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警察庁特定未開領域犯罪捜査課  作者: 華洛
道頓堀ダンジョン連続暴行事件

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エピローグ 人間


 大阪府警本部の駐車場の片隅に、白く塗り直された二階建てバスが静かに停まっていた。

 塗装の白はまだ新しい。だが長年の傷やへこみは隠しきれず、どこか疲れた印象をまとっている。遠目には観光バスにも見えるが、近づけば窓には防弾加工、車体下部には補強板が覗き、ただのバスではないことが分かる。


 警察車両とは思えないほどくたびれた外観。だが機動七班にとっては、ここが職場であり、寝床であり、拠点だった。

 エンジンを止めた車内には、機械油とコーヒーの匂いが薄く残り、長い任務の疲労が染みついている。


 彩が絵を描いて起こした事件から、一週間が経つ。


 事件の主犯は確保されたが、七班はまだ大阪を離れていなかった。

 荒蒔強が関わっていた犯罪は想像以上に広範囲で、芋づる式に余罪が発覚している。

 被害者の保護、証拠品の再鑑定、関係者の再聴取。大阪府警だけでは到底手が回らず、七班も後処理に駆り出されていた。

 終わったはずの事件は、形を変えて尾を引いている。


 バスの一階、簡易的な会議スペース。

 折りたたみ机を囲む空間に、重たい沈黙が垂れ込めていた。エアコンの低い唸りだけが、やけに大きく聞こえる。


「どういうことですか!」


 机を叩く乾いた音が、密閉された車内に鋭く反響した。

 鈴仙澪が身を乗り出し、臥龍岡孔明に詰め寄っている。

 普段は感情を表に出さない彼女の頬が紅潮し、握った拳は白くなるほど力がこもっていた。


「彩と結衣が……釈放されたって、本当なんですか」


 孔明は手元の書類を静かに閉じ、端を揃えてから顔を上げた。

 その表情はいつものように柔らかい。だが今日は、その柔らかさの奥に、どうしようもない倦みが滲んでいた。


「本当だよ。機動隊に身柄を拘束されていた二人は、昨日、正式に釈放された」

「ありえません……! 特に一色彩は、被害者たちの生気を喰って、廃人同然にしたんですよ!」


 声が震える。怒りだけではない。悔しさ、無力感、そして理解できない理不尽への拒絶。

 それらが胸の奥で渦を巻き、言葉を荒くさせていた。

 孔明は深く息を吐いた。


「弁護士が出てきた。腕のいいのがね。それに上の意向とも一致した。魔人の存在を公にしたくない――そういう判断だ」

「政治ってわけだ」


 壁にもたれて腕を組んでいた蓮見迅が、低く呟いた。

 その声音には怒りも皮肉もなく、ただ慣れだけがあった。


「政治……?」


 澪が振り返る。迅は肩をすくめた。


「魔人が関わった犯罪なんて、公表したら社会がひっくり返る。女子大生二人の件が事例だな。隣人が人間かどうか疑い始めれば、社会不安は一気に広がる。だから今までの被害者は「生気を喰われた」訳じゃなく、「魔物に襲われたショックで精神を病んだ」って話にすり替えた。医者もそう証言したらしい」

