03話 警察庁特定未開領域犯罪捜査課機動七班
阪神高速三号神戸線。
昼下がりの空は鈍く白み、ビルの隙間を縫うようにして車列が流れている。
排気ガスと海風が混ざり合い、高架の上には都市特有の重たい空気が淀んでいた。
その流れの中を、ひときわ異様な車両が走っている。
中古の二階建て大型バス。かつては観光用だったのだろう、外装はくたびれているが、警察車両特有の無機質な白に塗り替えられている。辛うじて、公的機関であることを主張していた。
警察庁特定未開領域犯罪捜査課――通称・未領域課。
その機動七班の移動拠点であり、職場であり、半ば生活空間でもあるバスは、今日も低いエンジン音を響かせながら東へ向かっていた。
バスの一階。簡易的なミーティングルーム。
折り畳み式のテーブルに肘をつき、書類と睨み合っている女性が一人。
逢魔七罪。警察庁警部補。三十歳前後。
整えられていない髪を無造作にポニーテールにまとめ、眠たげな目でペンを走らせている。その表情には、ダンジョンで魔物を屠る時の鋭さも、対峙した犯罪者を威圧する冷気もない。
ただ、ひたすらに面倒そうだった。
「……ほんと、納得いかないんだけど」
ぼそりと漏れた独り言は、書類に吸い込まれるように消えた。
始末書。
それも、分厚い。
数日前、淡路島のダンジョンで発覚した事件。内部で危険ドラッグを精製・流通させていたヤクザ組織への強制捜査。その現場で、七罪は――やりすぎた。
魔素を過剰に取り込んだ犯罪者たちは、確かに危険だった。通常の人間の三倍以上の筋力と耐久力を持ち、刃物を振り回していた。制圧は必要だった。
だが、七罪の判断は一線を越えていたとされる。
「……ダンジョンでドラッグ精製なんてしてる時点で、情状酌量の余地ゼロでしょ」
ペン先が紙を叩く。
書類の端が、少しだけ破れた。
「それを判断するのは、君じゃない」
向かいの席から、呆れ混じりの声が飛んできた。
蓮見迅。巡査長。三十歳。
背もたれに寄りかかり、腕を組んだまま天井を仰いでいる。高速道路の振動が、バス全体をわずかに揺らしていた。
「やりすぎるから、こういうことになるんだよ」
「やりすぎって……何を基準に言ってるのさ」
「始末書を書かされてる時点で、少なくとも警察組織的にはアウトだ」
迅は溜息をついた。
「相手がヤクザだろうが、ダンジョン内だろうが、警察官が半殺しにしていい理由にはならない」
「生きてるじゃん」
「基準が雑すぎる」
バスの窓の外を、神戸の街並みが流れていく。
港湾地区の倉庫群。高架下の商店街。どこにでもある、日常の風景。だが、この日常を守るために必要な「力」の使い方について、二人の認識は根本的に食い違っていた。
その会話に、別方向から声が割り込んだ。
「シチミンはねぇ~、もう少し淑やかさってものを理解しないとダメだと思うんだよ☆」
ミーティングルームの一角。
ホログラム投影機から、悪魔じみた仮面を被ったアバターがふよふよと浮かんでいた。
遊佐纏の分身――ラプラス。
デフォルメされた羽をぱたぱたと揺らし、両手にはボードを持っている。ラプラスが喋った言葉が、そのままボードに映し出される仕組みだ。
やたら楽しそうな声色と、ボードに出る文字の最後の☆が、七罪を苛つかせた
本体の纏は、バス後方の通信室に引きこもったまま姿を見せない。対人関係を極端に避ける彼女にとって、このアバターこそが唯一のコミュニケーション手段だった。
「犯罪者相手でもね、人権ってあるんだよ? 一応☆」
「うるさいなあ」
七罪は顔も上げずに吐き捨てた。
「魔素を取り込んでた割には、脆すぎなのが悪い。あれで死ぬなら、遅かれ早かれだよ」
「ほら、こういうとこ」
「ほら、こういうとこだね☆」
迅とラプラスの声が、妙に重なった。
七罪は舌打ちし、ペンを置いた。
視線を上げると、バスの窓越しに大阪の街並みが流れていくのが見えた。ビルの密集度が増している。もうすぐ大阪市内だ。
「……東京帰る前に、串カツでも食べて帰ろうと思ってたのに」
その言葉に、迅が思わず噴き出した。
「何の反省もしてないな」
「反省してるよ。書いてるじゃん、ほら」
「形式だけだろ」
その時だった。
バス後方、通信室の扉が開く音がした。
現れたのは、臥龍岡孔明。
機動七班の班長であり、警部。五十歳。
五十歳とは思えない軽い足取りで、室内を見回す。その表情は、どこか困ったようで、同時に覚悟を決めたようでもあった。
「お疲れさま。ちょっといいかな」
