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警察庁特定未開領域犯罪捜査課  作者: 華洛
道頓堀ダンジョン連続暴行事件

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04話 初動


 大阪府警本部の敷地に、中古の二階建てバスがゆっくりと滑り込んだ。

 エンジンが低く唸り、長距離走行の疲労を滲ませた音を残して停止する。

 昼下がりの空は薄曇りで、太陽の輪郭だけが雲越しに滲んでいた。

 コンクリートに囲まれた庁舎群は、都市の中心にありながら、外界とは切り離された別種の時間を内包しているように見える。

 歓楽街の熱気も、通りを埋める人波も、ここには届かない。あるのは、秩序と規律、そしてそれを支える沈黙だけだった。


 エンジン音が止み、空気が一段静まる。

 やがて、バスの扉が油圧の音を立てて開いた。

 最初に地面へ足を下ろしたのは、蓮見迅だった。

 三十歳。どこにでもいそうな風貌の男。だが、その目は周囲を流し見るだけで、この場所に染みついた緊張の質を正確に測っていた。

 続いて降りてきたのは、臥龍岡孔明。

 五十歳を越えているとは思えない軽やかな動作で、背筋を伸ばし、庁舎を見上げる。

 警察庁特定未開領域犯罪捜査課――通称・未領域課。

 その中でも、ダンジョン絡みの事件に即応する機動七班の捜査員と、班長である。


 迅は一歩だけ前に出て、深く息を吐いた。

 府警本部特有の空気が、肺の奥まで染み込んでくる。

 規律、緊張、責任。東京の警察庁とも違い、ダンジョンという異界の現場とも異なる、剥き出しの現実がここにはあった。

 人が人を取り締まり、人の業と向き合うための場所。その重みが、目に見えない圧となって肩にのしかかる。


「……さて」


 小さく零れた呟きは、誰の耳にも届かない。

 一方、孔明はその空気を当然のものとして受け止め、庁舎入口に立つ職員へ穏やかな笑みを向けた。


「お世話になります。短い間ですが、よろしくお願いします」


 柔らかな物腰とは裏腹に、彼が背負っているのは警察庁直轄部署の権限と責任だ。職員は即座に背筋を正し、形式的な挨拶を返す。

 その背後で、バスの扉が再び閉じた。

 そこに、もう一人の姿はない。

 逢魔七罪。警察庁警部補。機動七班の問題児にして、最大戦力。

 彼女は府警本部に立ち寄ることなく、途中でバスを降りていた。

 理由は単純だ。会議室で説明を受け、書類に目を通し、形式ばった挨拶を交わすよりも、現場に立つ方が遥かに価値があると判断しただけのことだった。


 事件が起きたダンジョン。

 再生成が発生し、内部構造が書き換えられた空間。

 心を壊された若い女性。

 そして、その背後にいる「人間」。


 七罪にとって、答えは書類の中にはない。人が壊れる瞬間の気配は、現場にしか残らないからだ。

 彼女は地下鉄と徒歩を乗り継ぎ、ミナミの雑踏へと溶け込んでいった。ネオンが灯り始めるにはまだ早い時間帯。それでも街は相変わらず騒がしく、観光客と地元の人間が入り混じって歩いている。

 その片隅で、世界の裂け目は何事もなかったかのように口を開けていた。石と闇の縦穴。百年前から変わらず、人間社会の隣に存在し続ける異界への入口。

 七罪は足を止めず、その前を通り過ぎた。

 入るのは、後でいい。



 一方、バスの車内には一人の捜査員が残っていた。

 遊佐纏は通信室の椅子に深く腰を沈め、モニターに映る文字列を眺めている。

 車内にはサーバーの低い駆動音と、冷却ファンの規則正しい風切り音だけが響いていた。

 対人関係を極端に避ける彼女にとって、府警本部での挨拶回りは最初から選択肢に入っていない。人と目を合わせ、言葉を交わすより、データの中に潜る方が遥かに楽だった。

 傍らには、ラプラスのホログラムが静かに浮かんでいる。

 仮面を被った悪魔めいたアバターは、今は何も喋らず、主の思考を待つだけの存在だった。


「……必要になったら、呼ばれる……よね……」


 独り言のように呟き、纏は再び画面の光に意識を沈めた。ダンジョンが再生成を起こしたタイミング、周辺の通信ログ、探索者の入退場履歴。人の痕跡は消えても、データは嘘をつかない。