「そんな……!」


 そのとき、ホログラム投影機からラプラスがふよふよと浮かび上がった。


『シチミンが手に入れたUSBにも、荒蒔たちの犯罪は事細かに記録されていたけどね~。魔人が関わった証拠は一つも出なかったよ☆』


 間延びした電子音声が、場の空気をさらに重くした。


「……証拠がなければ、どうしようもないってことですか」


 澪の声は、怒りを通り越し、ほとんど祈りに近かった。


「さっき上と言いましたけど……それって、魔人の国会議員が関わっているんですか」


 孔明はわずかに目を細める。


「どうだろうねぇ。私たちは警察庁でもトカゲの尻尾だ。どれほどの大物が動いているかは、見当もつかないよ」

「どうだか」


 迅が鼻で笑う。


「鈴仙。そこの狸親父の言葉は、あまり真に受けない方がいいぞ」

「ひどいなぁ、迅くん」


 孔明は肩をすくめる。否定はしない。

 澪は机上の書類に視線を落とした。

 彩と結衣の釈放通知。無機質な活字。


 罪状なし。証拠不十分。――推定無罪。


 あの地下室で見た出来事は、紙の上では存在しなかったことになっている。

 大阪の街は今日も騒がしい。クラクション、雑踏、遠くの工事音。

 事件など最初からなかったかのように、人々は日常を営んでいる。


「……悔しいです」


澪が絞り出すように言った。


「しかたない。人間社会のルールに則ったことだから」


 階段を降りてきた七罪が、淡々と言った。

 この一週間、彼女はほとんど姿を見せず、二階のベッドスペースで延々と荒蒔たちが撮影した動画を確認していた。

 それもようやく終わったらしい。

 澪は唇を噛んだ。


「でも……!」

「でも、じゃない」


 七罪は澪を見た。

 その瞳は、いつものように冷たく、どこか遠かった。


「証拠がなければ、罪にはできない。それが法。秩序も、中庸も、混沌も、全部が混ざりあってバランスを保っているのが人間の社会だからね」


 その言葉は、慰めでも励ましでもなかった。

 ただの事実。

 七罪という魔人が、人間社会を外側から見たときの、冷徹な結論だった。


 澪はゆっくりと椅子に座り込んだ。

 怒りも、悔しさも、どこへ向ければいいのか分からない。

 拳を握りしめたまま、机の上の書類を見つめる。

 そこに記された「推定無罪」の四文字が、胸の奥で鈍く響いた。


 その様子を眺めていた七罪のスマホが、軽い着信音を鳴らした。

 七罪は画面を一瞥し、眉をわずかに上げた。

 不審な差出人フォルダーに振り分けられたメッセージ。

 だがタイトルを見て、無視はできなかった。


【色欲の伯爵より面白情報!】


「……警察から情報流れすぎでしょう。電話番号変えようか」


 呆れたような、面倒くさそうな声で七罪は呟いた。

 澪と迅が顔を上げる。孔明だけが、何かを察したように目を細めた。

 七罪はメッセージを開いた。


『木之下真琴ちゃんと結衣は仲直りしたよ』

『餌でもいいから、これからもズッ友でいたいんだって。泣けるよね~wwwwww』


 添付された写真。

 肩を寄せ合い笑う二人。

 大学で授業を受け、学食で食事をし、ダンジョンに潜る。

 今までと変わらない日常が写されていた。

 そこには裏切りも、絶望も、何一つ映っていない。


 再び通知。


『あ。洗脳とか脅迫とか野暮なことはしてないよ~』

『どう? 貴方様が思っている以上に、人間は愚かで愉快で楽しいよ』


 最後に「グッバイ」の可愛らしいスタンプが送られてきた。

 七罪は小さく息を吐いた。


「……ああ、人間って面白い」


 皮肉でも嘲笑でもない。

 純粋な感嘆だった。


 澪は、その言葉を黙って聞いていた。何も言えなかった。

 真琴の選択を「面白い」と評する七罪の言葉が、正しいのか間違っているのか、判断できない。

 餌だと知りながら友情を選ぶ。

 裏切られたと知りながら手を伸ばす。

 きっと結末はロクでもない事になるだろう。

 それでも人間は選択した。


 合理では測れない感情の跳躍。

 それは魔人の論理体系には存在しない。


「魔人が関わっていると知って、事件に興味は薄れていたんだけど」


 七罪は窓の外を眺めた。

 夕暮れが街を赤く染め、影が長く伸びていく。


「最後の最後で、面白いものを見せてもらった」


 その声には、かすかな満足が滲んでいた。

 澪は七罪の横顔を見る。

 そこには冷酷さと好奇心が同居している。

 人間を断罪するでもなく、救うでもなく、ただ観察する存在。


「人間って、本当に……興味深い」


 称賛でも侮蔑でもない。

 異質な存在からの、ただの感想。


 大阪の街は今日も騒がしい。

 事件は終わった。だが、何も終わっていない。

 魔人は闇へ戻り、人間は日常へ戻る。

 その狭間で、機動七班はまた次の事件へ向かうのだろう。


 七罪はスマートフォンをポケットにしまい、軽く背伸びをした。


「さて。次はどんな人間が見られるかな」


 その声は、わずかに楽しげだった。

 澪は七罪の背中を見た。この人は、きっとこれからも人間を見続けるのだろう。理解できなくても、共感できなくても、ただ観察し続ける。

 それが七罪という存在の、唯一の目的なのかもしれない。



道頓堀ダンジョン連続暴行事件は終わりとなります。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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