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第18話 仲直りのプリン

 気まずさがほどけたあとに残るのは、妙な気恥ずかしさだ。


 喧嘩そのものが大きかったわけじゃない。

 怒鳴ったわけでも、取り返しのつかないことを言ったわけでもない。

 でも、一回ちゃんと引っかかったものがあると、そのあとに普通の顔をするのが少しだけ難しくなる。


 昨日、エルちゃんが無理やり真ん中に入って、ようやく部屋の空気が戻った。

 戻ったはずだ。


 はずなんだけど、今日の俺は朝から妙に落ち着かなかった。


 仕事中も、何回かチャットの通知を見落としかけた。

 集中していないわけじゃない。

 ただ、頭の端に「昨日のあれ」がまだ少し残っている。


 別に、今さらもう一回きっちり謝りたいわけじゃない。

 でも、何もなかった顔で過ごすのも、なんか違う。


 そういうとき、人はたぶん、余計なものを買う。


 仕事が終わって、近所のコンビニに寄った俺は、気づいたら冷蔵のデザート棚の前にいた。


「……またかよ」


 自分で思う。


 別にプリンじゃなくてもいい。

 ゼリーでも、アイスでも、シュークリームでもいい。

 でも結局、手が伸びたのはプリンだった。


 しかも、前に冷蔵庫の前で揉めたやつと同じ、ちょっとだけ高いやつ。


「学習してないな」


 ぼそっと言ってから、カゴに入れる。

 理由はよく分からない。

 分からないけど、たぶん、これくらいの軽さがちょうどいい気がした。


 謝罪、というほど重くない。

 でも、埋めたい気持ちは少しある。

 プリン一個くらいが、その中途半端さにちょうどよかった。


 家に帰ると、部屋はまだ静かだった。

 まるさんは起きている時間のはずだけど、寝室から物音はしない。

 たぶんシャワーか何かだろう。


「ただいま」

 と、一応言う。


「にゃ」


 返事はエルちゃんだけだった。


 ソファの背から顔を出した王様が、袋の音を聞いてじっとこちらを見る。

 相変わらず耳ざとい。


「おまえのじゃない」

「にゃ」

「その顔してもだめ」


 俺はキッチンへ行って、冷蔵庫を開けた。

 プリンを奥に……いや、奥だとまた見落とすか、と一瞬考えて、結局中段の見える位置に置く。


 その瞬間、玄関の方で鍵の音がした。


「……え」


 反射で振り返る。


 がちゃ、とドアが開く。

 入ってきたのは、仕事帰りのまるさんだった。


「あ」

「おかえり」

「ただいま」

「今日早かったな」

「うん。ちょっと」


 そこまで普通だった。


 普通だったのに、まるさんが手に持っているコンビニ袋を見た瞬間、俺は嫌な予感がした。


 そしてたぶん、向こうも同じ顔をした。


「……なに、その顔」

「いや」

「たつくんこそ」


 まるさんは靴を脱いで、そのままキッチンまで来る。

 俺の後ろ、開いたままの冷蔵庫を覗き込んで、そこでぴたりと止まった。


 中段にあるプリン。

 それから、自分の持ってきた袋。


「……うそでしょ」

「まじか」

「また?」

「まただな」


 まるさんはそのまま袋から、同じ形のプリンを取り出した。

 完全に同じだった。

 店のシールまで一緒かもしれない。


「なんで」

「そっちこそ」

「いや、だって」

「いや、だって、じゃないだろ」


 しばらく、二人してプリンを見つめる。


 またか、と思う。

 でも前回と違うのは、今回は最初から事情が分かっていることだった。


 お互い、たぶん、理由が同じだ。


「……気まず」

 と、まるさんが言う。


「それな」

「いや、でもさ」

「うん」

「なんでプリン?」

「そっちが言う?」

「言う」


 冷蔵庫の明かりがやたら明るい。


 前みたいに「どっちのだ」で揉める余地はない。

 これはもう、二人とも相手用に買ってきたやつだ。

 どう考えてもそうだ。


 まるさんが小さく笑う。


「考えること、同じすぎない?」

「認めたくないな」

「私はちょっと面白い」

「俺はちょっと恥ずかしい」

「それも分かる」


 そう言って、まるさんは自分のプリンを冷蔵庫に入れようとした。

 でも途中で止まる。


「……これ、どういう扱いにする?」

「どういうって」

「仲直り記念?」

「まだ記念日みたいに言うのか」

「じゃあ、反省会の供物」

「供物て」


 思わず笑ってしまう。

 笑った時点で、たぶんもうだいぶ勝ちだった。


 まるさんもつられて笑う。


「ごめん」

 と、まるさんが言った。


 あまりにも自然な声だったので、少しだけ不意を突かれる。


「何が」

「昨日のこと、まだちょっと引っかかってたから」

「うん」

「たつくん、たぶん同じでしょ」

「……まあ」


 否定しない。

 もうその段階でもない。


「だから、なんか、軽いやつ買いたくなって」

