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今を生きるための

作者: 豊中とよこ
掲載日:2026/03/01





 雨が宿る町——

 一年を通して日照時間が短いこの町の名前は、灯宿(ともしびのじゅく)

 誰もが雨の日にこの町にやってくる。何時間も、時には何日もかけてこの町の雨を求めてやってくる。

 美しい——外の人間には、この町の風景がそう見えるらしい。

 生まれた時からこの町に住んでいる俺は雨が嫌いだ。

 希望や憧れを詰め込んだような地名、灯宿。もはや皮肉でしかないと思うのは、口では言わないだけで俺だけではないはずだ。だから俺は、通称で呼ばれている名前の方が可愛げがあって悪くないと思う。

 通称、きのこ村。村とは呼ばれているけれど、一応コンビニはある。偏りなく、大手三社。頑張れば徒歩圏内だ。

 話を戻そう。きのこ村と呼ばれる所以は、二、三人ほどが入れる大きな傘のようなものが、地域の至る所にあり、急な雨をしのぐにはちょうどいいそれが、どうやらきのこに似ていることからそう呼ばれるようになった。   

 きっかけは、五年ほど前に誰かの撮った一枚の写真が話題となり、その風景を一目見ようと、写真に収めようと、一眼レフのカメラを持った中年男性から、二十代前半くらいの若い人たちまで、老若男女様々な人が訪れるようになった。それも、わざわざ雨の日を選んで来るのだから、俺には到底理解できないけれど、自己顕示欲の塊のような人たちのおかげで、目立った特産のないこの町にお金を落としてくれるのは良かったと思う。いつしか正式名称で呼ばれることも少なくはなったけれど、誰もそのことについて悪く言う人間はいない。

 ついでに言うならば、俺は雨宿りも嫌いだ。濡れたくないと言う人間の弱さと、そうすることが当たり前の世界を作った多数派がいるせいで、雨に濡れながら歩いている人間のことを少なからず変な目で見るのが常だ。だから俺は、少数派で生きていく——格好をつけているわけではない。単純に本心からのそれで、ただの天邪鬼で、ひねくれているだけの面倒くさい大人なだけだ。

 それなりに文句を並べてはいるものの、俺は三十年間この町から出たことがないのも事実で、だから、俺の言葉には重みがない。いつしか虚勢を張ることでしか自分を保てなくなってしまったひねくれた大人の末路だと思ってくれてかまわない。

 そんな俺は、町の病院で理学療法士として働きながら日々を淡々とやり過ごしている。

 先月から担当になった高齢女性の梅津(うめず)さんが、今朝も一番乗りでリハビリテーション室へやってきた。部屋に響くほどの声で「おはようございます」と言い、そこにいる全員がつられるように挨拶を返す。それから決まって、無愛想な俺の前でもう一度挨拶をする。

 加齢による難聴で声が大きくなるのは理解できるし、俺からすれば何も問題はない。色んな患者がいる中で、自分に対して前向きなのはこちらとしてはかなりやりやすい。

 ——いつものように歩行訓練を行っていると、不意に立ち止まって俺に振り向いた。すると、梅津さんが不思議なことを話し始しめた。 


「病院の最寄りのバス停から一番近い傘の下に、雨の日に入ってみるといいですよ」

「えっ?」

「運命の人に出会える。そんな噂を聞いたことはないですか?」

「いえ、初めて聞きました」


 俺が答えると、すっと目を細めた。


「あの傘があった場所にね、昔は大きな桜の木があってね。覚えてない?」

「あったような、なかったような……」


 思い出そうとしながらあやふやに答えると、梅津さんはふふっと笑った。


「きっと百年以上はあそこに立ってこの町を見ていたんだろうけど、寿命でね、切られてしまったんです。代わりにはならないですけど、この町に必要な傘が、初めて置かれたのがあの場所だったんですよ。今ではこんなにたくさん増えてますけど」


 当たり前のように生活の中にありすぎて、どうしてあるのか、いつからあるのか、そんなことを考えたこともなかった。さすが、お年寄りは何でも知っていると思った。


 運命の人に出会える——そんな、ドラマみたいな言葉を信じたわけではない。ただ、偶然が重なった。車検に車を出し、代車を借りたいと申し出たけれど、その日に限って貸し出せる車がないと言われ、そんなことがあるのかと疑いつつも、ないものは仕方ないとバスで通勤することになった。久しぶりにバスに乗り、吊り革につかまり見るともなく窓の外を見ていると、梅津さんが言っていた例の傘を見つけ、思わず前のめりになり声が出そうになった。車通勤の人間がこれを見つけるのはなかなかに難しいだろう。なにせ道路とは反対に傾斜が下っている場所にそれはあるからだ。たまたまバスに乗り、夕方の混み合うバスの中でそちらを向いて立っていたから見つけられたものの、知らなければずっと知らないままだっただろう。