七罪は、嫌な予感を覚えた。
孔明がこの声色の時、大抵ろくな話ではない。
「警察庁から連絡が入った」
その一言で、車内の空気がわずかに引き締まった。
「大阪府警から、正式な協力要請だ。このまま東京には戻らない。進路を変更して、府警本部に向かう」
「……事件?」
迅が姿勢を正した。
「ああ。ダンジョン絡みだ」
孔明は簡潔に答えた。ダンジョン絡みの事件。それは、通常の警察では手に負えない案件を意味する。だからこそ、未領域課が存在する。
「ただ、その前に――」
孔明は一拍置き、七罪を見た。
「逢魔警部には、今回から新人警察官が相棒としてつくことになったよ」
「え」
七罪の声が、間抜けに響いた。
「なんで私が子守をしないといけないの」
「反省文が増えた理由を、少しは考えようか」
孔明は肩をすくめた。
「色々と派手にやりすぎたねえ。新人をつけることで、行動を制限させるつもりなんだよ。上層部は」
七罪は露骨に不満そうな顔をした。
だが、孔明の言葉に反論はできない。淡路島の件だけではない。これまでも何度も、彼女は「やりすぎ」を繰り返してきた。
「……新人で逢魔の相棒とか、可哀想なヤツだ」
迅が本音を零した。
「右も左も分からないうちに、未領域課の問題児と組まされるなんて」
「失礼だなあ」
七罪は不満げに頬を膨らませた。
「私、ちゃんと優しいよ?」
「どの口が言うんだ」
そのやり取りを、ラプラスが面白がるように拍手した。
「上層部は分かってないなぁ」
「どういう意味?」
孔明が視線を向けた。
「シチミンが相棒一人ついただけで、行動制限されるわけないのにさ☆」
「ちょっと、纏?」
七罪が睨むと、アバターは楽しそうにくるりと回った。
「むしろ新人の方が、引きずり回されて覚悟決めるだけだと思うんだけどな~☆」
「やめてあげて……」
迅が本気で同情した声を出した。
孔明は軽く咳払いをし、話を締めた。
「新人の件も含めて、詳しい説明は府警でだ。今回の事件、どうも厄介そうでね」
「厄介?」
七罪が視線を向けた。
「どうやらダンジョンの再生成を利用したらしい」
孔明は連絡で受けた内容を口にした。
「被害者は若い女性。心が壊された状態で、ダンジョン内から発見された。発見から一時間後、再生成が発生している」
車内の空気が、わずかに変わった。
「……ふうん」
七罪は、わずかに目を細めた。
人間の女性。
壊れた心。
ダンジョン。
そして、再生成。
その組み合わせに、迅は苦い顔をした。
「やれやれ……今回の事件は碌なことじゃなさそうだ。まったく、嫌な渡世だ」
「それが人間社会じゃないの?」
「まあな」
迅は腕を組み直した。
「ただ俺は事件関係者にも会わないといけないから、気が重いよ」
「イヤなら私がそっちに行こうか?」
「人の心が分からないお前が行ったら、無駄な仕事が増えるからやめてくれ」
「人の心が分かり過ぎる男の言葉には説得力がある☆」
ラプラスが笑いながら言った。
迅の異能――「覚」。
妖怪サトリのように、相手の心を読むことができる能力。それは捜査において有用だが、同時に重荷でもあった。
望まずとも、他人の心の闇が流れ込んでくる。
バスは速度を落とし、出口ランプへと入っていく。
窓の外に広がる大阪の街が、ゆっくりと近づいてきた。高層ビル群。繁華街のネオン。その地下に、無数のダンジョンが口を開けている。
七罪は、始末書を大阪府警に着くまで書きながら、深く息を吐いた。
「……ヤクザと違って、今回の事件は私に『人間』を見せてくれるかな」
その呟きは、誰の耳にも届かないまま、エンジン音に紛れて消えた。
バスが高速を降りた頃、携帯端末に新しい通知が入った。
孔明がそれを確認し、眉をひそめる。
「被害者の記憶から、他の少女たちの存在も確認されたそうだ。少なくとも十名以上」
「……連続か」
迅が呟いた。
「うん。今のところ全員が行方不明。被害者の診断結果からどこかで監禁されてたようだね」
七罪はペンを置き、窓の外を見た。
大阪の街。光と影が混在する都市。その地下に広がる異界で、何かが起きている。
「面白くなってきたじゃない」
七罪の口元が、わずかに歪んだ。
それは笑みとも言えるし、何か別の感情の表れとも取れた。
迅は、その表情を見て小さく息を吐いた。
こういう時の逢魔七罪は、誰にも止められない。
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