「それでプリン」

「そう」

「雑だな」

「そっちも同じでしょ」


 その通りだった。


 俺も観念して、冷蔵庫の扉に寄りかかる。


「俺も、ごめん」

「うん」

「昨日の言い方」

「うん」

「ちょっと、いやだいぶ硬かった」

「そうだったねえ」

「そこはやさしく流せよ」

「反省の場なので」


 まるさんは少しだけ得意そうに言って、それから手元のプリンを見る。


「でも、うれしかったよ」

「なにが」

「迎えに来てくれたのも」

 一拍置いて、

「今日、これ買ってきたのも」


 その言い方が、思ったよりまっすぐだった。


 俺は少し視線を逸らす。


「まあ」

「うん」

「おまえも買ってきてるし」

「私はほら、雰囲気担当だから」

「便利だなその肩書き」


 そこへ、足元にやわらかい気配が割り込んだ。


 見れば、エルちゃんがすでにキッチンまで来ていて、俺たちの足の間を抜けていた。

 そして当然のように、冷蔵庫の前に座る。


「おまえ関係ない」

「にゃ」

「今日は特にだめ」

「仲裁成功報酬は?」

 と、まるさんが言う。


「こいつ昨日の分でだいぶ働いたからな」

「そうだねえ」

「でもプリンはだめ」

「にゃー」


 不服そうに鳴く。

 分かりやすい。


 まるさんがしゃがんで、エルちゃんの頭を撫でた。


「じゃあ、あとで別におやつあげるから」

「完全に王政だな」

「ご機嫌は取っとかないと」


 結局、プリンは二つとも出すことになった。


 ソファへ移動する。

 左右に俺とまるさん。

 真ん中に当然のようにエルちゃん。

 手元にそれぞれ一個ずつのプリン。


「なんか、前にも見た構図」

「前は冷蔵庫の前で揉めたやつ」

「今回は?」

「冷蔵庫の前で観念したやつ」


 まるさんが笑う。

 その笑い方は、もう完全にいつものやつだった。


 ふたを開ける。

 甘い匂いが広がる。


「いただきます」

「いただきます」


 ひと口食べると、やっぱりちゃんとおいしい。

 プリンが悪いわけじゃない。

 たぶん、毎回巻き込まれてるだけだ。


「たつくん」

「ん?」

「昨日さ」

「うん」

「“心配した”って言ってたじゃん」

「言った」

「あれ、うれしかったよ」

「……」

「責められてる感じもしたけど」

「正直だな」

「でも、うれしかったのもほんと」


 俺はスプーンを持ったまま、少しだけ止まった。


 言葉にするとそんなに大げさじゃないのに、妙に胸の奥に残る。

 たぶん、自分の方も同じで、昨日の「迎えに来るんだ」が相手にどう届いたか、少し気になっていたんだと思う。


「そっちも」

 と、俺は言う。

「昨日、“帰る元気なかった”って言っただろ」

「うん」

「あれ、ちゃんと言ってくれてよかった」

「……そっか」

「分からないままの方が、たぶんきつかった」


 まるさんは数秒黙って、それから少しだけ笑った。


「じゃあ、半分くらいは前進?」

「どうだろ」

「じゃあ三割」

「細かいな」

「現実担当がそういう顔するから」

「人のせいにするな」


 エルちゃんがそのタイミングで、俺たちのスプーンを交互に見上げた。

 もらえると思っている目だ。


「だめ」

「にゃ」

「ほんとにだめ」

「今日はプリン関連で存在感強いねえ」

「毎回だろ」


 まるさんがスプーンを置いて、ソファの背に体を預ける。

 その肩が、今日はわりと自然に近い位置まで来ていた。

 触れはしない。

 でも、少なくとも避けてはいない。


「仲直りってさ」

 と、まるさんが言う。

「ちゃんと“仲直りしよう”って言わなくても、まあ、できるんだね」

「プリン二個で?」

「プリン二個で」

「安いな」

「高いの買ったじゃん」

「そこかよ」


 また笑う。


 エルちゃんは真ん中で満足そうに丸まっている。

 喧嘩も仲裁も仲直りも、たぶん本人にはどうでもいい。

 ただ、自分が真ん中で、左右に人がいて、空気が落ち着いていることだけが重要なんだろう。


 でも、それで十分な気もした。


 謝る言葉も大事だ。

 ちゃんと話すのも大事だ。

 でも、そのあとに同じタイミングでプリンを買ってくるくらいには、まだ互いのことを気にしている。

 それが見えたなら、たぶん今日はもうそれでいい。


「なあ」

 と、俺は言う。

「次に揉めたら、先にプリン買っとくか」

「保険?」

「仲裁用」

「いいかも」

「にゃー」

「おまえ用じゃない」

「でも王様も関係者だからね」

「最終承認者ではある」


 そう言いながら、まるさんが笑う。


 その声を聞きながら、俺はプリンをもうひと口食べた。


 甘い。

 少し冷たい。

 そしてたぶん、こういうしょうもない形で埋まっていくものも、ちゃんとあるんだと思う。

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