 俺にしか分からない興奮を抑えながら、勢いで降車ボタンを押した。病院からひとつ目の、降りたことのないバス停で降り、足早に病院の方へ戻る。

 今日は、昼前からずっと雨が降っている。状況的にも完璧だ。話半分で聞いていたにも関わらず、実際に目にした途端、どうしてか居ても立ってもいられなくなった。

 ——傘の下には誰もいなかった。それもそのはずだ。こんな所まで来てわざわざ雨宿りをする人はいないだろう。近くに何があるわけでもなく、ぽつんと傘があるだけの場所だ。

 とりあえず傘の下に入り、遠くの山々に目を向ける。見慣れた景色に特別何も思うことはなく、ただただ雨が降っている現実と、昔この場所に桜の木が立っていたということを思ってみる。見たことがないので想像もつかないけれど、樹齢百年はとても大きな桜だったことが(うかが)える。

 目の前に広がる山々を見るともなく見ていると、先ほどまでの興奮も落ち着いてきた。止みそうで止まない雨に少しばかり苛立ち始めた頃、雷が鳴り始めた。山間に雷が走るのが見え、雨よりも面倒だと思った。それからすぐ、恐怖を感じるほどの音にさすがに苛立ちは引っ込み、勢いでここへ来てしまったことを後悔した。

 雷が遠くへ行くのを待ちながら、どうしてこんな迷信のようなことが広まったのかスマホで調べてみた。もとより、梅津さんから話を聞いた時点でそうすればよかった。

 ——ネットには、何も出てこなかった。どれくらいそうしていたのか、噂どころか、桜の木があったという事実すらどこにも載っていない。

 俺は何をしているんだ。

 梅津さんはいったい、何を言っていたんだ……

 翌日、病院で梅津さんのカルテを見ていると、俺としたことが情報をひとつ見落としていたことに気が付いた。物忘れがある。これは——とは言え俺は専門医ではない。詳しくは分からないけれど、もしかすると俺は、梅津さんの作り出した架空の話を信じ、昨日、雷雨の中あそこにいたのかもしれない。そうとは思えないほどいつもきちんと受け答えをされ、雑談の中でも特に不思議に思うことはなかった。リハビリを頑張ってくれる前向きな人だからこそ、その部分だけ見落としてしまっていたのかもしれない。

 さすがに昨日の話を他の人にする気にはなれない。梅津さんに真相を聞きたいところだけれど、もはや疑ってかかっている自分がいる。それに一番は、俺が運命の人に出会いたいがためにわざわざ雨の日にあの場所へ行ったと思われるのだけは避けたい。周りから思われている俺の印象が、ロマンチストではないことくらい分かっているからだ。

 前向きな梅津さんは、今日も一番乗りでリハビリテーション室に入って来た。ほんの少し、見方が変わってしまったのは否めないけれど、単純に自分の確認ミスだったと心を落ち着かせる。

