結局、連絡ルールはこうなった。


 長文不要

 スタンプ可

 帰れないときは何か送る

 充電が少ないときも一言


「バッテリー何パーで申告?」

 と、まるさんが聞く。


「二十」

「高い」

「十五」

「十」

「攻めるな」

「現実担当なんで」

「それ俺の役だろ」


 最終的に、十五パーで落ち着いた。

 たぶん現実的だと思う。


「議題二。冷蔵庫と買い物」

「急に平和になった」

「大事だろ」

「まあ、たしかに」


 俺はノートに新しい線を引く。


「プリンは見える位置に置く」

「またそれ」

「重要案件です」

「でも最近、二人とも勝手に相手の分買うから、冷蔵庫がややこしい」

「それは」

「それは?」

「……気まぐれだろ」

「同じタイミングで?」

「うるさいな」


 まるさんは楽しそうに笑った。


「あと、猫フード」

 と、俺が言う。

「残量確認する」

「それはほんとに大事」

「前に朝の分しかなくて夜コンビニ行ったし」

「王様に怒られるからね」

「おまえのアイスが主目的だったけど」

「ついでですー」


 そこへエルちゃんが、ちょうどよくフード棚の方を見た。

 完全に自分の話題だと理解している顔だった。


「議題三。家事分担」

「出た」

「最近なんとなくで回してる」

「回ってはいる」

「でも誰が何やったか曖昧」

「じゃあ表つくる?」

「いや、それは味気ない」

「構造担当のくせに」

「そこまでやると家庭じゃなくて職場になる」


 自分で言って、ちょっとだけ納得する。

 たしかに俺はすぐ仕組みにしたがるけど、この家の全部をルールで固めたいわけでもない。


 まるさんはそれを見て、少しだけやわらかい顔をした。


「じゃあ、ざっくりでいいんじゃない」

「ざっくり?」

「ゴミ出しは起きてる方」

「雑」

「洗濯は気づいた方」

「もっと雑」

「皿洗いは負けた方」

「ゲーム前提にするな」


 でも、そのくらいの雑さの方が、たぶんこの家には合っている。


 結局、家事分担は

 気づいた方がやる

 偏ったらその都度言う

 ゲームで決めるのは可

 という、かなり緩い結論になった。


「会議の意味あった?」

 と、まるさんが言う。


「言語化には意味がある」

「出た、構造担当」

「おまえは感覚で全部流すから」

「でも今うまくいってるじゃん」

「だから調整するんだろ」

「夫婦みたいなこと言うな」

「違うだろ」

「そうだねえ」


 その最後の言い方が少しだけ含みを持っていて、俺は一瞬だけ視線を逸らした。

 エルちゃんが、ちょうどそこで俺のペンに前足をかける。


「助かった」

「なにが?」

「いや、なんでもない」


 議題四は、当然エルちゃん関連になった。


「会議中キーボードに乗らない」

「無理」

「即諦めるな」

「議長が守る気ないし」

「朝の飯コールは七時以降」

「それも無理」

「窓辺警備の報告書提出」

「やめて、ちょっと見たい」


 まるさんが笑いながら、適当にエルちゃんの前足を持ち上げる。


「はい議長、賛成の方は挙手」

「にゃ」

「反対だったかもしれないだろ」

「でも鳴いた」

「そのルール雑すぎる」


 結局、エルちゃん関連で決まったのはひとつだけだった。


 フードと猫砂の残量は二人とも気にする


 それ以外は、たぶん王政に勝てなかった。


 最後の議題五。

 その他。


 ここまで来ると、もう会議というより雑談に近い。


「他にありますか」

 と、俺が聞く。


 まるさんは少しだけ考えて、それから言った。


「たつくん」

「ん?」

「しんどいとき、言って」

「……」

「この前みたいに仕事炎上してるときとか」

「言ってるだろ」

「言ってないよ。顔で分かるだけ」

「それは言ってるのと同じだろ」

「違う」

「違うか」


 そこは、少しだけちゃんと受け止める。


「おまえも」

 と、俺は言う。

「無理そうなとき、全部一人で処理しようとすんな」

「……うん」

「駅まで迎えに行くの、何回もやるのは勘弁だけど」

「そこはまだ言うんだ」

「言う」

「はい」


 まるさんは小さく笑って、それから少しだけ真顔になる。


「でも、迎えに来てくれるのは、嫌じゃない」

「……」

「そこは訂正しとく」

「そっか」

「うん」


 その会話のちょうど真ん中で、エルちゃんがどすんとノートの上に座った。


「うわ」

「議長、閉会?」

「重い」

「完全に“このへんで終わりです”の顔してる」


 ノートはもう半分くらい隠れて見えない。

 でも、たしかにちょうどいい気もした。


 言うことはだいたい言った。

 完璧なルールができたわけじゃない。

 でも、何となくで流していたことに、少しだけ名前がついた。


「じゃあ、閉会」

 と、俺が言う。


「議長、おつかれさまでした」

 と、まるさんが言う。


「にゃ」


「最後だけそれっぽい返事するな」

「満足したねえ」

「カリカリ一食分くらいの仕事はしたかもな」


 まるさんが立ち上がって、キッチンへ向かう。


「お茶いれる?」

「ほしい」

「会議後の一杯」

「なんか官僚っぽいな」

「この家、わりと国家運営だから」

「王政だけどな」


 俺はノートを閉じようとして、やめた。

 エルちゃんがまだ上にいる。


 仕方ないので、そのままソファの背にもたれる。

 視線の先で、まるさんが湯を沸かしている。

 部屋の真ん中では、エルちゃんが満足そうに丸まっている。


 この家は、なんとなく一緒にいる場所じゃない。

 喧嘩もするし、心配もするし、プリンの位置で揉めもする。

 でもそのたびに、少しずつ決まりごとが増えて、生活の形になっていく。


 それはたぶん、恋愛とかそういう分かりやすいものじゃない。

 もっと地味で、生活っぽくて、でもちゃんと大事なやつだ。


「たつくん」

 と、キッチンからまるさんが呼ぶ。


「ん?」

「議事録、あとで見せて」

「いる?」

「ちょっと見たい」

「恥ずかしいな」

「中央政権会議だもん」

「そこをそんな楽しそうに言うなよ」


 まるさんが笑う。

 その笑い声を聞きながら、俺はエルちゃんの背中を軽く撫でた。


 議長はもう、完全に寝る気でいる。


 会議の結論はたぶん単純だ。


 この家は、偶然のまま続いているわけじゃない。

 ちゃんと三人で、少しずつ運営している。

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