 庁舎内。

 簡易的に用意された応接スペースで、孔明は府警の担当者と向かい合っていた。


「必要なものは、何かありますか?」


 形式的な問いだった。だが、その裏にはどこまで要求されるのかという警戒が滲んでいる。孔明は少し考える素振りを見せてから、穏やかに口を開いた。


「事件に関する情報を、すべてデータでいただけますか。書類関係はPDFで。遊佐巡査が最適に精査してくれますので。手間をかけますが、よろしくお願いします」


 口調は終始柔らかい。だが、その瞳の奥にある「一切の隠蔽を許さない」という意思を、担当者は直感的に悟った。


「……承知しました」


 そのやり取りを横目に見ながら、迅が別の提案を口にした。


「それと、大阪府警の方を一人、お借りしたい。土地勘のある案内役がいた方が効率的です」


 短い沈黙の後、一人の女性警察官が呼び出された。被害者が若い女性である以上、事情聴取や対応に配慮が必要だという判断だろう。


(……この人が、『人の心を読む妖怪サトリ』って噂の)


 彼女の胸中に浮かんだ声が、迅の意識に鮮明に届いた。

 ダンジョン発生以降、人々に発現した異能。

 迅の異能――「(さとり)」は、望まずとも他者の心象を暴いてしまう。

 驚き。嫌悪。そして、わずかな恐怖。

 向けられる感情には、もはや慣れきっていた。迅はそれを表情に出すことなく、形式通りに頭を下げた。


「蓮見迅です。よろしくお願いします」


「……伊月巳奈です。こちらこそよろしくおねがいします」


 パトカーを借り、迅は巳奈と共に被害者が入院している病院へと向かった。

 人の心が壊れた場所へ行く仕事は、いつだって気が重い。

 入れ替わるように、孔明の元へ一人の若い警察官が姿を見せる。


「臥龍岡警部、初めまして。本日より機動七班に着任いたしました、鈴仙澪巡査です」


 背筋を伸ばした、凛とした声だった。二十三歳。警察学校を優秀な成績で卒業し、人手不足の未領域課に配属された新人だ。

 孔明は穏やかに頷いた。


「ああ、聞いています。よろしく」

「はい……あの」


 澪は一瞬、言葉を選んだ。


「私が組むことになる、逢魔警部は……」

「彼女なら、もうダンジョンですよ」


 孔明は苦笑混じりに応じた。


「組織の論理に縛られるより、あそこにいる方が彼女の性に合っている。自由人なんです」

「……分かりました。私も、現場へ向かいます」


 澪が背を向けようとした時、孔明はふと声のトーンを落とした。


「上層部から何を吹き込まれたかは聞きませんが――逢魔警部を人として理解しようとすると、痛い目を見ますよ」

「……?」


 澪が振り返る。孔明は穏やかな表情のまま、続けた。


「彼女はね。ひとでなし、ですから」


 その言葉の意味を測りかねたまま、澪は表情を変えず、再び深く一礼した。


「――失礼いたします」


 廊下を進む彼女の背を、孔明は静かに見送った。

 新人。真面目で、折り目正しく、規律を重んじる。警察学校で叩き込まれた理想を、まだ信じている年齢だ。

 そんな彼女が、逢魔七罪という存在とどう向き合うのか。

 孔明は小さく息を吐いた。


 澪は府警本部を出て、道頓堀へと向かった。

 地下鉄の車内で、彼女はスマートフォンに送られてきた事件資料に目を通す。

 被害者の顔写真。失踪日時。発見時の状況。そして、第一発見者である女子大生二人の証言。

 木之下真琴。南條結衣。

 大阪女学院の学生で、ダンジョン探索を日課としていた。

 彼女たちが見たもの。それが、この事件の全てを語っている。

 澪は資料を閉じ、窓の外を見た。地下鉄は淀屋橋を過ぎ、難波へと近づいている。街の喧騒が、地下にまで染み込んでくるようだった。


 逢魔七罪。

 機動七班の問題児。最強の戦闘力を持つ警部補。

 そして――「ひとでなし」。


 孔明の言葉の意味を、澪はまだ理解していなかった。だが、それを理解する時は、そう遠くないだろう。

 電車が難波駅に滑り込む。扉が開き、澪は雑踏の中へと足を踏み出した。

 事件の現場へ。

 そして、新しい相棒との出会いへ。





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