 正直なところ、昨日の話をしたくてどうしようもない。どうにかして切り出せないだろうか考えていると、急に大粒の雨が降り出してきた。建物を叩きつける音が大きく響く。


「すごい雨ね」


 ぼそりと言った梅津さんの言葉を拾い、同意して答える。


「こんな日は、素敵な出会いがありそうですね」


 にっこりと微笑む梅津さんに、今しかないと思った。


「実は昨日、色々あって例の桜の木が切られた場所へ行ったんです」


 こそこそと話し始めると、空気を読んでか黙って頷いている。


「特に何かあったとかはないんですけど、桜の木は、なかったです」


 我ながら不思議なことを言っているとは思うけれど、梅津さんが俺の言葉をどう解釈するのか気になった。


「そうね。もうずいぶん前に切られてしまったからね」


 話がぶれていないところをみると、とてもしっかりしているように見て取れるけれど、惑わされてはいけないと自分に言い聞かす。


「もしかすると、桜は別の場所にあったんじゃないんですか? あの場所には、それらしい跡もなかったように見えたので」


 決して否定はしない。俺はただ、真実が知りたいだけだ。

 すると、何か思い出そうとしているのか、難しい顔をして天井の方をじっと見ている。


「私の記憶違いなのかしら?」


 独り言のように呟くと、照れくさそうな笑顔を俺に向けた。


「もう、ずいぶん前に切られてしまったから、今は何も残ってはいないんでしょうね」


 その言葉を聞いて、胸のつかえが取れたみたいな感覚があった。なるほど、と……


 そこは昔、旦那さんと待ち合わせをしていた思い出の場所だったという。 

 その日は大雨だったそうだ。視界の悪い中車を運転していた旦那さんは、ガードレールのない道から誤って落ちてしまった。運が悪かったとしか言いようのない事故は、妻である梅津さんを苦しめた。しばらくは家からも出られなかったと言い、精神的な疲労、悲しみ、苦しみ、その他諸々の負の感情と向き合うのは、俺なんかの想像を遥かに超えるものがあった。それでも少しづつ外へ出られるようになり、散歩好きだった旦那さんとよく行っていた、例の桜の木があった場所にひとりで行くようになった()()()。らしいと言うのは、この話を直接本人から聞いたわけではないからだ。付き添いで来ていた息子の嫁だと紹介された方に、梅津さんの体調やらを聞くついでに、物忘れについても詳しく聞いていたら、旦那さんのことも色々と話してくれたというわけだ。

 天気予報通り、午前中から小雨が降っている。その様子を窓越しに眺めている梅津さんに声をかけると、何かを思い出したようにふっと笑い。こそこそと俺にだけ聞こえるように話し出した。今日みたいな雨の日は、例の傘の場所へ行くのだと教えてくれた。そこでたまに、()()()()()()()()みたいだ。俺はそれに、下手くそな笑顔を返す。

 雨宿りは、梅津さんにとってなくてはならない時間なのだろう——

 旦那さんとの話を聞けば聞くほど、ふたりの仲が良かったことがうかがえた。それほどまでに大切な人に出会えた梅津さんを、気付けば羨ましく思うようになっていた。

 正直今まで、羨むことと妬むこと、このふたつに大差などないと思っていたけれど、実際は全く違う感情で、羨むことは、俺の枯れた心をじんわりと温かくしてくれた。内容が内容なだけに手放しで喜ぶことはできないけれど、せめて目の前の人にはもう少し丁寧に接してみようと思い直した。今までが雑だったわけではなくて、他人(ひと)にあまり興味がなく、協調性が乏しいだけだ。自分ではさほど問題はないと思っているけれど、真逆の人間と比べられたら間違いなく指摘されそうではある。


 梅津さんは当初の予定よりも早くリハビリの目標を達成した。前向きな人間は、心が強い。本当にそう思った。最後のリハビリを終え、息子さんも含めて日常生活における注意点や自宅でできるトレーニング方法などを話したあと、梅津さんは相変わらずの大きな声でありがとうございましたとお礼を言って帰っていった。

 ——車検から戻ってきた車でいつも通り病院へ向かっている途中、道路上に工事中の看板が見えて速度を落とした。二車線の道路が一部一車線になっており、誘導員に赤旗で止められた。そのタイミングでぽつぽつと雨が降り始め、何の気なしに窓の外に目を向けた瞬間、あっと声が出た。そこは、例の傘がある場所あたりだったからだ。俺があそこへ行ったのは、もう三ヶ月ほど前のことだ。

 白旗が振られアクセルを踏む。病院はもう目の前にも関わらず、無性に気になった。悩んだのは数秒だ。路肩に車を止め、傘をさそうか迷うほどの雨だったけれど、一瞬で大雨になるとも限らない。後部座席に転がっている傘をつかんで車を出た。

 例の傘が見える場所まで来ると、誰かがいた。顔は見えないけれど、直感でそれが誰だか分かった。そしてそこには、たぶん、もうひとりいる。

 雨宿りで人の心が救われるなら、この町はもってこいの場所だろう。

 遠くの山々と点在するきのこを眺めながら、この景色を求めてこの町までやって来る人たちの気持ちが、今ならほんの少しだけ分かったような気がする。

 次第に視界が雨で遮られていく。持ってきた傘を当たり前のように広げ、傘にぶつかる雨音で、そう言えばと思い出す。俺は、少数派で生きていくのではなかったのかと——苦笑いをした。でもすぐに、これは成長しているからこその苦笑いだと頭を切り替える。なぜなら数ヶ月前の自分よりも、今の自分の方がいいからだ。

 例の傘の下では、しばらく雨宿りが続きそうだ。

 車に戻り、はっとなって時計を見ると、まだ数分しか経っていなかった。

 エンジンをかけ、車を出した。

 梅津さんの言葉を思い出す。

 俺もいつか、運命の人に出会いたいと、人間くさいことを思った——









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